
5月10日に新刊『いま、ここで輝く。〜超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室』が全国の書店に並びます。そこで、GWに入る4月27日から5月10日の配本日まで、14日間連続で毎日、本のなかでも特に印象的なページを、チラ見せ的に少しずつこちらのブログで公開します。最終回の本日は、「正しさ」とは何かという話。
論理ではなく根拠を疑う思考法は、コミュニケーションにおいても役に立つ。
意見がぶつかり合うとき、「考え方」0 が違うことは実は少ない。違うのはやはり「前提」だ。お互いの結論をぶつけ合うのではなく、お互いが立つ前提に目を向ければ、違いの理由がわかる。違いの理由がわかれば、話し合いの糸口がつかめる。それが、前提を共有していない相手とのコミュニケーションの作法である。これができないと、ダイバーシティ社会のなかで、孤立してしまう。
ひとはみな、自分なりに論理的に考えている。だから自分の考えが正しいと思っている。でも、前提となる根拠が間違っていたら、その上にどんな緻密な論理を組み立てても正しさは得られない。だから、人間は理路整然と間違えることができてしまう。
同じことが、いま話題のAI(人工知能)にもいえる。AIがいくら高度なディープラーニングを実行したとしても、前提が間違っていたら、結論はとんでもないことになりかねない。AIに前提をインプットするのが人間である以上、それが100%正しいなんてことはあり得ない。だとすれば、将来AIがはじき出す結論はかなりの高確率で間違っているはずだ。
それを修正するのが人間の感性ということになるだろう。論理を重視するイモニイが、同時に感性の重要性を訴えるのはそのためだ。
私たちの知識体系では、宇宙の成り立ちのごくごく一部しか解明できないが、私たちの感性は、自分たちのまわりに無限の宇宙が広がっていることを実感として知っている。エビデンスなんて確認するまでもなく、恋をすれば心が弾み、嘘をつけば自分の心も痛むことを知っている。熟達した宮大工なら、木と触れ合うだけで、どこの柱に使うべきかを判断できるし、料理人なら、いちいちうまみ成分など計測しないで、その魚を最もおいしく食べる料理の仕方を判断できる。
論理と感性は、正しさに近づくための車の両輪であるわけだ。
本日発売!
『いま、ここで輝く。〜超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室』
(おおたとしまさ著、エッセンシャル出版社刊)
全国の教員が、 カリスマ塾講師が、 「一目見たい!」と見学に訪れる授業では一体何が行なわれているのか? 独創的な授業で子供たちのやる気を引き出す名物先生の、笑いと涙のルポルタージュ!
