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シンポジウム「多文化共生論」を問い直すー在日コリアンの視点からー

 少し迷いましたがシンポジウムでの発言録をUPします。長々と書いていますが要点を整理すると、

  • 多文化主義批判が至る所でされているけど、そもそも何をもって多文化主義というのか丁寧に議論しよう
  • 国益に還元される多文化主義は批判されるべき
  • 朝鮮学校を排除することを可能にする「北朝鮮報道」が問題
  • 朝鮮学校を没歴史的に語るな
  • 朝鮮学校がどのような出会いの場になるかは一人一人にかかっている

の5点だと思います。話した内容を記憶を頼りに文字に起こしました。論の飛躍やまとまりのない傾向もありますが、議論の喚起になれば幸いです。なかなかの長文ですがどうぞおつき合いください。


(ここから)


 はじめまして。僕は在日朝鮮人三世です。生まれは長野、その後、新潟、茨城、東京、岡山、福岡、ソウル、福岡、ソウルと転々とし、今は埼玉で大学の非常勤講師をしています。非常勤講師なので、最近流行の言葉で言えば「ノマド・ワーカー」、悪く言えば「ワーキング・プア」かも知れません。名古屋とは縁がありまして、朝鮮大学校時代に教育実習で愛知のウリハッキョの高校一年生のクラスを担当しました。2001年くらいのことなので、もしかしたら当時の学生や関係者の方がここにいらっしゃるかも知れません。そして去年、424教育闘争を記念するシンポジウムに司会で呼ばれ、今日と同じ会場にちょうど一年前くらいに来ました。その時は司会だったので思うことを話せずストレスが溜まりましたが、今回はパネラーなので一生懸命話そうと思います。多少、突っ込んだ話も出来ればと思います。

 最初に僕の発表タイトル、「「相互理解」の場としての朝鮮学校のために」ってつけさせていただいたんですけど、タイトルよくないですね。「相互」って言葉を使うと対等な関係みたいです。でも現状は全然対等ではないです。急いで送って、すぐにしまったと思ったのですが、対等な関係を望む「希望」と、現在の状況への「皮肉」が込められていると思ってください。


 さて、二週間前くらいになるでしょうか。韓国の大邱カトリック大学で行われた多文化主義に関する学術大会に呼ばれて行ってきました。日本のカトリック系の大学でも教えていますが、大邱カトリック大学は、なんかとても本格的なんですよね。ゲストハウスに泊めて頂いて、一人なのにリビングと寝室の二部屋があるとても豪華な部屋だったんですけど、全ての部屋にキリストの十字架が架けられていて慣れないんで落ち着かなかったです。学術大会も「お祈り」からプログラムが始まります。懇親会の時も乾杯の前に「お祈り」、自分にとって貴重な多文化体験だったと言えます。

 肝心の学術大会のテーマが「多文化主義の限界と代案」というものだったんですが、色んなことを学ぶことが出来ました。特に印象深かったのは、多文化主義の限界が様々な所で囁かれているが、それは本当に多文化主義なのか?という問いです。同じような多文化主義の言葉でも、地域や時期によって内容は様々です。多文化主義の限界を言う前に、そもそもどのような文脈でそれぞれの多文化主義が使われているかを、丁寧に見る必要があるとの主張でした。ここでは江原大学校のハン・ゴンス先生の発表を手がかりに、会議で話された多文化主義の類型について簡単にだけお話をしたいと思います。アメリカの教育学者 Peter McLaren(1994, 'White Terror and Oppositional Agency: Towards a Critical Multiculturalism")による四つの類型を紹介されていました。日本がどれに当てはまるか、是非考えながら聞いてください。

 第一類型は「保守主義的多文化主義」です。これは主流集団が少数集団に「寛容」の次元から文化を許します。「いいよ、いいよ、違っても。うちら寛大だから」と言った感じでしょうか。先ほど「恩恵」という言葉を金東鶴さんが強調されましたが、この恩恵としての多文化の許容が「保守主義的多文化主義」と分類されるのかもしれません。そして「保守主義的多文化主義」は、マジョリティ集団への同化が最終目標とれ、またあくまでも「葛藤の予防」のための多文化の許容が目指されると言います。

 第二の類型は、「自由主義的多文化主義」です。自由主義者たちは同等な権利の実現のためには機会の均等こそが重要だと考えます。機会の均等はとても大事ですが、自由主義的多文化主義における所謂自由競争が本当の意味での機会の均等を保証するかは疑問です。何故なら主流文化の権威は固定されたまま、多文化がヒューマニズムの次元でのみ許容され、結局権力関係は維持されるからです。身近な例で考えると、愛知ハッキョの卒業生である鄭大世やSoftBankの孫正義など、近年世界で活躍する在日はとても多いですが、能力があれば在日朝鮮人でも活躍できる社会は、機会均等の社会とイコールでないと思います。「能力が無い」在日は往々にして差別されたままだからです。ここにこの類型の問題点がありそうです。

 第三の類型は、「左派自由主義的多文化主義」と定義されています。これは文化的違いの尊重し、それぞれの文化の保護と尊重を主張します。しかし文化的差異の固定化に繋がる危険性が指摘されています。また、それぞれの違いに重きを置くことによって社会を破片化させるとの攻撃にもさらされています。もちろん対抗的にアイデンティティを立ち上げる必要はあると思いますが、一方であまり「朝鮮人」や「日本人」といった文化的アイデンティティを固定化してしまうと、ダブルもそうですし、例えば「朝鮮人らしさ」が賞賛され「朝鮮人なのに朝鮮人らしくないもの」などを排除してしまう危険性があると思います。純粋な文化など存在しないのです。

 このような三つの類型への批判を踏まえて、McLarenが第四の類型として提示されているのが、「批判的多文化主義」です。これは「抵抗的多文化主義」とも言われます。文化の多元性よりも、お互いに違う共同社会(コミュニティ)たちが、自分たちの速度に合わせて成長することの出来る空間を作り出し、保証し、激励することのできる共同社会を目指す多文化主義です。共同社会たちが既存の文化と相互作用し、その文化を豊富にしてくれるだけではなく、自らのアイデンティティが反映されたことを感じることのできる、「新しい合意の文化」を作り出す、と説明されます。やや難しいのですか、いくつかポイントがあると思います。文化を不変な固定的なものだと考えない、それぞれが影響し合いながらそれぞれのアイデンティティが反映された新しい合意を作り出す、そういう多文化主義だと思うのですが、何よりも重要だと思うのが「自分たちの速度に合わせて成長できる」という点だと思います。それぞれの国や地域の多文化状況は違いますし、一つの国や地域の中でも様々な共同社会は歩んで来た歴史も置かれている状況も違います。それぞれの状況と課題に合わせて、それぞれの速度に合わせて成長する、これはとても大事だと思いますし、在日朝鮮人にとってはハッキョこそが「自分たちの速度に合わせて成長することの出来る空間」の一つではないかと思います。

 文化と言うものは決して固定不変なものじゃないし、様々な影響を受けながら相互に干渉しあい、そして絶えず変化しています。朝鮮学校も同じです。例えばこれを見てください。スーパージュニア、少女時代、KARAのクリアファイルです。なんで僕がこれを持っているかというと、実はこれ、愛知で行われた太陽節100周年記念の祝祭の場で売られてたものの残りなんですね。聞けばこれが売られるようになった経緯は色々あるんですけど、太陽節100周年のお祝いの場で韓流グッズが売られ、そして朝鮮学校の生徒たちがこれを買う。話を聞いた時に非常に面白いと思って紹介しました。朝鮮学校は日本社会の影響も受けますし、朝鮮民主主義人民共和国の影響、韓国や韓流の影響も受け、色んな文化が混じり合っている場だと言えます。こうやって周囲の文化を取り入れながら自分たちの速度で変化をしていく、これはある意味とても当たり前な光景だと思います。すいません、話が少しそれたかも知れません。戻します。

 既存の多文化主義に対する批判から、McLarenの批判的多文化主義が提唱されていますし、現在多文化主義に対する批判は色んな所でされています。重要なポイントの一つは、主流文化が絶対的な地位を占めたままの多文化主義に対する批判が高まっているという点だと思います。第一、第二類型にあたる保守主義的多文化主義と自由主義的多文化主義がまさにこれに当たると思います。ここで一つ強調したいのが、「国益」と「多文化主義」の精神は相反するものだと言うことです。相反してこそ多文化主義への批判を乗り越えることが出来ると思います。例えば難民条約の精神は「国益」に反する。難民を受け入れるのはコストがかかります。それでも難民の受け入れは大事だから積極的に受け入れる。何故ならそこに難民の人たちの人権があるし、正義があるからです。日本はなかなか難民を受け入れないんですけどね。「国益」が優先される多文化主義は、既存の多文化主義に対する批判に答えられないと思います。ましてや朝鮮学校や在日朝鮮人の存在が、日本の国益にとっても良いという発想は危険ではないでしょうか。日本の「国益」にとって良かろうが悪かろうが、在日朝鮮人自身のために、そして正義と公平、人権のために権利は保証されるべきなのです。


 はじめに述べたように、多文化主義はそれぞれの国で色んな形で語られます。韓国では主に「多文化家族」という言葉を用います。家族を単位で考える必要があるからとの説明を受けましたが、主に農村などへの結婚移住女性とその家族の問題が韓国の場合大きな社会的な関心を集めているため、多文化家族という言葉が使われているようです。大邱での会議でこのような質問がありました。韓国の多文化家族政策は果たして多文化主義と言えるのか?答えはノーでした。何をもって多文化主義というかにもよりますが、経済的な格差を利用して外国人女性を結婚のために移住させる政策は、多文化主義に理念に反しているとの批判でした。

 さてそれでは日本はどうでしょう。日本では「多文化共生」という言葉を使います。このシンポジウムには「在日コリアンは多文化共生の範囲に含まれるのか」という問いがあります。しかしそもそも日本の多文化共生概念はなんなのかについて考える必要があります。このシンポジウムが名古屋大学で行われることにとても意味があると思います。何故なら愛知県にはトヨタの工場があり、多くのブラジル人の方が住んでいるからです。日本は労働力不足を埋めるために日系ブラジル人たちを積極的に受けいれました。それまで日本は単純労働者として移民を決して受け入れなかったのですが、1990年代以降「定住者」資格のビザを日系ブラジル人に対し与え、自動車工場の労働力としてあてました。そのような中で多文化共生概念が唱えられて来たと言えるでしょう。しかし不況でブラジル人たちの仕事がなくなります。呼ぶだけ呼んでいらなくなったら容赦なく切られます。1990年代以降、多くのブラジル人たちが日本に移住することによってブラジル人学校もたくさん出来ましたが、それらに対する行政の支援は乏しく、日本のブラジル人の子供たちの就学率って非常に低いんですよね。なので、そもそも在日コリアンが多文化共生に含まれるかどうか以前に、多文化共生概念から問わなければならないと思います。その典型的な例が高校無償化から多くのブラジル人学校の除外です。子供たちの学ぶ権利が本当に大事なら、全てのこどもが恩恵をさずかれる制度にすべきですよね。そうはなっていない。何故なら国益のためにブラジル人を受け入れたからであり、ブラジル人学校支援はお金もかかるし国益に合致しないから。ここに日本の多文化共生概念のいかがわしさがあると思います。在日ブラジル人、在日朝鮮人、多くの異なる文化的背景を持つ人たちは、その人たちの人権と尊厳のために尊重されなければならないと思います。


 高校無償化問題と関連して気がつくことは、朝鮮学校側は民族教育の権利を主張し、弾圧側は北朝鮮との関係、公民化教育を問題視するという非常にいびつな構図の存在です。議論がかみ合ってないんですよね。でも在日朝鮮人側がそうしか主張できない状況こそが問題だと思います。僕は、朝鮮学校は民族教育の場でもあり公民化教育の場でもあるとも思っています。

 まず前提として、みんな公民化教育が問題だと言うんですが、社会学的には近代の学校は全て国民化の装置と無関係ではないんですよね。そして国民化というのは究極的には国家のために死ぬことを要請すると思います。イギリスなら女王陛下のために。アメリカでも星条旗と国家に忠誠を誓います。日本だって日本を愛する心を要請しますよね。愛国心を養うための装置が学校だと思います。もちろんその克服のための様々な取り組みがあって、代案学校とか、オルタナティブスクールとかもあるんだけど、程度の違いはあれ学校教育と国民化の装置は無関係じゃないと思います。

 重要なのは、朝鮮学校が公民化教育をしているから問題なのではない。「北朝鮮」と関係があるから問題にされてる点だと思います。日本における「北朝鮮報道」が、民族教育の権利としてしか権利を主張できなくしている点を看過してはならないと思います。事実「北朝鮮報道」はなんでもありです。「所謂ロケットと言うミサイル」「人工衛星と言う名のミサイル」、日本語としておかしいですよね。去年金正日国防委員長が亡くなった時も、死亡説を唱えていた某早稲田大学の某重村教授がしれーっとテレビに出る。もうなんでもありですよね。彼はジャーナリスト出身とは言え学者なんだから、論理的な根拠の下で論を展開すべきだし、予測が外れたら何故外れたかを検証する必要がある。しかしそんなことしてませんよね。テレビに登場する所謂「専門家」を見ていると、福島の問題の教訓が何も生かされてないんじゃないかと、この度の「ミサイル騒動」で思いました。


 朝鮮学校を考えるためには、祖国の分断を経験しながら旧植民地宗主国に住む在日朝鮮人の歴史をしっかり知る必要があると思います。よく、朝鮮学校の問題は多文化主義ではなく植民地主義の問題として捉えるべきだという主張があります。何が言いたいかわかると同時に、多文化状況こそがまさに植民地支配によって生み出されたと言う点を忘れてはならないと思います。近代国民国家が拡張する中で、例えば東北もそうかも知れませんし、北海道、奄美や沖縄が日本に取り込まれたし、さらに帝国主義へと進む中で朝鮮をはじめとしたアジアの国々が日本の一部となり、日本の多文化状況はさらに進みました。このように多文化状況がいかに生まれたかについての考察は絶対に必要だと思います。そして現在も新自由主義のなかで世界がグローバル化し、流動化し、多文化状況が様々な場で生み出されていると思います。

 その上で、朝鮮学校の公民化教育、そして所謂「思想教育」について少し述べたいと思います。金日成、彼は誰ですか?今年は太陽節100年で色んな行事が行われていて、Facebookなどで色んな記事や動画なんかも見ることが出来たんですが、朝鮮民主主義人民共和国の建国の父であり絶対的な象徴になっている金日成が何故英雄になったのか。それはもちろん国際政治や色んな力学はありますが、彼が抗日の闘志だったからですよね。反植民地闘争を行ったから金日成将軍が英雄になり、指導者の地位に就くことが出来た。そして今の金正日―金正恩体制に繋がっているという点を、一度しっかりと考えるべきです。解放後、雨後の筍のように出来たとされる国語講習所を、朝聯が整備統合し今の朝鮮学校の体系ができたと言われています。朝鮮学校が朝鮮民主主義人民共和国を支持するようになった背景には、1950年代に入り教育援助費と奨学金が送られて来た事実が強調されます。多くの在日朝鮮人が感動したのは事実だと思いますが、僕は根がもっと深いと思ってます。歴史の専門家では無いんですけど、誰が朝聯を主導したかは大事だし、例えば後に総聯の議長になったハン・ドクス、彼は炭坑でのストライキを主導したとされている人物です。朝鮮民主主義人民共和国を主導した勢力も、朝鮮学校を整備した勢力も、共産主義を掲げ反植民地闘争を行った同志なんですよね。それに対し日本は植民者ですし、韓国は国際政治の中で親日派が多く居座った国です。反植民地闘争をしていた人間が朝鮮学校を整備したし、彼らにとって金日成将軍は同志であり、絶対的な指導者です。そのような一世たちの想いが今日の所謂「思想教育」に繋がっているという点は押さえないといけないと思います。


 去年424教育闘争を記念するシンポジウムがちょうどここで行われたんですけど、その時の一世のハルモニのスピーチが自分にとってとても衝撃的でした。そのハルモニは学校閉鎖令の写真、窓から警官が女の子をつまみだしているあの有名な写真の少女だったハルモニですが、去年この場で堰を切ったようにスリョンニムへの想いを吐露しました。伊勢湾台風が来て同胞たちが家も何もかも失った時に、祖国は祖国に帰国し祖国で新しい朝鮮の建設のために一緒に働こうと言ってくれたと。一世たちが祖国への想いを口にできない今の日本の状況、424の記念シンポジウムの場でやっと涙を流しながら想いを吐露できる状況と言うのは、異常と言わざるを得ません。朝鮮学校を守って来た人たちの想い、そして今学校に通っている子供たちと保護者、先生たちの想いこそが大事にされるべき。昨年ここで強く思いました。

 もちろん朝鮮学校に変化が必要ではないという話ではありません。僕も朝鮮学校に通ったので、思う所はたくさんあります。しかし言いたいのは、没歴史的に批判をするなということです。同時に、朝鮮学校は日本社会がなかなか変わらないのに対して変化しています。歴史教科書などでは、南北両方の歴史を教えるようになり、日本社会についてもしっかり教えます。僕は朝鮮学校の教育は、日本と南北朝鮮よりも進歩的な側面を持っていると思います。なので朝鮮学校には国民化の装置としての学校を越える可能性を秘めていると思っています。太陽節100周年の行事で、韓流グッズまで売っちゃうんですから。一方日本の教科書は、慰安婦問題を教えますか?現代史をしっかり教えますか?朝鮮学校の教科書の内容を問う前に、日本の教科書を問うべきだと思います。ましてやお金を武器に朝鮮学校を恫喝することは、けっして許されないと思っています。

 民族教育の場であれ、公民化教育の場であれ尊重されるべきです。総務省による多文化共生の定義にも、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係」って表現があります。国の違い、政治体制の違いも認められるべきなのに、北朝鮮だから許されない、この状況は異常だと思います。北朝鮮はひどい国だからという人もいます。僕はアメリカもイギリスも日本も十分ひどい国だと思っています。


 最初にも言いましたが、相互理解という言葉は適切じゃないです。何故なら対等な立場にいないから。朝鮮学校の歴史は絶えず日本社会にその存在を脅かされて来ました。学校閉鎖令、外国人学校法案、助成金差別、右翼の街宣、生徒たちへの嫌がらせなど。しかし常に「対立の場」であっただけではありません。もちろん圧倒的な非対称性はあるけど、日本の学校との様々な交流や朝鮮学校を支える会などの取り組みもあるし、自分が関与する岡山でのイヴェントであるダイアローグなんかは、ハッキョで廃校アートをしたり朝鮮学校と日本学校の元校長先生同士の対談をしたりと色んな取り組みをしています。そして今日この集まりを共催しているUSMなども素晴らしい活動をされています。朝鮮学校を通して、在日朝鮮人と日本人が出会い繋がる場が作られると思っています。高校無償化から未だに除外されている圧倒的な現実はありますが、ウリハッキョ/朝鮮学校がどのような出会いの場となるかは、一人一人の実践にかかっています。

 最後になりますが、卒業生の一人としても言いたいのですが、「朝鮮学校素晴らしい論」は疲れます。相対的に素晴らしい面もあるかも知れませんが、駄目な点もあります。自分自身怖い先輩たちのヤキなんかもありましたし、愛知のハッキョに実習に来た時も、まぁ、ね、色々ありました。素晴らしいから認めよう論は、素晴らしくないと認めない論にも繋がりかねません。良くても悪くても、国益になってもならなくても、みんなが尊重されるべきだと思います。以上で発表を終わらせていただきます。思いつくまま、まとまりの無い話をして申し訳ありませんでした。ありがとうございました。


ーアメラジアンスクールについて

 アメラジアンスクールの存在は知っていましたが、詳しくは知らなかったのでとても勉強になりました。アメラジアンスクールに通う子供たちの「何で何人か聞くの?」との問いと、在日朝鮮人が朝鮮人として生きようをすることを同じ文脈につなげて考えることが大事だと思いました。


ー経団連的な国益ではない、より良い社会を作るための国益にプラスになるとの主張はありじゃないかという意見に対して

 もちろん日本の国益にも繋がるという言葉が、相手を動かす上で力を発揮すると思います。実際運動を行う上で、いつもついてまわる問題はお金ですよね。今日のシンポジウムも科研からお金出ているし、科研の申請書には日本の社会にとっても重要だと書くと思います。また行政を動かし、行政からお金を引っ張ってくる上で、外国人の人権は日本の社会にとっても大事だという言葉を戦略的に使うことはありだと思います。そうだとも思いますし。ただ自分は、所謂「国益」にとってプラスじゃなくても外国人や様々な文化を持った人たちは尊重されるべきだと言う点を強調したいと思います。それは在日朝鮮人側のみがいつまでも譲歩を迫られている現状があるからでもあります。Win-Winになれば良いんですが、現実はなかなかそうなりません。個別具体的な運動のレベルでは、状況に応じた言葉が必要だと思います。例えば裁判闘争なんかだったら法律用語で闘わなきゃいけないと思うし。でも戦略的に国益という言葉を使うにしても、その「危うさ」については絶えず自覚的であるべきだと思います。


ー朝鮮学校や在日朝鮮人について日本社会にもっと知らせるためには何が必要かという問いに対して

 やっぱり日本の学校教育の中でしっかり教えることだと思います。何故在日朝鮮人が日本にいるのか。何故ブラジル人がたくさん日本に住んでいるのか。外国人たちがどのような生活をしているのか。後は是非今日の感想などをFacebookやTwitterでつぶやいて、友達たちにも話して、また来年もこういう行事がありそうなんですけど、一人が友達三人連れてくるとか、そういう地道な実践が重要だと思います。


ー地域における交流に関して

 朝鮮学校は民族教育の場でありながら公民化教育の場であると言いましたが、同時に同胞たちの集う場であり、日本人を含む地域の人たちの集う場でもあります。多文化共生って概念に可能性があるなら、そこに地域のって修飾後がついていることだと思います。先ほど校長先生が地域との交流について述べられたのですが、「朝鮮学校って色々言われているけど、隣の金さんの子供や、李さんとこの子供が通っているんだろ」となればまた状況は違うと思います。同じ地元の顔が見える交流は大事だと思います。歴史的、政治的な問題も大事ですが、仲良くなって心が通えば色んなわだかまりも克服できるし、国と国の政治を越えた面白い場になると思います。


ー最後に

 今日は朝鮮学校の話が中心になってしまいましたが、在日朝鮮人児童の9割は日本の学校に通っていると言われています。大学でも、先生実は私も在日ですと名乗り出てくれる子もいますし、韓流のおかげで少なくとも民族的出自に関しては明らかにしやすくなったケースもあると思います。しかしむしろ余計辛い想いをしている在日朝鮮人もいると思います。そういう人たちを絶えず想像することが大事ですし、彼らを抜きに在日朝鮮人を語ることはけっして出来ないと思います。今日は本当にありがとうございました。

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