記事

ペットと安楽死〜消えつつある命と向き合い、考え悩んだ一ヶ月〜の巻 - 雨宮処凛

1/2

 この大型連休を、あなたはどのように過ごしただろうか。

 私はなんだかぼーっと過ごした。3月末に猫のつくしが余命一ヶ月の宣告を受け、介護のために予定をあけていた連休。だけどつくしは4月なかばに死んでしまって、ぽっかりと空いた日々を、つくしを思い出したり泣いたり、残された猫のぱぴを抱きしめてやっぱり泣いたりしながら過ごした。

 連休はじめには、初めて渋谷のレインボープライドのパレードにも行った。本当に多くの人が参加していた。みんな笑顔で、みんなが「ハッピープライド!」と声を掛け合いながらハイタッチしていた。パレードの感想は、さすが歴史あるパレード、というものだったけれど、もうひとつ、参加してわかったことがある。それは「世の中には『ハッピープライド』と言いながらハイタッチできる人とできない人がいる」という厳然たる事実で、自分は後者だということに改めて気づかされた。頑張ってやってみようとしてなんとか手をかざしても、私だけスルーされたりして、自分が「卑屈の星」からやってきたことを久々に再確認したのだった。

 さて、そんなふうに地味に過ごしたゴールデンウィーク。私はとにかく10連休が怖かった。それはやはりつくしが余命宣告を受けていたからで、「何かあった時、病院が休みだったらどうしよう」と長らく気を揉んでいたのだ。しかし、つくしがかかっていた病院は連休中も休まず診療していることを知り、心の底から安堵した。が、先に書いた通り、つくしは連休前に死んでしまった。

 余命宣告を受け、わずか2週間あまりのことだった。

 「リンパ腫かもしれない」と言われたのが3月22日。余命宣告を受けたのが3月末。そして4月なかば、あっという間に愛しい愛しいつくしは旅立ってしまった。

 今振り返って、思う。

 これほどに、「命」について考えた一ヶ月はなかったと。

 思えば最初の数日は、「治ってほしい」「早く元どおりに元気になってほしい」とばかり祈っていた。歩く時にもふらつき、弱々しくなっていく姿を見て、「なんて残酷な光景だろう」とただただ錯乱しながら泣いた。だけど数日も経つと、その思いは「ただ生きていてくれればそれでいい」に変わった。

 その頃から、毎日のように、家族が入院している友人とメールするようになった。友人の家族も、命が危ない状態と聞いていた。「今日は食べた」「ウンチが出た」「気分が良さそう」「食欲が昨日よりはあるみたい」。そんなことで一喜一憂する日々が始まり、病む家族を持つ人はこういう世界で生き、そして日々、本当にささやかなことで喜んだり落ち込んだりしているのだと知った。それまでと、世界がまったく違って見えた。

 自分の生活も、根底から変わった。自力でほとんど食べられなくなったつくしに1日5回の強制給餌をしていたから、4時間以上の外出はできなくなった。よって、遠出する仕事は延期してもらった。それまで当たり前にしていた一泊の仕事や、取材や打ち合わせのあとの編集者の人との食事なんかが途端に「別世界のこと」になった。

 出かけると、いつも「もうそろそろ帰ってつくしにご飯を食べさせないと」とそわそわしていた。だけど、全然苦じゃなかった。こうすることでつくしが生きてくれるなら、こういう生活があと10年続いてもちっとも構わないと思った。とにかく、生きていてほしかった。

 私の生活において、それまで一番大きな部分を占めていたのは仕事だった。だけどあの一ヶ月、最優先だったのはつくしのことだった。社会問題や政治のことなんかよりも、「つくしがどんなものだったら食べてくれるか」が日々の最優先課題になって、毎日毎日、つくしがまだ食べたことのない猫のご飯やおやつを買った。だけど全然食べてくれなくて、そうして試しに試した果てに、あるスーパーのまぐろだったら食べてくれることを発見した。毎日毎日、電車に乗ってそのスーパーに行き、まぐろを買うのは幸せな時間だった。

 だけど、最初の頃は食べられていたのがすぐに舐めることもできなくなり、そうして一切、受けつけなくなった。それでも私は、電車に乗ってまぐろを買いに行き続けた。今日は少し良くなって食べてくれるかもしれない、という願いをどうしても捨てられなくて。

 つくしの病気が発覚する少し前、メディアでは、人工透析を受けていた女性患者が亡くなったということが大きな話題になっていた。

 人工透析を中止する選択肢を示され、同意した結果亡くなったということだった。が、それが適正だったのかどうかが大きな議論を呼んでいた。さまざまなメディアでも、この報道に対する賛否の声が飛び交っていた。透析をしている人の「生きたい」という声、莫大な医療費がかかっているという人の声、人それぞれの「死生観」だという声、ただでさえ「周りに迷惑をかけ、医療費がかかっていて申し訳ない」と思いがちな患者に対して中止についての意思確認をすること自体が酷ではないかという声、誰もなりたくて病気になったのではないという声。話は時に、「治る見込みのない高齢者の延命治療」にまで及び、「どんな状態でも生き続けてほしい」というのは家族のエゴではないか、などの言葉も目にした。

 すべての言葉について、どう思えばいいのかわからなかった。なぜならその時、私はまさに消えゆく命と向き合っていたからで、毎日毎日、悩むことの連続だった。まずは1日5回の強制給餌。信頼する獣医から指示されたものだったが、この強制給餌にも賛否があることを知った。偶然開いた本のページにも、猫に強制給餌をして苦しませてしまったことへの後悔が綴られていた。

 シリンジで強制給餌するたびに、つくしは嫌がった。この子の苦痛を増やしているのではないか。毎日泣きそうになりながらも、心を鬼にして続けた。こうして生きていてほしいと苦しみを増やしているのは私のエゴではないかと葛藤しながら。

あわせて読みたい

「ペット」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    住民が語るソープ街・吉原の現在

    フリート横田・渡辺豪

  2. 2

    宇垣アナ「基本人生は悲しい」

    キャリコネニュース

  3. 3

    資産50億円トレーダーの手口告発

    文春オンライン

  4. 4

    ジャニー氏の搬送先に中居ら集結

    文春オンライン

  5. 5

    日本による韓国の提案瞬殺は当然

    木走正水(きばしりまさみず)

  6. 6

    舛添氏「韓国は話にならない」

    舛添要一

  7. 7

    山本太郎氏のバラマキ路線は危険

    おときた駿(前東京都議会議員/北区選出)

  8. 8

    安全ピンで撃退OK? 警察に聞いた

    BLOGOS しらべる部

  9. 9

    山本太郎氏 自民めぐる発言釈明

    山本太郎

  10. 10

    カルビ並と上 違いは見た目だけ?

    BLOGOS しらべる部

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。