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「人権=思いやり」という洪水のような「教育」

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いじめ問題を本当に人権教育として扱うとすれば?

 いじめ問題は子どもにとってきわめて身近で切実な人権問題である。

 しかし、それだけに「思いやり」問題として語られやすく「人権=思いやり」という考えに容易に導かれやすい。周りの配慮の問題としていじめが語られる。

 いじめが人権問題であるということを教える場合、確かにいじめが人間の尊厳を犯す行為=人権侵害だということを認識させるのは出発点になるだろう。

 しかし、切実なのは、いじめの多くが犯罪を構成する人権侵害であるがゆえに、いじめを停止させ、犯罪者を処分・処罰・隔離する責任が学校や公的機関には生じること、また防止する責任がそうした機関にはあること、そうした停止・防止をさせるために権利主体としての子どもにはどんなツールがあるのかを教えること、実際にそうしたツールを使えるように訓練し、使いやすいように改善すること――こうしたことが本当の意味でのいじめ問題における人権教育となるはずだ。つまり権利の主体であること、人権保障についての公的なものの責任について教えるのだ。

 根本的には、学校や公的機関が行ういじめの防止策や停止措置が実効的なものかどうか、どう改善すべきかについて意見表明をする権利さえ子どもにはある。(このことはいじめ問題を「道徳問題」として扱うことと矛盾するものではない。それはそれでやればいい。)

 冒頭の記事で扱ったLGBT問題も同じである。

 例えば福岡市はパートナーシップ制度を行政として取り入れたことだけが「先進的」であるかのように扱われているが、日常的には就職・就学・生活の場での様々な差別が行われている実態とそれを禁止し防止・救済する市としての手立てについてはほとんど無頓著だ。共産党市議が性的マイノリティへの差別禁止を含めた条例の制定を求めたのに対し、市長は応じていない。福岡市が行なっているのは行政として差別的な取り扱いをしないことと、市民に対する啓発・相談のみである(下記動画の37〜41分)。

www.youtube.com

人権が道徳の土台となる可能性について

 最後に「人権=道徳ではない」という言葉について。

 「人権=思いやり」という世に跋扈する危険なすり替えへの批判はすでに上記までで行ったから、以下は読みたい人だけ読んでくれればいいと思う。

 ぼくはこの記事における「人権=道徳ではない」を「人権=思いやりではない」と微妙に言い換えた。

 というのは、人権は道徳そのものではないが、人権を学ぶことを道徳の出発点とすることはありうるからである。

 道徳とは、社会と切り離された、個人の心の中にある「徳目」ではない。

 教育学者の佐貫浩は道徳性について、

道徳性は、社会的矛盾の根源に向かうことを断念して、その矛盾を心の有り様で対処しようとする心の技術、あるいは心を操作する技術であってはならない。(佐貫『道徳性の教育をどう進めるか』p.51)

と前提しつつ、

道徳性とは、何が自分の取るべき態度(正義)であるのかを、他者との根源的共同性の実現――共に生きるということ――という土台の上で、反省的に吟味し続ける力量であるということができる。(佐貫同前)

 と述べている。また、「市民的道徳」として「本質からいえば、この人間の尊厳を基本として他者と交わることにほかならない」「非人間化とも呼ぶべき現実社会への批判と変革の視点を欠いては、人間の尊厳は維持できない」(佐貫前掲p.59-60)とも述べている。

 つまり、個人の尊厳が守られるような人との関わり方を、たえず考え(反省し)、たえず組み替えていく力が道徳なのであり、その「組み替え」には社会のあり方やルールを無前提にせずにそれを批判し組み替えることも含まれているというのだ

 具体的に考えてみる。

 今日(2019年5月6日付)の「しんぶん赤旗」には、同志社大学大学院教授の内藤正典の外国人との共生についてのインタビューが載っている。

 外国人との共生問題は、いかにも「心」の問題、受け入れる側の個人の態度に終始しそうな話である。事実、記者はこの記事の中で「外国人と共に生きていくにはどのような心構えが必要ですか」と聞いている。

 内藤はまず同化を求めるやり方を批判する。

 これはわかりやすいだろう。

 しかし次に、「多文化主義」の限界をも批判する。

多文化主義は異文化の人たちにも同じ権利を認めますが、互いをよく知ろうという相互理解を前提にしていません。相手のことを何も知らない場合、何かのきっかけで異文化への恐怖や憎悪を抱くと、一挙に溝が広がってしまいます。

 同化もだめ、多文化主義も限界がある。では、どうすればいいのか。内藤は、

どこまでは自分たちの価値観に従えといえるのか、どこから先は彼らの自由にまかせるのか、外国人の声を聴き、私たちの意見を述べたうえで、約束をつくることが必要です。

と提案する。これは対話によって「個人の尊厳が守られるような人との関わり方を、たえず考え(反省し)、たえず組み替えていく」態度そのものである。

 そしてこの記事は、外国人労働者について新制度そのものの問題点を内藤に語らせている。外国人を単なる「労働力」とみなす政策への批判と組み替えが前提となっているのだ。

 今の社会・政治を無前提に受け入れて心のありようのみを問題にするのではなく、社会制度の批判と組み替えを十分に意識したうえで、他者との関わりを対話によって開かれた形で組み替えたり反省したりして模索しようという態度こそ、本当の意味での道徳(市民的道徳)である。

 先ほど紹介した阿久澤も、人権教育のあるべき姿として、ぼくらがまず人権という権利の主体であることを出発点にすえることを説いている。

自らの権利を学び、権利の主体であること〔を〕実感することは、自分が社会の一員であり、パブリックな領域で問題解決の主体となれる――社会の中に「居場所」をもつと実感する――ことである。そうであるなら、人権問題の解決が私的領域に追いやられることは、数多くの他者との対話や協働の機会からの排除を意味する。人権教育が「権利を学ぶ」ことからスタートするのは、学習者のエンパワメントに寄与すると同時に、他者との広くて豊かなつながりを担保するためである。(阿久澤前掲p.52-53)

 このような意味においてのみ、人権が他者との関わりの土台となるという、道徳の領域の話になる。

*1:人権尊重推進協議会(人尊協)。

*2:しかしわいせつをめぐる表現の問題は、実は大人になってマンガをこよなく愛する自分にとって切実な問題だと気づくのであるが。

*3:ぼくの出身地の愛知県の三河地方では一部の「同和教育」の流れを汲んで差別を私人間の心の持ちようにだけ押し込める「人権=思いやり」論はほとんどなく、憲法学習を「表面的」にするパターンが多かった。

*4:もちろん、私人が誰かの人権を「尊重」する意識を持つのは大事なことだし、積極的に権利調整の意識を持つことも決してマイナスではない。

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