2005年に公開された『ALWAYS 三丁目の夕日』は日本アカデミー賞・最優秀作品賞を始め、数々の賞を受賞。以降も『永遠の0』『STAND BY ME ドラえもん』などで華々しい賞を獲得する山崎組だが、その映画づくりはチームワークの賜物でもあった。さまざまなスタッフをまとめ上げる映画監督という職業は、企業に例えれば経営者のような役割とも言える。中編では、幾多の監督賞に輝いた山崎貴監督にリーダーのあるべき姿について聞いてみた。
取材・文/青山敬子 撮影/公家勇人
始めて映画を撮ったのは中学生のとき。思えば、映画づくりは学園祭に似ている
みんなの介護 映画をつくる作業というのは、時間も費用もかかるので、簡単ではないと思いますが、やりがいも大きいのでしょうね。
山崎 そうですね。何と言っても、映画をつくるプロセスが好きです。「その日」のためにテーマを決めて、みんなで準備して、多くの人に観せて喜んでもらう。そういう学園祭みたいなノリが楽しくて。
そもそも僕の監督人生の原点も、中学校の学園祭で映画をつくったことなんです。
みんなの介護 中学生の頃から映画をつくられていたんですか?
山崎 はい。友だちの親戚の方に頭を下げて8ミリカメラを貸してもらって、フィルムは友だちとバイトして買って…。
お話はクリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』(2014年日本公開)のようなテーマで撮りました。住めなくなった地球の代わりの星を探しに行く話です。
故郷の長野県・松本市には美ヶ原という高原があるのですが、ゴツゴツした岩がたくさんあって惑星っぽい雰囲気がちゃんと出るんですよ(笑)。父親の会社の工場に宇宙船のコックピットっぽい機械があって、コッソリ入ってそこでもロケをしました。
みんなの介護 楽しそうですね。それだけでも映画になりそうです。
山崎 いつか映画にしたいと思っているんです。興行的には成功しなさそうですけどね(笑)。
それで、その5分ほどの映画を学園祭で上映したところ大好評になったんですよ。学校中の生徒が観たんじゃないかな。とても嬉しかったですね。そのときに興行の楽しさとか、たくさんの人に観てもらう喜びを覚えてしまって、ずっとそのノリで、学園祭をやっているような感じですね。今でも公開日にはワクワクしますよ。
たくさんの人に届ける映画をつくるには、たくさんの「脳」を使ったほうが良いんです
みんなの介護 中学時代の経験が今の山崎監督をつくっているのですね。
山崎 はい。いろいろな映画のジャンルがあるなかで僕がエンターテイメント作品にこだわるのは、あのときたくさんの人に観てもらえたことが嬉しかったからでもあります。「人に観られてナンボだな」って直観的に思ったわけです。
だから、子どもからお年寄りまでいろんなお客さんに楽しんでもらうために、今もエンターテイメント作品をつくっています。
みんなの介護 監督は、いわゆる「昭和ネタ」以外では『寄生獣』(2014年)など、現代の漫画を原作にした作品も手がけられていますね。
山崎 子ども時代を過ごした昭和にノスタルジーを感じてはいますけど、作品のテーマとして「昭和でなければいけない」ということではありません。
ウルトラマンシリーズなどの特撮モノも大好きでしたから、『寄生獣』の撮影は楽しかったですね。若い人向けの作品だったので、若手のスタッフにもたくさん意見を言ってもらいました。
エンターテイメント映画は、多くの人に観てもらうものなので、個人の気持ちだけでつくっちゃダメなんです。人に届かないと意味がないですから、つくる側もたくさんの「脳みそ」を使ってつくらないと。
みんなの介護 たくさんの「脳みそ」、ですか?
山崎 はい。例えばプロデューサーたちも出席する「本打ち」という、脚本(ほん)の打ち合わせがあるんですが、僕、今でもすごく叩かれますよ。「これは伏線になっていない」とか「これは意味がない」とか、ガンガン言われるんです。
それで、最初の頃は人格を否定されたような気持ちになって、泣きながら脚本を書き直してたんですけど、やっぱり、自分が気づかなかった点を指摘してもらえることってありがたい。人によっていろんな見方があるので。「なるほどね」とか言ってスルーすることもありますけど(笑)。
みんなの介護 そんなご苦労があってこその名作なのですね。