記事

「象徴」って、何?~天皇はミッキーマウスたれ?

2/2

二つの象徴、天皇とディズニーの類似性

では、天皇の象徴としての存在はどのようにあるべきだろう。そこで、ちょっと天皇家には無礼かも知れないが、機能的に類似し、かつ同様のよく認知された象徴を引き合いに出しつつ、天皇家のあるべき象徴としての存在について、その変動性の視点から考察してみよう。比較対象として取り上げてみたいのはディズニーだ。ディズニーという企業、そして文化にとって、その象徴=シンボルとなる存在は二つ。創設者のウォルト・ディズニーとウォルトの分身的存在であるキャラクター、ミッキー・マウスだ。

政治的なシンボルとしてのウォルトディズニー

まずウォルト・ディズニーという象徴の場合。ウォルトは1966年に他界しているが、その後もディズニーの理念を踏襲する人物、ディズニー精神の象徴=シンボルとして機能し続けている。

ウォルトが考案し、後にディズニフィケーションと揶揄された、既存のストーリーからバイオレンスとセックス、複雑な展開を省略しハッピーエンドにしてしまう映画作りの手法や、ファミリーエンターテインメントの下、家族全体に娯楽を提供する遊戯施設・ディズニーランドを展開する戦略などがその典型で、死してもウォルトは依然としてディズニー社を支配する政治的な存在として君臨し続けている。つまり象徴=示すものでありながら、相変わらず示されるものを強く規定し続けている。

これはタイの前国王・プミポーン国王も同様で、生前には単なる国家の象徴でありながら、政治に意見したり、またクーデターの際には再三収拾を図る存在として機能した。ともに、一件「君臨すれども統治せず」のスタンスにあるようでいて、統治の側面にまでコミットメントし続けたのだ。

キャラクターとしての存在の希薄なミッキーマウス

一方、ミッキーマウスはウォルトとは異なっている。ミッキーはウォルト同様、ディズニーを象徴する存在だが、ミッキー自体はディズニーには、ある意味直接関与しない。これはミッキーには性格がほとんどないことが影響している。

性格に関してはミッキーマウスマーチの歌詞にある「強くて、明るい、元気な子」というキャッチフレーズだけ(かつては存在したが、時代とともにキャラクターは脱色された)。しかもミッキー自体は本編の映画にはほとんど登場しない(ほぼ、初期の作品に限定される。近年の例外的な作品は「アナ雪」の際、同時上映された”Get a Horse”程度。しかし、この映画で再現された、かつてのミッキーの乱暴な性格は現代のファンからは不評を買った)。だが、ミッキーは、こうした「キャラクター的には薄い存在」になったことによって、却ってディズニーの象徴としての機能を強烈に発揮することになる。

ディズニー作品、ディズニーキャラクターにはロゴとして丸三つで構成されたミッキーが添付されるが、これによって、たとえそのキャラクターや商品がディズニー世界からは遠いものであってもディズニーブランドであることが証明されるからだ(東京ディズニーシーのキャラクター・ダッフィーはその典型だ。このキャラクターはディズニー的性格を隠れミッキーのマーク以外持ちあわせていないが、今やシーの看板スターだ)。

つまり、自らはしゃしゃり出ず、透明な存在として他のキャラクターを応援したり、ただとりまとめたりしてディズニーブランドに寄り添うことで、ディズニー世界を担保するという機能を果たしている。もし人物やキャラクターとしての主張がれば、ミッキーはウォルト同様、政治的な存在となり、現在のようなブランド、そしてロゴとしての機能を失うだろう(だから”Get a Horse”は不評だったのだ)。言い換えれば、その存在は薄ければ薄いほど、象徴としての機能を果たす存在といえる。

天皇は象徴としてはミッキーマウス的であるべき

さて、ここまでお読みいただいた方は、僕が何を言わんとしているかはそろそろお解りだろう。象徴天皇としての天皇の役割は、現在のミッキーマウスの役割と同じであるべきということなのだ。

ミッキーマウスはウォルトやプミポーン国王のように、自らの存在を結果として前に出すのではなく、自らは控えめで他のキャラクターの援護射撃をする、つまりこれらに寄り添うことでディズニー世界、そしてキャラクターやグッズがディズニー世界の一員であることを保障する。

象徴天皇も政治的にはコミットせず、ただ国民に寄り添うことで、国民が国民であることを認知させるという機能を果たす。おそらく、これが象徴天皇としての役割であり、平成天皇が実践してきた様々な活動だろう。だからこそ全国各地を訪問して国民と関わり合いを持ち、また頻繁に被災地に慰問に出向いていった。そうした意味で平成天皇の象徴天皇としての実践は極めてまっとうなものであったと評価すべきではないだろうか。

問題は象徴天皇をコントロール可能なのが天皇だけではないこと

ただし、前述したように「象徴」、とりわけ人物がその対象となった場合には、その恣意性が高まることには代わりはない。そしてその恣意性、つまり示すものと指し示されるものの関係の接続=いわれの設定は、なにも天皇一人が操作できるものでもない。

そのはじまりからそうであったように、天皇は政治的象徴として、本人の意図とは関係なく利用され続けてきたという歴史があり、あたりまえだが、そのことを看過することは出来ない。それゆえにこそ国民としても、天皇としても「象徴天皇とは何か」を問い続ける必要があるのだ。そして、繰り返すが平成天皇はそのことを常に考察し続けてきたと僕は認識している。

さて、令和天皇は象徴天皇という自らの役割をどのように規定するのだろうか?おそらく平成天皇同様、政治とはきちんと一線を引くという方向を採用するだろう。ただし、やはりここに象徴天皇を政治的に利用しようとする政治権力が登場することも事実だ。

だから結局、平成天皇も令和天皇も、たったひとつのことだけは政治的にふるまわなければならないことになる。こうした政治的権力による象徴天皇機能の利用をいかに避けるかというメタ政治的な政治活動がそれだ。イギリス国王は「君臨すれども統治せず」を基本とするが、天皇は「君臨も統治もせず、国民に寄り添う象徴=ミッキーマウスであり続ける」ことが、令和天皇の課題となるだろう。平成天皇が目指していたように。

あわせて読みたい

「天皇陛下」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    GoTo見直し 協力体制みえず幻滅

    中村ゆきつぐ

  2. 2

    新井浩文が語った「性的武勇伝」

    文春オンライン

  3. 3

    コロナ禍で缶コーヒー離れが加速

    文春オンライン

  4. 4

    よしのり氏「皇女」案に危機感

    小林よしのり

  5. 5

    意見広告は嘘でも許容されるのか

    島田範正

  6. 6

    GoTo停止の是非を論じる無意味さ

    木曽崇

  7. 7

    赤旗は佐藤優氏批判する資格なし

    鈴木宗男

  8. 8

    よしのり氏 コロナの正体見たり

    小林よしのり

  9. 9

    医療崩壊を煽る報道に医師が怒り

    名月論

  10. 10

    トランプ氏が大統領選でついた嘘

    文春オンライン

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。