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永井義男『江戸の糞尿学』

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 この中に、万葉集の巻16にある歌(の大意)が紹介されている。

からたちと  茨(うばら)刈り除(そ)け   倉建てむ  屎(くそ)遠くまれ  櫛造る刀自(とじ)

(枳  蕀原苅除曽氣  倉将立  屎遠麻礼  櫛造刀自)

 歌の大意は「この辺りのいばらを刈り取ってコメの倉庫を建てようと思ってんだけど、あのー、そこで髪の毛を櫛でときながら野グソしている奥さん、もっと遠くでウンコしてもらえませんかねえ?」で、万葉集らしい大らさがあり可笑しかった。

 ちなみに「まる」は「放る」で、ウンコをするという意味だ。「おまる」の語源である。愛知(三河地方)の実家では父母以上の世代は「まる」という言葉をよく使っていた。

 ただ、詳しさと面白さという点ではやはり永井の『江戸の糞尿学』(作品社)が圧倒的だった。

江戸の糞尿学
作者: 永井義男
出版社/メーカー: 作品社
発売日: 2016/01/29
メディア: 単行本
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 解説としても至れり尽くせりで初めに「基礎知識」がある。

 排泄したばかりのものは有害でむしろ植物を枯らせてしまうこと、発酵させる必要があることなどが示される。2つの肥桶を天秤棒で担ぐスタイルは、中身と桶と合わせて60キロに及ぶ。しかも江戸時代のそれはフタがない(明治に入ってからフタがついた)。

 ぼくは実際に農家から天秤棒を借りてきたので、天秤を担いでもらおうと思っている。しかし60キロはさすがに重いな……。

 次に江戸時代以前の糞尿処理事情(第1章)。

 万葉集の時代には野糞でよかった。それはなぜかを考えてもらう。永井が野山の動物の糞が気にならないのは動物が少ないからだと書いているように、人口が少なかったからだ。

 これが一変するのが都市の成立だ。平安京では側溝に捨てていたし、道でも平気でしていた。貴族はおまるにして、やはりドブに捨てていた。

 永井によれば下肥の利用は昔から農村であったはずだが、都市の住民の糞尿を利用して農村で食料を生産し、それを都市に納めるシステムは、鎌倉時代から戦国時代に成立したのではないかと述べている。ぼくも農学者に意見を今回聞いてみたが、似たようなことを述べていた。

 永井はルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』を引用しているが、すでに安土・桃山時代にはヨーロッパ人によって日本の下肥利用システム(金を払って糞尿を買うこと)への驚きが語られている。

 第3章が「江戸での都市生活と便所」。長屋ではどうか、江戸城ではどうか、遊里ではどうかなど江戸時代の様々な大小便事情が紹介されていて、まあこの部分が本書の面白さの中核である。

 遊里の糞尿が需要が大きく価格が高かった理由が興味深かった。

 当時、人々の栄養水準は低く、とくに動物性たんぱく質の摂取が極端に少なかった。

 ところが、芝居町や遊里では宴席が設けられることが多く、豪華な仕出し料理も利用された。そのため、こうした場所では人々が普段は滅多に口にしない卵や鶏肉、魚介類を使った料理がふんだんに賞味された。

 その結果、排泄物は質がよくなり、下肥の効果が高かったのである。農民が経験から発見した肥料の効果といえよう。芝居町や遊里の糞尿は農民がほしがり、いきおい値段も高くなった。(永井同書p.92)

 この章に「下肥利用の弊害」が書かれていて、寄生虫問題に一定のページが割かれている。「癪」(腹や胸の激痛)は寄生虫によるものが少なくなかったことや、回虫などを口から吐くことは昭和時代までよく見られた光景であることが記されている。

 ぼくは不思議に思ったのは、人糞は腐熟(発酵)によって発熱し、寄生虫の卵を殺すということがさまざまなものに書かれているのに、なぜ寄生虫が蔓延したのだろうということだった。また、鶏糞や牛糞は大丈夫なのだろうかと思った。

 ただ、よく考えてみれば、別に腐熟を適正に管理する法律があるわけでもなく、十分に処理もされない下肥、寄生虫の卵がついたままの器具がどこにでもあった時代なら、そりゃあまあ蔓延するわなと思い至った。

 逆に言えば、人糞は適正に処理するなら現代でも肥料にはできるはずのものだと思った。藤田千枝『大小便のはなし』は1980年代に書かれた本だが、宇宙での大便の利用方法として大便でクロレラを育てて食料にするという話が出てくる。調べてみると今は宇宙では尿は再利用して飲んでいるが、大便はまとめておいて大気圏突入の熱で燃やしているらしいのだが……。

 第4章の「下肥の循環システム経済」は認識を新たにした章だった。

 というのは、肥料が売れるというのは「小遣い稼ぎ」程度の話かと思っていたのだが、その認識はとんでもないことであって、農業という当時の経済、特に江戸近郊の農業の太い必需品だった。

 このために、まず農民が高いお金を払って糞尿を集める。貧しい農民はなかなか買えない。

 そして、都市では土地や長屋を所有している地主・家主にとってかなり大きな収入源となっていた。

 また、これを集めるために大規模で重層的な下請けの組織が農民側に登場する。この親玉(豪農)は汲み取りの実務には携わらず、上前だけをハネる。

 そして、「水増し」が横行する。泥水を混ぜたりする粗悪品ができるのだ。

 いわば燃料・原料的な意味合いを持った重要な商品であったので、この獲得、料金をめぐり社会紛争が起きている。「下肥をめぐる騒動」という記述がそれだ。

 つまり糞尿をめぐる経済は江戸時代にとって決して小さなものではなかったという認識を新たに得たのである。

 ここには糞尿(下肥)の価格(売上価格)が書かれている。

 3780荷で180両だとある(p.192)。ただ、これがどれくらいの量かは永井の本には書いていない。だから単価がよくわからない。

 計算してみる。

 1荷はさっきも述べたが天秤棒でかつげる重さであり、桶2つなので16貫、つまり60kg。桶の重さも入っているのではないかと思うのだが、いろんなサイトを見ても肥桶一つが38リットルで8分目で30リットル、つまり2桶で60リットル(水であれば60キロ)だとしている。

http://sinyoken.sakura.ne.jp/caffee/cayomo041.htm

http://www.asahi-net.or.jp/~jc1y-ishr/yota/Tsubozan.html

 60L×3780荷=22万6800L

 1両をどう計算するかだが、下記のサイトを参考にすると1両=13万円。

manabow.com

 13万円×180両=2340万円。

 2340万円÷22万6800L=103円/L。

 ウンコとおしっこ(屎尿)1リットルあたり100円である

 第5章は近代以降の下肥利用についてである。

 下肥利用は昭和になっても続くが、人口の増加・都市集中(供給過剰)と農業における下肥利用の低下(需要減少)によって、糞尿は農家が買い取るものではなく、都市住民がお金を払って買い取ってもらうものに変化する。それが大正時代である。また東京市が屎尿処理を公営化するのもこの頃である。

 本書によって都による糞尿の海洋投棄は1997年まで続いていたことを知った。

 第5章の終わりに「平成」という節を永井は設けている。

 水洗化率は現在9割を超えているという。「住宅・土地統計」によるものだが、まだ9割かと逆に驚く。ただそれでも9割である。

 1988年に66%だったから、この30年で劇的に向上したことになる。便座のシャワーは77%の住宅で設置されている。

 自分の排泄物を見なくても済むのである。

 便座に腰をおろしたままで水を流せば、自分の排泄物をいっさい目にすることなく排便をすますことも可能である。さらに技術が進めば、トイレ内の臭気を完全に消し去ることもできるであろう。

 自分の糞便すら、その色や形を目で見ることなく、その匂いを鼻でかぐこともなくなる……。(永井p.230)

この30年はウンコが消えた30年だと総括することができる。

*1:究極的には蒸気によってタービンを回す技術であることが多いが。

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