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貴乃花は真の大横綱、巨漢力士時代に「寄り切り」で勝ったから

2001年5月場所、武蔵丸を下して優勝した瞬間(共同通信社)

平成を彩るアスリートを振り返るとき、大相撲の若貴ブームははずせない。ブームではあったがその強さ、とくに弟の貴乃花の大横綱ぶりは今でも語り継がれる見事さだった。巨漢力士時代に「寄り切り」で勝ち続けたからこそ、真の大横綱だったと、元NHKアナウンサーの杉山邦博氏が「大横綱・貴乃花」について語った。

大相撲の王道を歩み続けた大横綱です。一切妥協することなく真っ正直に立ち向かう姿勢を貫いた、後世に名を留める名力士であり、平成の相撲ブームに火をつけたのが貴乃花でした。

同じ大横綱として大鵬、北の湖、千代の富士の名前が挙がるが、大鵬と北の湖は同世代の力士の中では大柄な体に恵まれました。しかし貴乃花は小錦、曙、武蔵丸ら200キロを超える巨漢力士の中での土俵でした。ハワイ勢の台頭は相撲の国際化に貢献しましたが、そのパワーを見て角界全体が大型化に走ることになり、技より体に頼る力士が多くなって、相撲が大味になっていった時代でもあったのです。

そんな巨漢力士のパワーに席巻されかねない状況下で、逃げることなく正面から立ち向かったのが貴乃花でした。そういった状況下での22回の優勝は価値があるものだと思います。

大横綱と呼ばれた力士たちは、それぞれに強さの個性がありました。出足鋭い北の湖、左前みつを取って一気に寄る直線相撲の千代の富士が攻撃型なら、左右どちらの四つでも対応した貴乃花は、大鵬と同じく防御も備えた横綱でした。横綱在位429勝中、寄り切りが半数を超える。この記録こそが貴乃花の安定感を証明しています。

私は父親の貴ノ花(元大関)の現役時代から自宅に伺う機会が多く、若貴兄弟のことは少年時代から知っていました。子供の頃から父の背中を見て育った兄弟が力士になると聞いた時には、喜びを禁じ得ませんでした。無類の弟思いの兄の勝君(元横綱・三代目若乃花)の全面的な協力もあって、弟の光司君は大輪の花を咲かせることができました。真っ正直に土俵を務める姿は父親譲りのものでした。

父の貴ノ花は横綱になれなかった悔しさが弟子育成のバネとなりましたが、その思いが兄弟にも伝わったのでしょう。兄は父と同じような小さな体で横綱となり、弟は大横綱として一時代を築きました。踵に目があると言われた伯父の初代若乃花の遺伝子もあるのでしょうが、貴乃花の功績は相撲史に長く残ることは間違いありません。

多くの相撲ファンは印象に残る一番として、7場所連続休場の原因となった平成13(2001)年5月場所の武蔵丸との優勝決定戦を挙げますが、私は平成6(1994)年九州場所千秋楽の横綱・曙との一番だと思っています。

前場所に全勝優勝しながら横綱昇進を見送られ、貴ノ花から貴乃花に改名して迎えた九州場所。曙のカチあげに動じず左四つに組み止め、お互いに寄りを投げでしのぐ。動きが瞬時も止まらない大相撲の末、貴乃花が上手投げで逆転勝ちしました。これで2場所連続全勝優勝を飾り、何人も口を差しはさむ余地のない形で横綱昇進を決めました。双葉山以来の57年ぶりの記録となった曙戦こそ、貴乃花の真骨頂でしたね。

●取材・文/鵜飼克郎

※週刊ポスト2019年5月3・10日号

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