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米津玄師『Lemon』の「ウェッ」に寄せて

今更、一年以上前にリリースされたヒット曲の話で恐縮なのだが、平成が終わり令和が始まる今だからこそどうしても書いておきたい話がある。

この10年ほど国民的ヒット曲が生まれてこなかった中で、2018年の3月にリリースされた米津玄師さんのLemonは、久しぶりに年代を問わず「この曲なんか良いね」と受け入れられ、多くの人が口ずさんだ曲だった。



この曲、聴けば聴くほど(プロはすぐにわかるのでしょうが)、ありとあらゆる側面から考え抜かれた曲であることがわかる。こんな音楽理論を手玉に取るような技工を凝らしたとんでもない曲を、なんだか耳馴染みのよい大ヒット曲にまとめ上げる米津氏の才能は本当に凄まじい。

――などと小難しい感想を述べたが、当記事で言及したいのは、曲中にさし込まれている「ウェッ」についてである。

日本国民が考えた「ウェッ」の必要性

私だけでなく多くの人が、最初は「なんだこれ?」「このウェッはいらねーだろ」と感じると思うのだが、Lemonを聴けば聴くほど、この曲と歌詞には「ウェッ」が必須であり、すべての「ウェッ」が不規則に、でも、考えつくされたポイントにだけ入っていることがわかる。

ググってみると音楽理論からこの「ウェッ」の必然性を解説してくれている人もいて、なるほど、そういう理屈なのかと感心させてもらえるのだが、米津氏当人はこの「ウェッ」に関しては、「頭の中で鳴っていたのだからしょうがない」と語っていたらしい。

この「ウェッ」が、理屈で考え抜いた上での「ウェッ」なのか、天才であるがゆえの「ウェッ」なのかなんてことを議論してはいけないと思うし、もし「ウェッ」がなかったらLemonはこんなにヒットしたのかという議論にも意味はないだろう。

ただ、来る日も来る日も作曲で頭がいっぱいの天才が、Lemonという曲には「ウェッ」が必要だと思った。それで十分なのだ。

その結果、凡人が、あとからあらゆる角度でこうして「ウェッ」について想いを馳せる機会を与えてもらったのだから、ただそれだけで幸せな話だと私は考えている。ウェッ。

芸術も音楽も仕事も、どれもが「自己表現」だ

ところで、このLemonという曲「ウェッ」だけでなく、和音のとり方からいろいろなところで、一般的な音楽理論から外れているらしい。予定調和のコード進行から意図的に外したコード進行が、この曲の不安感や情緒感、何度も聴きたくなるスピード感を生んでいるのは、音楽理論がよくわからない素人でもなんとなくわかる。

作曲に限らず、あらゆるハイレベルな芸術作品とは、中世から組み立てられた理論体系を踏まえた上で、その理論体系をどう超え、そこに一味加えるかを楽しむものなのだと私は思っている。

まれに何も知らない天才が現れて、素晴らしい作品を遺す場合もあるが、論理体系を学ばない天才は、数多くの作品は残せない。本物の天才とは、過去から現在、そして未来へと続く文脈を踏まえた上で、「今、生きている自分をどう表現するか」を考え、かつ生活の何もかもを捨てるほどに執着して、作品を遺す人たちなのだと思う。

だが、はたしてこれは芸術作品だけの話だろうか。きっと読者のみなさんがしている日々の仕事にも、どこかに自分自身を表現する余地は残っているはずだ。

私がいつも考えているのは、実は多くの仕事には芸術作品的要素があり、仕事を通じて自分を表現する方法はたくさんあるということだ。ましてや私が日々携わっている、スタートアップ・ベンチャーの立ち上げなんて、「個人の存在の証明」という動機なしでは成功し得ないものだと確信している。

がんじがらめの社会を作り出した「平成」

平成の30年間は、さまざまな分野で組み上げられてきた理論体系を踏まえた上で、そこからはみ出し、自己表現しようとする人間を排除することが「正義」とされてきた時代だったように感じる。

他人が作った「モノサシ」に自分を合わせ、その意味を考えることなく自分を枠にはめることで、立派な会社に就職でき、出世し、家族を養い、幸せな人生を送れる――。そんな人をせっせと増やしてきたのが平成という時代だったのではないだろうか。また、そういった価値観で過ごしてきた人たちからすると、一般的な理論体系から少しでも外れて自己表現しようとする人の努力は「絶対悪」として認識されてしまう。

もし、そういったタイプの上司を持ち、自分の作品に良かれと思って「ウェッ」を足そうものなら、作品だけでなく、人格まで否定されて組織から排除される。読者の方にも心当たりのある話だと思う。

自分の人生を形作ってきた価値観を脅かすような輩がいたら、徹底的に排除する。そうすることになんの躊躇いもないのは、誰かが作ったモノサシに自分を合わせ続けてきた彼らの自我を保つために仕方のないことなのだろう。

社会を円滑に回すには、そんな真面目で立派な人も一定の割合で必要だろう。また、その多くの人がいい人なのだとも思う。しかし、そんな人ばかりに社会の実権を握らせるだけでなく、「その価値観こそが正義である」という社会すら形成してしまったのが、平成という時代だったように感じるのだ。

令和は「ウェッ」を入れることが許される時代になるか

私自身はそういったタイプの人の存在も認めている。たとえ経済的に落ち目であっても、平和で安全で素敵な国を作ってきた仲間としてリスペクトもしている。

しかし、スタートアップ企業の立ち上げを通じて、日本だけでなく世界に新しい価値観を展開することに人生を捧げている立場からすると、通り一辺倒の理論体系に判断のすべてを押し込めようとする価値観を一方的に強要されたり、「どちらのモノサシが正しいか」といった議論することは、時間の無駄でしかない。

理論から外れることを良しとしない価値観の延長線上には「ウェッ」というアイデアは決して生まれないのだ。

私は、自分の仕事にも自分なりの「ウェッ」を織り込んでいきたいと日々努力・奮闘しているが、表面上の理論体系に外れているというだけの理由で「ウェッ」を取り去ろうとする価値観の人に、「ウェッ」の必要性を論理的に説明するのは自分の美学に反する。そもそも、そんな時間は人生の無駄遣いだとさえ思う。

平成という時代は、社会全体が効率化を求める時代であり、常に単一のモノサシだけで測られる感覚が窮屈で仕方なかった。この時代の最後に、多くの人が「不必要なのでは?」と感じる「ウェッ」が入った曲が大ヒットしたという事実は、間もなく始まる「令和」の時代が、より自己表現をしやすくなる時代になる兆しなのではないかなどと期待している。

私も社会の中で徐々に年長者の立場になってきている。令和の時代は、一人ひとりの「ウェッ」を、社会の中で表現しようと奮闘している人達の努力が、ポジティブに受け止められる時代になるように、少しでも貢献したい。

米津玄師『Lemon』の「ウェッ」に寄せて

(文・イラスト=藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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