- 2019年05月02日 13:09
レオナルド・ダ・ヴィンチ、7200ページの自筆ノートに見るその生涯 『レオナルド・ダ・ヴィンチ』 - 東嶋和子(科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師)
レオナルド・ダ・ヴィンチが仏ロワール渓谷沿いのアンボワーズの邸宅で息を引き取ったのは、1519年5月2日。今からちょうど500年前のことである。67年と3週間足らずの生涯だった。
500年を経てなお、レオナルドの名声は衰えるどころか、増すばかりだ。科学技術の進歩によって、その早過ぎた業績が再評価され続けている。
500年前の傑物がいかにして歴史的な「天才」となったのか。遺された自筆ノート7200ページに基づいてレオナルドの生涯を描ききったのが、本書である。
独自に発掘された新事実は見当たらないが……
著者は、世界的ベストセラー『スティーブ・ジョブズ』(2011年)を書いた米国の評伝作家ウォルター・アイザックソン。『TIME』誌の編集長を経て、ベンジャミン・フランクリンやアルバート・アインシュタインなど、「型破りな天才の伝記」を執筆してきた。
そのアイザックソンが最も書きたかった人物が、このレオナルドのようだ。本書執筆の動機をアイザックソンは次のように語っている。
「私が伝記作家として一貫して追い求めてきたテーマを、彼ほど体現する人物はいないからだ。芸術と科学、人文学と技術といった異なる領域を結びつける能力こそが、イノベーション、イマジネーション、そして非凡なひらめきのカギとなる」
私自身、文科系出身の科学ジャーナリストとしての経験を通して、芸術と科学、人文学と技術という異分野の融合こそが新しいものを生む、と確信している。
その意味で、レオナルド・ダ・ヴィンチの芸術と科学における多種多様な探究の足跡を、私なりに追いかけてきた。『モナリザ』や『最後の晩餐』、『岩窟の聖母』などの絵画作品は、フランスやイタリア、イギリスに赴いて鑑賞した。公開された手稿なども、イタリアや日本で目の当たりにしてきた。
アイザックソン同様、最も心酔する天才の一人が、レオナルドなのだ。そういう一レオナルドファンからすると、本書には、独自に発掘された新事実は見当たらない。
しかし、レオナルドの死から500年を経た現代だからこそ見えてくる彼の先進性と彼の人間臭さを誇張なく、みずみずしく描ききったという点において、比類なき評伝といえるだろう。
7200枚の手稿を読み解き、現地に取材したアイザックソンの根気と執念、読者をぐいぐいと引っ張る筆力には、とにかく圧倒された。
一方で、絵画作品の描写においては、繊細で的を射た筆遣いをしており、レオナルド同様、アイザックソンも芸術と科学、人文学と技術における幅広い見識にあふれる人物であるとわかる。
発表されなかった研究や実現しなかった構想を 手稿から丁寧にすくい上げる
『レオナルド・ダ・ヴィンチ 上』(ウォルター アイザックソン 著、土方奈美 翻訳、文藝春秋)本書は上下2巻におよぶ大作であるが、その構成の巧みさと、豊富な色絵のおかげで、読み始めたら止まらない。ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだときのようだ。もちろん、あちらはフィクションなので、サスペンスは当然だが。
本書がむしろ『ダ・ヴィンチ・コード』以上に興奮するのは、レオナルドの生きた500年前のイタリアやフランスが眼前に生き生きと展開するのと同時に、現代の、新たに見出された絵画作品をめぐる真贋のストーリーや科学的発見が重層的に織り込まれることだ。
『美しき姫君』と呼ばれる作品の鑑定をめぐる話は、「この天才と向き合う醍醐味の一つ」である紆余曲折の作業を紹介する。
<シルバーマンが発掘した肖像画をめぐっては、探偵のような推理、先端テクノロジー、歴史探究、鑑定家の判断といった要素が入り混じる壮大なドラマが展開された。芸術と科学を織り交ぜた学際的探究は、レオナルドにふさわしい。彼なら人文学を愛する人々とテクノロジーを愛する人々の共同作業を心から応援したことだろう。>
また、レオナルドが自ら人体や動物を解剖するなど、実験や観察を通して人体や自然、天体の法則を見出そうとしていたことはよく知られているが、いずれも研究成果として発表されることはなかった。
本書では、発表されなかった研究や実現しなかった構想を手稿から丁寧にすくい上げ、レオナルドの死後、500年の間にわかってきた事実を紹介する。
たとえば、2014年、オックスフォード大学の研究チームは、生きている人間の血液の複雑な流れを磁気共鳴映像法によってリアルタイムに観察し、「レオナルドが正しかったことを明確に証明した」。
「われわれは生きている人間を使い、心臓収縮期に発生する渦に関するレオナルドの予測が正しかったこと、また大動脈基部におけるこうした渦の描写が驚くほど正確であったことを確認した」という。
「解剖学者がレオナルドの主張が正しかったと気づくまでに、四五〇年もかかった」とアイザックソンが嘆息するように、レオナルドは解剖学、光学、幾何学、流体力学などにのめりこんだが、その探究の多くは、当時は日の目を見なかった。
<この空想を現実に落とし込む能力の欠如は、レオナルドの大きな弱点と見なされてきた。しかし、真のビジョナリー(先見性のある人物)には、無理を承知で挑戦し、ときに失敗することもいとわない姿勢が欠かせない。イノベーションは現実歪曲フィールドから生まれる。レオナルドが思い描いたものの多くは、ときに数世紀の時間を要することもあったが、結局実現した。潜水用具、飛行装置、ヘリコプターは今、存在する。湿地の水はけには吸い上げポンプが使われている。レオナルドが運河を引こうとしたルートには、高速道路が走っている。空想はときとして新たな現実の糸口となる。>
「どこまでも純粋な好奇心」を持ち続けた
そして、「その観察力を生かし、生涯をかけて知的好奇心の探究に没頭した人間の産物」が、『モナリザ』である。『モナリザ』一作で、レオナルドが「天才であった証としては十分だ」とアイザックソンは語る。
<曲面に当たる光線、人間の顔の解剖、一定の面積・体積を持つ幾何学図形の変形、激しい水の流れ、地球と人体のアナロジーなど、ノート数千ページ分の探究を通じて、レオナルドは動きや感情の細やかな表現を学んでいった。>
本書を読めば、レオナルドが生涯『モナリザ』を手許に置き、筆を入れ続けた理由が腑に落ちる。彼は、「人類の、自然の、宇宙の秘密をいつも知りたかった」。そして、自分のために『モナリザ』を描いていたのだと。
<『モナリザ』という傑作を描くかたわら、多数の解剖に基づいて比類なき解剖図を制作し、川の流れを変える方法を考案し、地球から月への光の反射を説明し、まだ動いている豚の心臓を切開して心室の仕組みを解明し、楽器をデザインし、ショーを演出し、化石を使って聖書の大洪水を否定し、その大洪水を描いてみせた者はいない。レオナルドは天才だったが、それだけではなかった。万物を理解し、そこにおける人間の意義を確かめようとした、普遍的知性の体現者である。>
序章の「絵も描けます」、そして結びの「キツツキの舌を描写せよ」は、レオナルドの生きた15世紀と現代とを結びつける、著者の思いのこもった章である。私は、「結び」を読んで、不覚にも涙した。
現代を生きる私たち一人ひとりがレオナルドの生き方から何を学びとれるかを、著者は本書全体を通じて問いかける。レオナルドは、「社会のはみ出し者であることを、まるで意に介さな」かった。「どこまでも純粋な好奇心」を持ち続けた。
もう一度、『モナリザ』の前に立ちたいと、本書を読んで切実に思った。
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