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- 2019年04月23日 13:36
平成最後の市議選を振り返って
平成最後となる市議会選挙が終わった。今回の選挙は、時代が変わったのか、雰囲気が違ってきたなと思いをもった。感想を記しておきたい。

開票結果については、こちらをご参照ください。
時代が変わったのかはよく分からないが、これまでの選挙の手法が違ってきていたことが、印象としてあった。
そのひとつは、いわゆる保守系の候補が駅立ちを長時間続けていたことだ。
支援団体、関係団体、地域関係者に集会施設に集まってもらい選挙期間中や事前に演説をすることから無党派、サラリーマンが多い駅頭にあまりこないと思っていたが、今回は違っていた。全員というわけでないが、やりましたよといった形式的な短時間の駅立ちではなく、長時間いた候補がいたからだ。地盤が固いといわれる保守系にしては、票がどれほど積み重なるか良く分からないところでの戦術で逆に大丈夫なのかもとも思ってしまったが、結果はでているので、やはり時代が変わったとしか良いようがないのだろうか。
もうひとつは、市議会議員選挙と思えないような体制で選挙を行っている候補がいたことだ。市議選は、知人友人関係の数人、もしくはひとりで駅頭活動をすることが多いが、何人ものスタッフが一緒にたち、国政選挙かと間違えてしまいそうな体制の候補もあった。これも時代がかわったのだろうか。
例えば、駅頭で演説をするさい、候補者が譲り合って時間を分けたり、場所を変えたりして行うことが行われていたが、演説をしている最中に後からやってきた候補が、選挙カーの音を下げずに話し続けてしまうことや、同じ場所に割り込んで話し出す行為も見かけた。
市民の立場からすれば、複数の候補者が大きな音量で話をするのは騒音以外の何者もないと思うのだが、選挙で気持ちが高ぶっているのか、聞く側、聞かされてしまう側のことを気にしていないのかともってしまう候補もいた。
さらに、のぼり旗などをガードレールにくくりつけて宣伝している候補者がいた。のぼり旗は、屋外広告物として扱われ、東京都屋外広告物条例第七条で、橋や道路標識、信号機、ガードレールガードレールなどに設置してはならないとされているのを無視していることになる。
また、長時間にわたって街頭で演説をする候補もいた。公職選挙法第164条の6で「選挙運動のための街頭演説をする者は、長時間にわたり、同一の場所にとどまつてすることのないように努めなければならない」とされているのにだ。あくまでも努力義務なので罰則はないが、ウルサイ状況を長時間続けることが迷惑になることを想像できないのかとも思ってしまった。
さらに、候補者の写真を掲げている候補もいた。市の条例という規則をつくる議員をめざす候補者がルールを守れないは、いかがなものかとも思ってしまった。これまでにもいなかったとは言わないが、今回は特に多かったように思えてならない。
もっと気になったのは、市が公表しているデータの解釈を間違えていたり、妄想と思えるようなデータにして批判していたりする候補もいた。こんなことで良いのかとも思ってしまった。だから議会が不要となってしまう危惧をしてしまう。
これも時代の流れなのか?
静かでいいよね、ウルサイの嫌との声を何回もかけられたので、一定の評価はあったように思う。それが票につながったのは分からないが。
ちなみに、今回の選挙で選挙カーを使わず当選した候補は、私が知る限りでは3人だ(大きな拡声装置を付けてない車も選挙カーに含める)。落選した候補に使わない候補が多いことを考えると、当選に結びつくかは何ともいえない。
また、演説会ポスターという事前のポスターも貼らなかった。
まちをきれいに、美観を保ちましょうという立場の人間が、貼るのはどうかなと思っていたことや一枚のポスターを貼ると、他の候補が次々にやってきて貼らせて欲しいと言われるのが嫌との声も聞いていたからだ。何よりも費用がかかるのもある。例えばA1サイズ(大き目のポスター)を200枚つくると10万円はかかってしまう。このこともあり、今回はやめてみた。
こちらも当選者のなかでは、事前ポスターを貼っていなかったのは2人だけのように思う。落選者に貼っていない候補が多かったので、こちらも選挙戦術的はどうだろうか。
いずれにせよ、現職議員は、任期4年の活動が評価されるもの。選挙期間中や直前になって活動しているような振りをしても意味がない。有権者もそこを見ている…、と思うがいかがだろうか?
※写真は駅頭の様子。駅頭のマイクを使った演説もウルサイように思え、なるべく少なくし、基本はチラシを配るのがメインの選挙だった

開票結果については、こちらをご参照ください。
■時代が変わったのか?
川名は、党の調整で活動地域を武蔵境地区としていたこともあり、三鷹駅や吉祥寺駅にはほとんど行かなかったが、その前提での感想だ。時代が変わったのかはよく分からないが、これまでの選挙の手法が違ってきていたことが、印象としてあった。
そのひとつは、いわゆる保守系の候補が駅立ちを長時間続けていたことだ。
支援団体、関係団体、地域関係者に集会施設に集まってもらい選挙期間中や事前に演説をすることから無党派、サラリーマンが多い駅頭にあまりこないと思っていたが、今回は違っていた。全員というわけでないが、やりましたよといった形式的な短時間の駅立ちではなく、長時間いた候補がいたからだ。地盤が固いといわれる保守系にしては、票がどれほど積み重なるか良く分からないところでの戦術で逆に大丈夫なのかもとも思ってしまったが、結果はでているので、やはり時代が変わったとしか良いようがないのだろうか。
もうひとつは、市議会議員選挙と思えないような体制で選挙を行っている候補がいたことだ。市議選は、知人友人関係の数人、もしくはひとりで駅頭活動をすることが多いが、何人ものスタッフが一緒にたち、国政選挙かと間違えてしまいそうな体制の候補もあった。これも時代がかわったのだろうか。
■ルールを守らない候補
これらは選挙戦術なので、それぞれの候補の判断によるものだが、社会常識があるのかと思える候補もいた。例えば、駅頭で演説をするさい、候補者が譲り合って時間を分けたり、場所を変えたりして行うことが行われていたが、演説をしている最中に後からやってきた候補が、選挙カーの音を下げずに話し続けてしまうことや、同じ場所に割り込んで話し出す行為も見かけた。
市民の立場からすれば、複数の候補者が大きな音量で話をするのは騒音以外の何者もないと思うのだが、選挙で気持ちが高ぶっているのか、聞く側、聞かされてしまう側のことを気にしていないのかともってしまう候補もいた。
さらに、のぼり旗などをガードレールにくくりつけて宣伝している候補者がいた。のぼり旗は、屋外広告物として扱われ、東京都屋外広告物条例第七条で、橋や道路標識、信号機、ガードレールガードレールなどに設置してはならないとされているのを無視していることになる。
また、長時間にわたって街頭で演説をする候補もいた。公職選挙法第164条の6で「選挙運動のための街頭演説をする者は、長時間にわたり、同一の場所にとどまつてすることのないように努めなければならない」とされているのにだ。あくまでも努力義務なので罰則はないが、ウルサイ状況を長時間続けることが迷惑になることを想像できないのかとも思ってしまった。
さらに、候補者の写真を掲げている候補もいた。市の条例という規則をつくる議員をめざす候補者がルールを守れないは、いかがなものかとも思ってしまった。これまでにもいなかったとは言わないが、今回は特に多かったように思えてならない。
もっと気になったのは、市が公表しているデータの解釈を間違えていたり、妄想と思えるようなデータにして批判していたりする候補もいた。こんなことで良いのかとも思ってしまった。だから議会が不要となってしまう危惧をしてしまう。
これも時代の流れなのか?
■ノー選挙カーは?
以前に書いているが、今回も川名の選挙では、選挙カーを使わない選挙をしていた。駅頭以外は自転車で市内を回るとのスタイルだ。このほうが気軽に市民の方と話ができるだけでなく、自分でやっていても思ってしまう選挙カーのウルサイ音がなくなるので良いのでは思っての選挙だった。静かでいいよね、ウルサイの嫌との声を何回もかけられたので、一定の評価はあったように思う。それが票につながったのは分からないが。
ちなみに、今回の選挙で選挙カーを使わず当選した候補は、私が知る限りでは3人だ(大きな拡声装置を付けてない車も選挙カーに含める)。落選した候補に使わない候補が多いことを考えると、当選に結びつくかは何ともいえない。
また、演説会ポスターという事前のポスターも貼らなかった。
まちをきれいに、美観を保ちましょうという立場の人間が、貼るのはどうかなと思っていたことや一枚のポスターを貼ると、他の候補が次々にやってきて貼らせて欲しいと言われるのが嫌との声も聞いていたからだ。何よりも費用がかかるのもある。例えばA1サイズ(大き目のポスター)を200枚つくると10万円はかかってしまう。このこともあり、今回はやめてみた。
こちらも当選者のなかでは、事前ポスターを貼っていなかったのは2人だけのように思う。落選者に貼っていない候補が多かったので、こちらも選挙戦術的はどうだろうか。
いずれにせよ、現職議員は、任期4年の活動が評価されるもの。選挙期間中や直前になって活動しているような振りをしても意味がない。有権者もそこを見ている…、と思うがいかがだろうか?
※写真は駅頭の様子。駅頭のマイクを使った演説もウルサイように思え、なるべく少なくし、基本はチラシを配るのがメインの選挙だった



