- 2019年04月17日 16:35
あの頃、俺達はゲーム障害/ネット依存だったのだろうか
2/2インターネットという不夜城
それから数年後、私は夜な夜なインターネットを徘徊するようになっていた。
研修医時代以降、だんだんゲーセンに通うのが難しくなっていくなかで、自宅でもできるインターネットに軸足が移り始めていた。個人サイトのリンク集をネットサーフィンして、気が済むまでゲームやアニメの情報を読み漁った。と同時に、テキストサイトをはじめ、いろいろな個人サイトでコミュニケーションを楽しんでいた。『PSO』や『ウルティマオンライン』には乗り遅れたけれども『ラグナロクオンライン』には間に合い、20代後半の活力を惜しげもなく流し込んでいた。
インターネットという名の不夜城に、私はすっかり魅了されていた。
もちろん夜更かしをしているのは私だけではなかった。インターネットにおいて午前0時は正午も同然で、誰もその時間を「遅い」とは感じていなかった。テレホーダイの生活習慣の名残り、という部分もあったかもしれない。2ちゃんねるでも、夜はレスポンスが早かった。あの時代のインターネットは、午前2時に向かって加速していくような性質だった。2007~08年頃の、まだマイナーだった時代のtwitterにしても同じだ。真夜中のtwitterは、サバトのごとし。
2019年から回想すると、よくもまあ、みんな不健康なことをやっていたものだと思わずにはいられない。
睡眠不足や昼間の集中力低下をもって「生活への支障」と呼べるなら、当時の私は生活に支障をきたすことがあったように思う。インターネットへのアクセスがきちんとコントロールできていない、と指摘されても、そのとおりとしか言いようが無かった。「午前0時にプロンテラ南口に集合して、午前2時までハイオーク狩りをする」生活は、00年代の私には自然なのものだったが、2019年の私には不健康とうつる。その不健康なネットライフの代償を、当時の私たちは確かに支払っていたように思う。
当時の私にとって、インターネットの不夜城は心理的に必要だったが、その頼りかた、そのコントロールしきれていないありようは、現在の基準ではやはり不健康な症候とみなされ得るものだった。
「疾病の関連要因」とも「貴重な居場所」とも解釈できる
あの頃、ネットで出会った人々の少なくない割合が、メンタルヘルスの治療を受けていたか、後日受けるに至っていた。2010年代以降に発達障害の診断を受けるに至った人もいる。研究報告では、ネット依存はADHDや諸々の精神障害との合併が多いという*2が、少なくとも私が属していた00年代のネットのヘビーユーザーの集まりは、実際、だいたいそんな感じだったと思う。出会った時点では元気だったけれども、後々になって気分障害や不安障害やパーソナリティ障害と診断されるに至った人、発達障害と診断されるに至った人もい珍しくなかった。
思春期の頃の私が居場所と感じ、アイデンティティを仮託していた場所はいずれも、社会適応の王道と言えそうにないものだった。多かれ少なかれみんな、何かを切り詰めていたり、不健康をおして娯楽やコミュニケーションを求めていたように思う。みようによっては、社会適応しがたい人々がかろうじて社会にぶら下がるための貴重な場所だったとも解釈できるし、みようによっては、アンコントローラブルで不健康なライフスタイルをもたらす吹き溜まりという風にも解釈できるかもしれない。
ただ、ここ30年ほどの社会変化の潮流を踏まえるなら、90年代のハイスコアラーや00年代のネットのヘビーユーザーのような存在が健康/不健康という尺度でまなざされ、疾病という概念に回収されていくことに必然性は感じる。現在の制度下でも医療保護入院になっておかしくないような(ゲーム障害やネット依存の)中核群だけに病名が適用されるのでなく、もっと広い範囲にも適用されるようになるとしたら……おそらくそれは、精神医学自身の奮闘によってという以上に、社会の側にそのような病名を適用したいニーズが潜在していて……ということになるだろう。
「進歩」が「社会に適応する」を変えていく
平成時代にあり得た居場所が、令和時代に居場所としてNGになる可能性は、私はあると思う。社会適応のマイナーバリエーションとして黙認されていたものが、社会不適応のマイナーバリエーションとして認知される可能性も十分あり得ると思う。そうした可能性は、ゲーム障害やネット依存といった領域に限った話でも、精神医学と社会が関わる領域に限った話でもない。平成の30年ほどの歳月のなかで、「社会に適応する」ということの形式や条件はかなり変わった。一般論として、その変化は「進歩」と呼んで差し支えのないものだ。だが、「進歩」があったということは、その「進歩」から取り残されたもの、「進歩」からはみ出してしまっているものは、誰かが何かのかたちで取り扱わなければならない。
ゲーム障害やネット依存を巡る状況がどう変わっていくかを眺めることで、そうした「進歩」の歩みを見定められるのではないだろうか。
これらの概念が、中核群だけに診断が適用されるものに留まるのか。数年を経て燎原の火のごときブームになっていくのか。
私は注視していきたいと思う。
*1:当時の"全一"は、すなわちワールドレコードと考えていただいて差し支えない
- シロクマ(はてなid;p_shirokuma)
- オタク精神科医がメディアや社会についての分析を語る



