- 2019年04月17日 09:15
なぜイオンは女性社員を大量採用するのか
1/2イオングループ創業者・岡田卓也の実姉・小嶋千鶴子は、23歳のとき、家業の岡田屋呉服店の社長になった。その後、同社は女性を積極的に採用することで、大きく成長した。なぜ『イオンを創った女』は、時代に先んじて女性を重用したのか――。
撮影=プレジデント社書籍編集部
■1939年、23歳独身女性が大企業トップになった
1939年、まだ女性に参政権さえなかった時代に、23歳の独身女性が株式会社岡田屋の代表取締役社長となった。このことに対する世間の見方はどうであったろうか。
そのことについて聞かれると、小嶋千鶴子は淡々と「そのとき成人者は私だけだったから。何ら気負いも覚悟もなくそうしたの」と応えている。
それから約74年の時を経て、いまでは女性の社会進出はめざましいものがある。また、その生き方にもいろんな選択肢があり、自由に選べるようになった。特に高学歴女性の意識変化はめざましく、職業的にはほとんどの分野でその進出が何ら違和感なく受け入れられるようになった。
小嶋は戦前と現在を熟知し、さらに社会の変化をいち早く察知して、女性がゆえの視点と企業経営者の視点で数々の施策を講じてきた。
■昭和30年代に女性の社会進出を見越していた
女性の場合には「出産」という男にはない点に気をつけるべきだと小嶋は言う。
また、それに続く育児については、夫の理解はもちろんのこと、法的整備や施設整備といった環境整備が必要なほか、企業による特別の人事制度が今以上になされなければならない。さらに、育児期間終了後の社会復帰にむけたブラッシュアップへのあたたかい支援が必要であるともいった。
小嶋は、昭和30年後半には、これからの女性の社会進出がなされることを予見して、「パートタイマー」の導入をいち早く行っている。また、子育てを終了した女性に対しては「奥様社員」と称した募集を実施して、高学歴でかつ意識の高い“奥様”を社員化したのである。
さらにパートタイマーから社員(契約制社員)への道を開き、単なる仕事の埋め合わせ的な存在から、意欲と能力があり、一定の条件を満たした者に対しては安定した社員への道を開いた。その後も他社にさきがけ大卒の女性を大量に採用して話題を呼んだ。
■「ダイバーシティ」の思想を先取りしていた
これらのことは小嶋が当初から男女・学歴・国籍等にかかわらず採用・登用する人事制度をめざしていたこと、今でいうところのダイバーシティの思想があったから実現したことである。
小嶋は雑誌のインタビューで女性編集長から「経営者としての重責にあるにもかかわらず、結婚していることについて尊敬しています」と言われたことがある。小嶋は笑いながらこう話した。
「戦前は明日死ぬかわからないから結婚しておこうという人がいた。また結婚式の翌日に夫が戦争に行って戦死した人もいるし、私が若いころはそういう刹那的な時代でもあった。今からみると大変に古臭くみえますが、結婚ということについても一つの社会規範のようなものがありました。『有夫の婦』という言葉があり、字のごとく、夫のある女という意味ですが、昭和20年までは、女性がなにか契約をするときは夫の承諾が必要だったのです」
■「古い価値観では女性から三下り半を突き付けられる」
一方、昨今については、このようなことも言う。
「離婚も増えています。身近な人の中でも、まさかと思っていた人が、あっさりした態度で長年の夫婦生活を解消されるのを見ます。これも、他人の目よりも、自分の考える幸福を優先できる意識の変化でしょう」
――時代は変わったのだ。小嶋は「日本の男たちはこのような女心の変化を見逃している。本当のところよくわかっていない。男の古い価値観では女性から三下り半を突き付けられる」と警鐘をならす。
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