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「弱者に優しい社会」は日本人全員を弱者にする - 立花 聡 (エリス・コンサルティング代表・法学博士)


iStock / Getty Images Plus / z_wei

前回まで議論のことを縷々述べてきた。論理的な議論を経て結論を出すと、行動しなければならない。行動して失敗した場合は、誰かが責任を取らされる。責任を取った人は咎められるから、誰もが責任を取りたくない。責任を取りたくないから、行動をしない。行動できないから、議論もタブーとなる(参照:失敗の責任を誰が取るのか、日本企業の落とし穴)。日本企業の中では、なかなか議論がしづらい。議論の結果、不利益になる当事者が現れると、具合が悪い。身近な事例を挙げよう。

「払込用紙」がいまだ健在という驚き

先日、某生命保険会社にメールを入れた。自分の生命保険料の払込みはあと残り1年となる。毎月の支払いは面倒だし、一括前払いしてしまえば、若干の割引もあるから、保険会社に連絡して手続を依頼する。

折り返しの電話がかかってきて一通りの確認を終えると、では払込用紙を日本国内の住所に送るから、それで郵便局や銀行の窓口で払ってくださいと担当者がいう。払込用紙?死語と思われるこの言葉を聞いたのは何年、いや、十何年ぶりか。海外生活の長い私は純粋に驚いた――。日本には払込用紙たるものがいまだ健在なのだ。

「私は海外在住なので、ネットバンキングのオンライン支払先を教えてください」と言うと、「それはできない」と言う。払込用紙がダメなら、「ご来店いただくしかない」と。「海外からその支払いのためにわざわざ日本へ飛ぶのか」と問えば、「そういうことになってしまいます。大変申し訳ありません」。丁寧なご案内だが、笑うに笑えない。

某生命保険のような大企業は真剣にIT化しようと思えば、そう難しいことではないはずだ。半年や1年もあれば、すべてがオンライン化できるだろう。やらないだけ。なぜやらないのか。この規模の大企業なら、IT化の議論はしないはずがない。議論の結果として、オンライン化をやらないことになったのか。それともセンシティブな部分だけ議論を避けたのか。知る由もない。

払込用紙や来店支払い、そうした前近代的な支払い形態を存続させる理由は何だったのか。好奇心に駆られて金融業の友人に聞いてみた。推測ベースだが、2つの大きな理由を挙げられた――。1つは高齢者問題、もう1つは雇用問題。

弱者に優しくするには、コストがかかる

まず、高齢者問題。顧客のなかにインターネットを使わない高齢者が多いことから、オンライン化に踏み切れないという仮説だ。オンライン化をやると、高齢者の顧客から苦情が殺到する。「年寄り切り捨て」「弱者いじめ」と批判される恐れもある。なるほど、一理ある。インターネットを使わない高齢者にオンラインを押し付けるのが過酷だ。そのために払込用紙と来店支払いを維持する。

払込用紙の場合、紙代や印刷代のコストがかかる。顧客情報データの出力、封書の制作や郵送料、どれもコストがかかる。さらに、顧客が払込用紙をもって銀行の窓口に出向くのも時間コストがかかる。銀行の店頭では入金と払込用紙の金額が一致しているかを複数の銀行員がチェックする作業にもコストがかかる。コンビニエンスストアでも取り扱ってくれるが、それも最低1人の店員の人件費がかかる。店頭でバーコードを読取したデータを金融機関などの決済センターで処理するのもコストがかかる。決済センターから保険会社の口座へ入金すると、最後の照合作業ももちろんコストがかかる。

このコストの総和とインターネット決裁のコストを比べれば、どれだけの無駄が出ているかすぐ分かる。これは一企業にとどまらない、日本社会全体の生産性を低下させる原因になっているはずである。

一昨年、夏休みを利用して視察と休暇を兼ねて、北欧へ出かけた。

デンマークの首都コペンハーゲンに到着し、エアポート駅で電車の切符を買おうとしたら、有人窓口がなくすべて自動販売機になっていることに気付く。問題はそこからだ。よく見ると自販機は現金を受け付けない。すべてクレジットカード用になっていた。切符販売の省力化だけでなく、現金売上処理にかかるコストの削減も取り組まれていたのである。

クレジットカードを挿入してみると、自販機は「PINコードを入力してください」という表示が出る。「PINコード」って何?よく分からないので、変に操作してカードが飲み込まれたら厄介だ。まず確認しよう。駅員に聞こうと周りを探しても駅員が見つからない。コペンハーゲン空港の駅は、有人切符売り場もなければ改札口もない。列車のホームにたった1人の駅員が発着の管理と安全チェックのために配置されているだけ。

立ち往生しながらも、最終的に分かったことは、取引PINコードが設定されていないカードは、「123456」でも「000000」でも何でもいいから6桁の数字さえ入力すれば、ちゃんと決済されることだった。

こんな不親切な駅を見たことがない。クレジットカードをもっていない客はどうすればいいのか。電車に乗るな。タクシーでも使ってくださいということになる。安い電車に乗りたければ学習することだ。それこそが成熟社会のモデルではないか。

基準を「先進」に設定するか、「後進」に設定するか。社会の進化という意味で、大方の国は「先進」に基準を設定している。北欧のデンマークも中国もIT化がどんどん進んでいる。できない人は容赦なく置いていかれる。弱者に優しくないと言われたらそこまでだが、弱者に優しくするには、コストがかかることを忘れてはいけない。そのコストは全社会が負担し、生産性の低下を招き、社会の進化を妨害し、最終的社会全体の弱体化につながる。

日本の労働生産性が低いワケ

もう1つ身近な事例を挙げよう。たとえば、LCC(格安航空会社)の航空券は基本的にオンラインでしか購入できない。その分、航空会社のコストが削減されているだけに航空券が割安になっているわけだ。インターネットができない高齢者がLCCを利用できないことで「弱者いじめだ」と航空会社は批判されるべきだろうか。

消費者(Who)差別の問題ではない。資本主義・市場メカニズム(What)の問題である。善悪で評するべきではない。結果的に経済的手段(What)で問題を解決するしかない。インターネットや自動化施設を使わなければ、その分のコストを負担してもらい、割増料金を払ってもらわなければならない。払込用紙使用料や銀行店頭利用料、あるいは電車切符の現金購入手数料、割増実費(プレミアム)を負担してもらうのが合理的であろう。そうすれば、高齢者のネット使用率が一気に上がる。高齢者の認知症発病率が反対に下がるかもしれない。日本社会にとって良いことばかりではないか。

いや、良いことばかりというと、必ずしもそうではない。IT化が進み、AIがどんどん社会に浸透すると、もう1つの問題が発生する。雇用問題だ。保険会社も銀行も店頭サービスをなくせば、店頭担当の従業員が余る。支払いをオンライン化した場合、伝票チェック担当の従業員が余る。それだけではない。払込用紙や商品パンフレットなど多量の印刷物が不要となったら、印刷工場も余剰人員が出る。経済社会の合理化に伴い、消費者はもっと安い商品やサービスを手に入れる一方、合理化で自身もリストラの対象となる可能性が高まる。諸刃の剣である。

雇用維持を目的に仕事を残し、労働生産性を低下させている。OECDのなかで、日本の労働生産性は常に下位。業務の合理化を冷徹にやってしまえば、多くの余剰人員が生まれる。

今の日本は決して景気が良いわけではない。人手不足も表面的な部分にすぎない。人手不足なら、労働市場の需要と供給からして、給料がどんどん上がるはずだ。なぜ給料が上がらないのか。やらなくてもいい仕事をたくさん作り出してやっているから、人が足りなくなり、一人当たりの生産性が低下し、給料が上がらないのだ。

ドラッカーの言葉「There is nothing so useless as doing efficiently that which should not be done at all.(価値を生み出さない仕事をまじめにやっている、これほど馬鹿馬鹿しいことはない)」。

後進や弱者に基準を設置する社会は決して強化されない。残される道は生産性の低下に伴う全員弱化にほかならない。弱者援助は必要だ。ただし自称弱者でなく、本物の弱者を助けることだ。そのためにも強い共同体が不可欠である。

弱者問題には議論が必要だ。議論を忌避しながら「働き方改革」を声高に叫んでも何も変わらない。少なくとも単体企業のなかでは、全社員を巻き込んで議論する時期に来ている。

連載:迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

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