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会社の中では、上司だったり部下だったり、家の中では、夫だったり母親だったり。ひとは常に役割を演じている。役割を果たそうとして生きている。そして、役割の中に自分の存在意義を見出す。
でも、ときどき、役割を演じることに疲れてしまうことはないだろうか。ときには、「家族であること」に疲れ、父親や母親、夫や妻という、家族の中での役割から自分を解放する時間が欲しくなることもある。
「温かさ」「安心感」「癒やし」の場であるはずの「家族」に疲れてしまうのはなぜか。「家族を休みたい」とすら思ってしまうことがあるのはなぜだろうか。
背景には、現代社会における、生命の営みの「タスク化」がある。
生きている限り、食べなければいけないし、排泄しなければいけない。ただダラダラしているだけでアカは出るし、ゴミも出る。身体的な意味だけでなく、身の回りの環境も含めて、常に新陳代謝するのが生命の営みだ。ごく自然に家事や育児もその延長線上にある。
これらは本来、社会的なタスクではなく、生命的に不可欠な営みだ。誰かに押しつけられるものではない。生き物として、自分のことは自分でやるのが基本中の基本なのだ。
でも、家族という集団で暮らしているのなら、まとめてできる部分はまとめてやってしまったほうが効率的だからという理由で、誰かがまとめて食事をつくったり、洗濯したり、掃除をしたりする。余裕のあるメンバーが、ほかのメンバーの分までも「ついでだからやっといてあげるよ」とやってくれる。
昭和の「企業戦士+専業主婦」という完全分業体制では、この生命の営みのほとんどを、専業主婦が担っていた。企業戦士は外で糧を得ることにだけ最適化して進化した。
しかしバブル崩壊後、共働き世帯の数が専業主婦世帯の数を上回った。家族のライフスタイルのモデルチェンジである。当然、「男性も家事を、育児を」ということになる。
そこで新たな葛藤が生じた。夫婦間での家事・育児分担問題だ。
ふたりとも同じように働いている。家にいる時間の中で、どちらがどれだけ家事をするのか、育児するのか……。子供が成長するのは言わずもがな、夫婦関係だって進化する。お互いの仕事の状況だって刻々と変化する。そこに「正解」はない。
ほんとうは、コミュニケーションをサボらず、常に調整しなければならない。海外のホテルで出くわす、出来の悪いシャワーのようなものだ。ようやくちょうどいい水温になったと思ったら、しばらくするとまた熱すぎたり冷たすぎたりして安定しない。その都度調整するしかない。
でも多くの人はその手間に耐えられなかった。慣れていないのだから仕方がない。そして「正解らしきもの」にすがろうとする。そのときに現れたのが、たとえば家事を点数化して平等に割り振ろうなどという発想だ。洗濯は3点、料理は4点などと点数を付け、総合点がイコールになるように割り振ろうというのである。
一見合理的だ。まるで算数の問題を解くかのように「正解らしきもの」が得られるから、瞬間的にはスッキリする。でも大きな落とし穴が隠されている。本来は自分でやるべきことを、相手に押しつけることを「当たり前」だと思ってしまう。そしてお互いに「引き受けた」ことを「タスク」として認識してしまう。これが生命の営みの「タスク化」だ。
タスクの押し付け合いが始まる。より多くの「疲労」や「多忙」を抱える者が、相手にタスクを押しつけるという暗黙のルールが家庭の中にいつの間にかできあがる。こうして「疲労」や「多忙」がまるで「仮想通貨」のように機能し始める。
だからときどき、大げさに疲れたふりをしてみたり、忙しさをアピールしてみたりするようになる。ほとんど無意識的に。さらにはSNSなどで見つけた「できる夫(父親)」「できる妻(母親)」像を根拠に、相手により多くを求めてしまったりもする。
これでは夫婦が、「いたわり合う関係」から、「押しつけ合う対象」になってしまう。自分のほうがより多く我慢していると思うと、相手にも我慢を求めるようにもなる。家事や育児の「タスク化」の末路としての、お互いに首を絞め合うような息苦しい家庭のできあがりである。
「ときには家族を休みたい」という発想は、おそらくこんな構図の中から必然的に生まれた。
父親であろうが母親であろうが、ときには一人の時間をつくって、好きなことをしてみるのはいいことだと思う。趣味に没頭するのも良し、運動をして頭を空っぽにするのも良し、非日常の旅に出るも良し。
ただしそれには当然家族の理解と協力が必要だ。その支えがあってこそ、実現する。つまり「家族であること」からは逃れられない。それでももしあなたがいま、「家族を休みたい」と思っているのなら、次のように考えてみてほしい。
自分は「疲労」や「多忙」を「貨幣」として家の中で振りかざしていないか。家事や育児を「タスク化」して、やってもらうのが「当たり前」だと思っていないか。あるいは逆に、パートナーから大量の「貨幣」を突きつけられ、それに対抗するために「貨幣」をどこかからかき集めようとしていないか。
思い当たる節があるのなら、「どっちが疲れているか競争」や「どっちが忙しいか競争」を自分から降りてみよう。「ありがとう」を言ってみよう。極端な話、最初は心がこもっていなくてもいい。それでも、言葉にすれば、気持ちはあとからついてくる。ゲームの流れが変わる。
そうすれば夫婦は、「押しつけ合う対象」から「いたわり合う関係」にちょっぴり戻る。「家族であること」の安らぎや幸せを思い出すことができる。そこにお互いの「一人の時間」を理解し協力する心の余裕が生まれるはずだ。
はじめはたった5分かもしれない。でもまずはそこからだ。
おおたとしまさ:教育ジャーナリスト。育児・教育・夫婦のパートナーシップなどについて、執筆・講演を行う傍ら、新聞・雑誌へのコメント掲載、メディア出演にも対応している。著書は『中学受験「必笑法」』『受験と進学の新常識 いま変わりつつある12の現実』『ルポ塾歴社会』、など50冊以上。