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「2040年も8割弱は化石燃料」「再生エネの限界」大前提のエネルギー政策を! - 岩瀬昇

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「エネルギーの部屋」運営者の岩瀬昇さんの著書『超エネルギー地政学 アメリカ・ロシア・中東編』(エネルギーフォーラム)が、目下エネルギー業界で話題になっている。

 同書では、三井物産、三井石油開発などで長年、石油取引の最前線を体験してこられた斯界の第一人者である岩瀬さんが、国家戦略と不可分の関係にあり、特に外交の一助となるべき「地政学」をエネルギーという観点で取り上げ、国際関係のこれまでと今について、実体験を交えて平易に解説している。

 著者の岩瀬さんご自身に、読みどころを聞いた。

2大国の「石油の世紀」

――日本人は石油といえば、すぐに中東を思い浮かべる。だが実は長年にわたって、世界の石油はアメリカとロシア(ソ連)が両巨頭だったということを再認識しました。

 その通りで、アメリカの今日があるのは石油のおかげなのです。19世紀半ばに機械掘りの商業生産がはじまり、次々と油田が発見されて、世界で最初にして最大の産油国になった。世界に占めるアメリカの比率が50%を切ったのは、1953年のこと。1930年ぐらいまではそれこそ8割ほどを占めていた。だから、アメリカ国内での石油価格が最も大事だった。

 石油は光源(ランプ)燃料としての灯油から始まり、自動車用ガソリンとして重要性を増していきます。ところが、1930年に東テキサスで未曾有の大油田が発見されると価格は暴落。倒産が続出するなど、社会は大混乱に陥りました。

 そして、無政府状態になることを懸念したテキサス州政府が州兵、警察を動員し、実力で生産を停止させた。さらに、本来は鉄道管理を業務とする「テキサス鉄道委員会」に法的権限を与え、生産制限を強制的に実行させて、結果、この「テキサス鉄道委員会」が価格をコントロールするようになった。こうしてアメリカ国内の石油価格は、実質的に「テキサス鉄道委員会」が決めることになったのです。

 さらに海外の価格は、メキシコ湾岸の港からそれぞれの市場までの運賃を上乗せして決めていました。「ガルフ・プラス方式」と呼ばれていたものです。つまり、アメリカ国内の石油価格が世界の石油価格を決めていたのです。

 その後は、国際石油資本、いわゆるセブン・シスターズと呼ばれる7社が国際原油市場を牛耳り、それが1970年代初めまで続くわけです。そのうちの5社がアメリカ資本でしたから、やはりアメリカが国際価格をコントロールしていたことは間違いがない。まさに、「石油はアメリカ」だったのです。

 今でもシェール革命に見られるように、エネルギー業界では技術革新の先頭を走っています。

 一方のロシアも、19世紀から石油開発が始まり、19世紀末から20世紀初めにかけての数年間だけですが、世界一の石油生産国だった時代もあるほどです。その後のボルシェビキ革命でソ連という国家が誕生しますが、この体制も石油が支えてきた。なぜソ連が崩壊したのか、その理由は様々に語られますが、遠因の1つとされているのが、石油価格の暴落です。

 1986年、石油価格が30ドルから10ドルに暴落するという、いわゆる「逆オイルショック」が起きました。これは、1979年にアフガニスタンに侵攻して軍事負担が国家財政を圧迫していたソ連にとって、非常に大きな痛手になりました。国家財政が逼迫したソ連は、この「逆オイルショック」もあって、やがて崩壊の道をたどることになったのです。

 石油を武器に衛星国を支配していたソ連が崩壊し、ロシアが誕生した後、一時は自由化してオリガルヒ(新興財閥)の勃興をもたらしますが、ウラジーミル・プーチン大統領は再び石油を国家の支配下に置き、政治の道具として用いています。生産量もソ連時代を凌駕し、今ではアメリカ、サウジとならぶ水準にまで押し上げることに成功しました。

 このように、20世紀をリードした2つの大国は、軍事やイデオロギーだけでなく、エネルギーという点でも20世紀の世界をリードしたのです。

急速に発言権を増した中東

――では、石油市場で「中東」が勃興してきた経緯は?


 本にも書きましたが、20世紀に入ってイランやイラク、バーレーンやサウジアラビア(以下サウジ)など中東では、大油田の発見が相次ぎました。

 サウジは、サウド家が建てた国ですが、建国当初の国家財政は、イスラム教の聖地メッカ、メディナへの巡礼者が落とすお金、つまり観光収入に頼りきっていました。ところが1929年の大恐慌でその収入が激減し、サウジは石油利権を外資に売り渡します。以後、国際石油資本(メジャー)に主導権を握られました。

 イランでも状況は同様で、石油利権は長らくメジャーが握っていました。1951年に国有化を試みましたが、メジャーにつぶされました。出光興産による「日章丸事件」(国際的経済制裁下にあったイランからタンカーで石油を極秘裏に輸入した。英国との訴訟にもなったが最終的に出光が勝訴。これが石油の自由貿易の契機になったとも言われる)はこの時ですね。

 このように、ながらくアメリカが石油を支配していたのですが、第2次世界大戦後、世界全体の需要が急増する中、アメリカの産出量が相対的に減り、かつ石油輸入国に転じる一方で、中東は急速に生産量を伸ばしました。

 そして供給余力がなくなっていた1973年のオイルショックが大きな転機となり、中東の産油国が大きな発言権を持つようになりました。それまで、メジャーが供給する安価で豊富な石油を使い、戦後の驚異的な経済復興をなしとげていた日本は、初めて石油の重要性を認識したのです。日本人にとって「石油=中東」というイメージは、このころに定着したと考えられます。

 ここ数年、アメリカとロシア、それとサウジの3カ国がそれぞれ1000万BD(バレル/日量)ほどを生産しており、3カ国で世界全体の3割以上となっています。つまり、石油を中心とするエネルギーの世界は、米露の2大国に中東という「三国鼎立」のような状況にあると言っていいでしょう。

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