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- 2019年04月10日 07:40
大阪維新の会は、これから如何にして本物の「日本維新の会」なり「維新の党」になることが出来るか
もう一度最初からやり直すことですね。
そう申し上げておいた方がよさそうである。
国政政党・日本維新の会の立ち上げの時期に、松浪健太氏に誘われて麻布で行われていた準備会合に私も参加していたことがある。
現職の国会議員5名を確保することが至上命題だったので、松浪健太氏は自民党の国会議員にも民主党の国会議員にも声を掛けていた。
その段階では、まだ大阪維新の会を立ち上げた橋下徹氏との連携が十分出来ていなかったようだが、国政政党としての維新を立ち上げるためには大阪出身の衆議院議員で、道州制実現を最大の政治課題に掲げている自分が動くしかない、と松浪健太氏が思っていたことは間違いない。
私は、国政政党・維新の生みの親は、松浪健太氏だと思っている。
松浪健太氏がいなければ、国政政党の「維新」(その後様々な離合集散があり、どれが本物の維新かよう分からなくなっているが、ここでは便宜上、一括して「維新」と呼ぶことにする。以下、同じ。)の今日はなかった。
それほどに維新にとっては大きな存在の松浪健太氏だったが、当時の橋下徹氏はそういうことには殆ど無頓着だったようで、東京都知事を退任した後、「立ち上がれ日本」(確かそういう名称だったと思うが、今は定かではない。)という新党を立ち上げた石原慎太郎氏と合流することを決め、松浪健太氏が主導し設立した当初の国政政党・維新とは大分趣を異にした選挙目当ての寄せ集め国政政党・維新になってしまったようである。
橋下・石原の二人羽織で衆議院選挙を戦い、それなりの当選者を出したのだが、結局はこの時点で国政政党・維新は橋下氏の大阪維新の会とは別の道を歩むことになり、国政政党・維新の将来の破綻の芽が用意されていたのだと思う。
橋下氏が現在の国政政党・維新に対して違和感を抱いていることをあからさまに表明しているのには、多分そういう事情があるからだろう。
原点に戻ることである。
維新の理念を、もう一度明らかにすることである。
多分、今だったらそれが出来るはずである。
そう申し上げておいた方がよさそうである。
国政政党・日本維新の会の立ち上げの時期に、松浪健太氏に誘われて麻布で行われていた準備会合に私も参加していたことがある。
現職の国会議員5名を確保することが至上命題だったので、松浪健太氏は自民党の国会議員にも民主党の国会議員にも声を掛けていた。
その段階では、まだ大阪維新の会を立ち上げた橋下徹氏との連携が十分出来ていなかったようだが、国政政党としての維新を立ち上げるためには大阪出身の衆議院議員で、道州制実現を最大の政治課題に掲げている自分が動くしかない、と松浪健太氏が思っていたことは間違いない。
私は、国政政党・維新の生みの親は、松浪健太氏だと思っている。
松浪健太氏がいなければ、国政政党の「維新」(その後様々な離合集散があり、どれが本物の維新かよう分からなくなっているが、ここでは便宜上、一括して「維新」と呼ぶことにする。以下、同じ。)の今日はなかった。
それほどに維新にとっては大きな存在の松浪健太氏だったが、当時の橋下徹氏はそういうことには殆ど無頓着だったようで、東京都知事を退任した後、「立ち上がれ日本」(確かそういう名称だったと思うが、今は定かではない。)という新党を立ち上げた石原慎太郎氏と合流することを決め、松浪健太氏が主導し設立した当初の国政政党・維新とは大分趣を異にした選挙目当ての寄せ集め国政政党・維新になってしまったようである。
橋下・石原の二人羽織で衆議院選挙を戦い、それなりの当選者を出したのだが、結局はこの時点で国政政党・維新は橋下氏の大阪維新の会とは別の道を歩むことになり、国政政党・維新の将来の破綻の芽が用意されていたのだと思う。
橋下氏が現在の国政政党・維新に対して違和感を抱いていることをあからさまに表明しているのには、多分そういう事情があるからだろう。
原点に戻ることである。
維新の理念を、もう一度明らかにすることである。
多分、今だったらそれが出来るはずである。



