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日本の学校で小1プロブレムが起こるワケ

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「小1プロブレム」と呼ばれる問題がある。小学校に入学したばかりの1年生が、黙って座って授業を受けられない現象を指す。なぜそうした「問題」が起きるのか。熊本大学教育学部の苫野一徳准教授は「家庭のしつけの問題とするような指摘は間違っている。これは日本の学校システムそのものの問題だ」と指摘する――。

※本稿は、苫野一徳『「学校」をつくり直す』(河出新書)の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/nikoniko_happy)

■なぜ「子どもたちが幸せそうじゃない」のか

どんな親も先生も、子どもたちには幸せな学校生活を送ってほしいと願っているはずです。

でもどういうわけだか、子どもたちが幸せそうじゃない。そう感じている人は、少なくないんじゃないかと思います。

それは一体、どういうわけなんでしょう? そしてどうすれば、わたしたちはそんな状況を変えていけるのでしょう?

問題の本質が分かれば、その問題を克服するための道筋もまた明らかにすることができるはずです。『「学校」をつくり直す』は、多くの保護者が、そして先生たちもまた心のどこかで感じている、学校が抱える根本的な問題を明らかにした一冊です。そしてその上で、その問題を解決するための道筋を示したものです。

と、ここで大急ぎで付け加えなければなりません。本書は、学校や先生を批判するためのものではまったくありません。むしろ、保護者や子どもたち、地域の人たち、そして先生たちが、互いに協力し合って、よりよい学校を作っていくための道筋をはっきりと示すこと。それが本書の目的です。

■教育のシステムにこそ問題がある

本書で詳しく論じているように、今学校が抱えている問題の本質は、一人ひとりの先生や個々の学校にあるというより、むしろもっと構造的なこと、つまりシステムにこそあるのです。いじめ、体罰、落ちこぼれ、小一プロブレム、中一ギャップ、教師の多忙、勉強する意味の喪失、同調圧力、不登校……一見別々に見えるこれらの問題も、その根っこはすべてつながっています。だから、個々の問題状況にだけ目を向けても、抜本的な解決策を見出すことはできません。根っこの問題、教育のシステムそれ自体の問題を解決しなければならないのです。

苫野一徳『「学校」をつくり直す』(河出書房新社)

結論から言ってしまいたいと思います。

公教育が始まって、約150年。学校教育はこれまで、ずっと変わらず、基本的に次のようなシステムによって運営されてきました。すなわち、「みんなで同じことを、同じペースで、同質性の高い学級の中で、教科ごとの出来合いの答えを、子どもたちに一斉に勉強させる」というシステムです。

ところがこのシステムが、今いたるところで限界を迎えているのです。

一つの象徴的な例が、嫌な言葉ですが、いわゆる落ちこぼれ・吹きこぼれ問題です。多くの人は、「落ちこぼれ」は、その子の理解力が低いから生まれるものだと思っているのではないかと思います。でも実は、これはシステムによって構造的に引き起こされている側面が非常に大きいのです。

■「落ちこぼれ」の子は理解力が低いのか

考えてみれば当然のことです。みんなで同じことを、同じペースで勉強していれば、一度つまずくと、そのまま取り残されるということがどうしても起こってしまいます。内容が理解できないまま、授業はどんどん進んでいきます。結果、その子は「落ちこぼれ」のレッテルを貼られてしまうことになるかもしれません。

でもそれは、本当にその子の理解力がもともと低いから起こったことなのでしょうか?

たまたま、ある大事な授業の日に体調が悪かっただけかもしれません。あるいはお休みしてしまっただけかもしれません。たまたま、その年に嫌いな先生に当たってしまったのかもしれません。あるいは先生の教え方が合わなかったのかもしれません。

でも、「みんなで同じことを、同じペースで」が学校のシステムである以上、先生は、ついていけない子がいたとしても、どんどんと先に進んでいくほかありません。一斉授業・画一カリキュラムが中心の学校では、どのクラスを覗いても、ほとんどの場合において、授業についていけずに辛そうな顔やつまらなそうな顔をしている子どもたちが一定数いるものです。

一度「自分は落ちこぼれなんだ」と感じてしまった子どもが、学びへの自信、もっと言えば自分自身への信頼を回復していくのは並大抵のことではありません。これは、システムが生み出したある意味で“罪”とさえ言えるのではないかとわたしは思います。

■学校の授業を「ムダ」に感じる子どもたち

「落ちこぼれ」の反対が、これまた嫌な言葉ですが、「吹きこぼれ」と呼ばれるものです。すでに分かっていることを、何度も繰り返し勉強させられることで、勉強がイヤになってしまう子どもたちのことです。一斉授業、画一カリキュラムが中心の教室には、授業についていけずにつらそうな顔をしている子どもと同じくらい、すでに分かっていてつまらなそうにしている子どもたちが一定数いるものです。

「みんなで同じことを、同じペースで」やらなければならない授業においては、先生は、そんな子どもたちが勝手に先へ先へと進んでいくことを許すわけにはいきません。だから多くの先生は、不本意ではあっても、その子たちに学びのペースを落とすよう強いなければならないのです。

これでは、学校が楽しくなくなってしまうのも無理はありません。「吹きこぼれ」の子どもたちからすれば、このような学校の授業はムダだらけです。今日の「めあて」をみんなで一斉に唱和するのに始まって、教科書の決められたページをみんなで繰り返し読んだり、すでに分かっていることを一方的に教えられたり。45分もの間、なぜみんなと同じことをやり続けなければならないのか。そう思っている子どもたちはたくさんいます。

「落ちこぼれ」の子どもたちにとっては、それはもっとムダな時間と言えるかもしれません。周囲のクラスメイトが先生の発問に対して活発に発言をしているその傍で、何のことか意味も分からず、じっと時間が過ぎるのを耐えている……。こうした状況は、やはり抜本的に変えなければなりません。

■「小1プロブレム」の原因は学校システムにある

小1プロブレムと言われる問題も、多くはシステムが作り出している問題です。

小1プロブレムとは、小学校に入学したばかりの1年生が、集団行動ができないとか、黙って座って授業が受けられないとかいった“問題”です。

これは、家庭のしつけが不十分だったり、自己コントロール力が未発達だったりすることが主な理由だと言われています。でもわたしは、正直なところ、それは子どもたちを“管理”する大人側の勝手な言い分だと考えています。

子どもを叩いてでも、親や教師の言う通りにするようしつけるのが当たり前だった時代、子どもたちが教室でおとなしくしていたのは、ある意味で当然のことでした。体罰はいたるところで行われていましたし、親がそれを望むことさえありました。学校は先生の言うことに従う場所。そんな社会的コンセンサスが、曲がりなりにもありました。

でも、今のわたしたちは、体罰を恥ずべき行為と考えています。子どもたちを、過度に管理し、統率し、大人の言う通りにさせることが、実は子どもたちの成長を著しく損なってしまうのだということにも、多くの人が気づいています。有名なモンテッソーリ・メソッドの生みの親、マリア・モンテッソーリは、すでに20世紀初頭にこんなことを言っています。子どもたちを、大人が決めた規律で縛りつけること、管理し統率すること、それは、子どもたちを規律正しくしているように見えて、実は命令されたことしかできない「無力」な存在にしてしまっているだけなのだ、と(マリア・モンテッソーリ『モンテッソーリ・メソッド』71頁)。

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