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聡香(四女)の主張のみで麗華(三女)の暴力行為を「認定」した対横浜家裁の判決を見て

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3月26日、麗華が横浜家裁を訴えていた損害賠償請求訴訟の判決が、東京地裁であり、私も傍聴に行きました。この判決の前に東京家庭裁判所で殺人事件があったためもあるのか、警備が厳重でした。

妹の聡香(仮名)が両親を推定相続人から廃除しようとした際、麗華が暴力を振るったと主張をし、横浜家庭裁判所は麗華に確認も取らずに暴行行為を認定。

聡香は相続廃除が認められたあと、記者会見を開き「熱湯風呂にも7歳のころから入らされました。年齢が上がるにつれて、温度や時間が増されます。45~6度、15分のとき、付き添いは三女でしたが、限界で出ようとしたら、押さえつけられて意識がなくなったことがありました。私も熱湯風呂で命を落としていても、不思議はなかったのです。

今考えると、本当に現代の日本とは思えない環境でした。逆らったら殺される恐怖もあったので、16年間戦場にいるかのように緊張が続きました」と、麗華に殺されそうになったと、いわば麗華が殺人未遂を犯したと主張をした上、聡香についている弁護士がブログに横浜家裁の審判書を公開したため、被害が広がりました。

聡香の姉にあたる麗華は推定相続人ではないので、推定相続人廃除の審判で麗華の暴力行為を「認定」する必要はないし、「認定」をするならば麗華に事実を述べる機会を与えるべきでした。

裁判所が暴力行為を「認定」したというお墨付きを与え、実害に苦しんだ麗華は、横浜家裁の行為は違法であるとして、提訴していました。

午後1時10分開廷の予定で、午後1時に傍聴席についたとき、すでに原告席に松井先生と麗華が着席していました。国側の代理人である訟務検事は、最初傍聴席に座っていましたが、裁判所の職員の方と話をして被告席に着きました。女性の訟務検事一人でした。

午後1時15分開廷。裁判長が麗華の請求を棄却した旨述べて、1分も経たずに閉廷しました。

驚き、傷ついたように裁判長の顔を見つめる麗華。わたしも唖然とし、「傍聴人は退廷してください」という声にうながされ、最後にやっとのことで退廷しました。

これが麗華の人生か――。

2018年2月12日、麗華は本人質問(証人尋問の本人版)と、意見陳述を東京地裁で行っています。

意見陳述で、麗華は妹が生まれたときの感動や、いとしさ、妹が両親を「パパ」「ママ」と呼んでいた幼少時の話からしはじめました。

妹は両親に虐待されていた、「父親のことを私は、今も昔もほとんど父親だとは思えません。私が生まれた時、父はすでに『教祖』であり『グル』でした。私は一度も直接『お父さん』と呼んだことがありません。最初から『尊師』でした。(2017年11月21日記者会見)」などと述べていますが、残念ながら記憶がないのか、嘘をついているかのどちらかです。

妹は父を「パパ」、母を「ママ」と呼んでいました。説法中の父に飴を食べていいか聞くほど、自由にしていました。

麗華はその後、学校から排斥され、教師が連絡帳を通して受け入れ拒否の署名活動を行い、学校でいじめに遭った聡香の人生を、意見陳述でたどって行きました。

中根台中学校の校長先生が聡香に対し満足げに言い放った「聡香さんにはかわいそうなんだけれども、あの事件を皆さんがとらえているか?重要にとらえているか?一人しか死んだわけじゃないですよね。一人以上死んだわけでしょう」という言葉を、意見陳述する麗華の口から聞いたとき、わたしは胸が詰まりました

あのころ、わたしたちばかりでなく松井先生や支援をしてくださっていた方は聡香を助けるために必死でした。高校進学をしたいという夢を持っていた聡香には、出席日数を満たすことのできる学校――出席することのできる中学校が必要でした。

なんとか中学校でのいじめを減らしてあげたい。学校との折衝だけではどうしてあげることもできなかったわたしたちは、教育委員会にも対応を求めていました。

あの日、わたしは松井先生や聡香と共に、「教育委員会」にいました。麗華も一緒でした。校長先生が「聡香さんを守って下さいとか、命を大切にしてください、人権をきちっとしてくださいということは、今の段階ではできない」というのに対し、松井先生が「さとちゃんが自殺すれば、(あとから)そういうふうに言うわけですか」と抗議し、麗華が妹が死んでしまうかもしれない旨訴えるのに対して校長先生が言い放ったのが、先ほどの言葉だったのです。

聡香が死んでも失われた命は一つであり、自殺をしても、親がかかわったとされる事件の被害者には数が足りないとおっしゃりたかったのでしょうか。当時の聡香は、実行には移してはいないものの、精神的に不安定で、死にたいとも漏らしていました。

麗華もまた、聡香に叩きつけられた校長先生のあの言葉に、――無力で何もしてあげられず妹を守れなかった自分に、深く傷ついていたのだとわかりました。

このころから、妹の雰囲気が変わっていきました。怒りと悲しみでどうにかなりそうだったのだと思うと、麗華は続けます。

その後は、聡香が宗教団体アレフ(アレフはアーレフ、Alephと時期によって表記や綴りをかえていますが、すべてアレフとします)を掌握しようとしたこと、後見人となっていただいた江川紹子氏に隠れて宗教的グループを作ろうとしていたことなどを語り、聡香が同情されるためには社会から絶対悪とされる父や、教団、家族を攻撃すればよいと考えたのだろうと、妹がなぜ嘘をつき家族を攻撃するようになったのかについて、麗華なりに感じたことを述べました。

2000年、麗華は16歳のときに教団を離れています。弁護士だった松井先生が麗華の未成年後見人になって下さったというのもあり、裁判という救済手段を執って下さるようになったということもあり、麗華に対する報道被害は徐々に減ってきていました。

麗華は、こつこつとやっていけば、もうすぐ自分がやっていないことで責められることは終わると、そう信じていたそうです。

その望みを絶ちきったのは、聡香のマスコミを利用した、あまりに強烈な嘘でした。

聡香がマスコミに出て嘘をつきはじめたとき、社会が示した反応をわたしもよく覚えています。

「家族だから本当のことを知っている」「嘘をついてまで家族をおとしいれるようなことをするはずがない」と、多くの人がなぜか信じたのです。

事件当時聡香が5歳の幼児だったということや、教団を離れたときでさえ小学生だったことなど、客観的な事実は無視されました。何も、あるいはほとんど知り得ない年齢の子が、さも何もかも知っているかのように語っている、あるいは語らせることに、なぜ疑問を抱かなかったのでしょうか。

同時に、なぜか多くの人は、「家族」というものに幻想を抱いているように感じます。統計によると、殺人事件の半数以上は親族間で起きているそうです。家族も個人の集まりに過ぎず、優しい人もいれば、冷酷な人もいます。「家族」だからと聖人君子になれるわけではありません。

しかし横浜家庭裁判所がそうであったように、客観的な事実がかえりみられることなく、聡香の嘘はそのまま事実であると「認定」されてしまうのです。

社会の聡香に対する信頼は、直接的に麗華に対する刃となって跳ね返ってきました。横浜家裁の「認定は」そのまま事実として扱われ、麗華のSNSには、実の妹が言うのだから本当なんだろう、加害者のくせに被害者ぶるな、やっぱり暴力を振るっていたんだなといった、誹謗のコメントが寄せられたそうです。

わたしたちは、「麻原彰晃の子」という「逃れられない過去」を背負わされています。麗華は、聡香が「逃れられない過去」を懸命に消し去ろうとし、社会で生きて行くために、家族を非難するしかなかったのかもしれないと、彼女の心情に思いを馳せていました。

その上で、麗華は「わたしは妹に聞きたいです。嘘をついて受け入れられた世界は、いい世界ですか。今、幸せですか」と聡香に問いかけていました。

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