「スケールの大きな日本人」
佐々木が商用化を実現したMOS・LSIはアポロ12号にも採用され、佐々木とシャープ(1970年に早川電機工業から社名変更)は米国航空宇宙局(NASA)から「アポロ功労賞」を授与されている。アポロに搭載するMOS・LSIは着陸船の開発を担当した米ロックウェル社との共同作業だったが、ロックウェルの技術者たちは、あまりに大胆な発想をする佐々木に終始振り回され、いつしか佐々木のことを「ロケット」と呼ぶようになった。
電卓戦争が終わると佐々木は東京支社長になった。寺師は秘書役として、東京で佐々木の身の回りの世話をすることになった。佐々木は毎朝7時からホテルニューオータニで朝食を食べる。シャープの取引先だけでなく、各国の大使や日本に駐在している各国のジャーナリスト、政治家、通産省の役人、ベンチャー経営者など様々な人々が「ロケット・ササキ」のアドバイスを求めてニューオータニにやってきた。
「ああ、その部品ならあの会社に頼めばいい」
「だったら銀行を紹介してあげるよ」
夜はニューオータニの地下にあるクラブの1室が佐々木専用になっており、チビチビとカンパリソーダを舐めながら、よろず相談に乗った。議論が白熱すると会食が午前0時を過ぎることもあり、そんな時、佐々木は「寺師くんも泊まっていきなさい」と言うのだが、寺師は「僕は経費で落とせませんから」と、自腹を切ってタクシーで帰宅するのが常だった。
佐々木は専務時代、米カリフォルニア大学バークレー校の学生だった孫正義が発明した電子翻訳機のライセンスを1億6000万円で買い取り、それが後にソフトバンクの開業資金につながっていく。佐々木は2018年、102歳で亡くなったが、孫は最後まで佐々木を「大恩人」と呼び、礼を尽くした。アップル創業者のスティーブ・ジョブズも、アップルを追い出された不遇の時代に東京・市ヶ谷のシャープ東京支社を訪ね、佐々木に助言を求めている。
そんな佐々木を間近に見てきた寺師は言う。
「日本にとどまらず、世界中どこにでも知り合いがいて、どんな人にも助けの手を差し伸べた。あんなスケールの大きな日本人は後にも先にも見たことがない」
佐々木の波乱万丈の人生については、3月28日に発売された評伝『ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』(新潮文庫)をご覧ください。