- 2019年04月02日 10:36
新元号について
1/2新元号についていくつかのメディアから取材があって、コメントを述べた。
どれも短いもので、意を尽くせなかったので、ここにロングヴァージョンを採録する。
ロシア国営通信社『ロシア・セヴォードニャ・スプートニク』の日本語版に寄稿したものである。
紙面では短縮されているかもしれないが、これがオリジナル。
最初に、元号に対する私の基本的な立場を明らかにしておく。元号を廃し、西暦に統一すべきだという論をなす人がいるけれど、私はそれには与さない。それぞれの社会集団が固有の度量衡に基づいて時間を考量する習慣を持つことは人性の自然だと思うからである。
西暦は発生的にはイエス・キリストの誕生によって世界は一変したという信仰をもつ人々が採用した「ローカルな紀年法」に過ぎない。たしかに利用者が多く、国際共通性は高いけれども、多数であることは、それ以外の紀年法を廃して、西暦を世界標準にすべきだという十分な論拠にはならない。イスラム信者はヒジュラ暦を、タイの仏教徒は仏暦を、ユダヤ人はユダヤ暦をそれぞれ用いているが、彼らに「固有の紀年法を廃して、キリスト紀元に統一せよ」と命じることは少なくとも私にはできない。
文化的多様性を重んじる立場から、私自身は日本が固有の時間の度量衡を持っていることを端的に「よいこと」だと思っている。元号は645年の「大化」から始まって、2019年の「令和」まで連綿と続く伝統的な紀年法であり、明治からの一世一元制も発祥は明の洪武帝に遡るやはり歴史のある制度である。ひさしく受け継がれてきた文化的伝統は当代のものが目先の利便性を理由に廃すべきではない。
その上で新元号についての所見を述べる。
新元号が発表された直後からネット上では中国文学者たちから万葉集の「初春の令月、気淑しく風和らぐ」の出典が中国の古詩(後漢の張衡の『帰田賦』にある「仲春令月、時和気清」)だという指摘がなされた。岩波書店の『新日本古典文学大系・萬葉集』の当該箇所にも典拠として張衡の詩のことが明記してある。「史上はじめての国風元号」を大々的に打ち上げた割に、「空振り」だったわけである。



