- 2019年03月28日 09:15
軍事マニアがロンメル将軍を誤解する理由
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■日本史なら訂正されるが、軍事史は歪曲が放置される
近年、ためにする「歴史書」が氾濫(はんらん)している。
「コミンテルンの陰謀」といったたぐい、あるいは『日本国紀』など、それらはあらかじめ決まった結論、それも、ほとんどは政治的な党派性に沿った結論に向けて、恣意的に史実を抜き出して立論するものだ。当然のことながら、歴史学の論証手順を無視したもので、いわゆる「トンデモ本」のたぐいである。
もっとも、さすがに自国史である日本史の分野では、かかる流れに対し、謬見(びゅうけん)を指摘、誤りを訂正して、前述したような書物の悪影響を食い止めようとする動きがみられる。国際日本文化研究センターの助教で、広く読まれた『応仁の乱』(中公新書)の著者である呉座勇一氏などは、その代表であろう。
ところが、外国史、なかんずく戦史・軍事史の理解となると、事態はより深刻である。ここでは、ドイツ軍事史を例として論じることにするが、敢えていうなら、1970年代から80年代のレベルにとどまった言説が、大手を振って、まかりとおっているのだ。
■アカデミズムでは軍事を扱わないという慣習
拙著『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』(角川新書)は、第二次世界大戦で輝かしい働きをみせながらも、ヒトラー暗殺計画に関与したかどで服毒自殺を強いられたエルヴィン・ロンメル元帥の小伝であり、その生涯をたどることを第一義とした。しかしながら、こうした伝記を書くことを思い立った動機の一つは、上記のような惨状にある。
これは、ある程度、日本の特殊事情がなせるわざだった。まず、アカデミズムでは軍事を扱わないという慣習がある。この不文律は、太平洋戦争に敗北したがための戦争・軍隊嫌悪から来たものと思われがちだが、必ずしもそうではないようだ。アカデミシャンのあいだには、戦争や軍事は本職の軍人が研究するものだという暗黙の了解があり、大学に国防学研究所(立命館大学)が設置されたのも、戦争中の一時期にすぎなかったのである。
■「旧軍将校」の空白を埋めた「軍事ライター」の質
このような「伝統」は戦後も長く続いたものの、平成に入ってからは「新しい軍事史」や「広義の軍事史」を唱える研究者たちが続々と現れ、多くの成果を上げている。とはいえ、こうした研究は、主として軍隊と社会の関わりに注目するもので、社会史や日常史の研究の延長線上にあるものだった。ゆえに、作戦・戦闘史、用兵思想といった「古い軍事史」、「狭義の軍事史」には手がつかぬままというのが、実情であった。
一時期まで、かような溝を埋めていたのは、本格的な語学教育を受けていた旧軍将校、あるいは、そうした人材で、戦後自衛隊に入った人々だった。彼らは、ドイツ軍事史の研究動向紹介において、顕著な活躍を示した。戦後、ドイツの将軍たちが広めた「参謀本部無謬論」やヒトラーへの敗戦責任の押しつけといった議論を輸入したという問題点はあったにせよ、理解の水準という点では、欧米のそれに比べても、さして遜色(そんしょく)はなかったのである。
しかし、ドイツ語と軍事を知悉(ちしつ)した元将校や古い世代の研究者が世を去るにつれて、欧米のドイツ軍事史研究が翻訳されたり、紹介されることも少なくなっていった。この空白を埋めたのは、軍事や歴史学について訓練を受けたわけではないけれども、戦史・軍事史に強い関心を抱いているライターだった。
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