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『内田樹の市民講座』韓国語版序文

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 もう一つリスクがあります。それは、成員の命が軽くなるということです。

 みんなが同じような考えを同じような言葉で語る集団では、成員ひとりひとりは「いくらでも替えがきく」ようになる。いなくなっても誰も困らないようになる。

 いまの日本の企業が求める「グローバル人材」とか、就活のときに言われる「即戦力」というのは、まさにそのような「いくらでも替えの効く」存在のことです。能力のある人間を安い賃金で雇用するためにはすばらしい仕組みですけれども、「いくらでも替えが効く存在」めざして自己形成の努力するというのは、ずいぶんと無益なことのように僕には思えます。

 集団が生き延びるためにも、個人が生き延びるためにも、まわりの人間とはあまりにすぎない方がいい。僕はそう思います。ひとりひとりが自分以外の誰も考えつかないことを考え、誰も言わないようなこと言い、自分以外に誰もできない技能を身に着け、自分以外に誰も知らない知識を習得しておく方が、集団はタフになるし、個人は「替えの効かない」存在になる。

 そして、何よりも、そういう人たちが集まった集団では、たぶん言葉がそれだけ豊かになるだろうと僕は思います。

 なにしろ、誰も考えたことのない考えを、誰もしないような言い方でするわけですから、よほどの工夫が要ります。その人が口を開いて出てくるのは「変な話」に決まっているんですから。

 でも、他人には簡単にはわかってもらえそうもない話だからと言って口を噤んでしまうと、その際立って個性的な思念は、誰にも知られることなく、この世から消えてしまう。それはあまりに惜しい。なんとか、自分の考えを知り、理解し、できることなら同意して欲しいと思う。

 そうなると、人は「説得」ということに知的資源を優先分配するようになります。

 どうすればこの「変な話」を他人に呑み込んでもらうか。それほど難しいことではありません。できる限り論理的に語り、ていねいに挙証し、だいじなことは繰り返し、わかりにくい話にはわかりやすい喩えを引き、響きの良い、穏やかな声で、忍耐強く語ることです。それに尽くされる。

 「変な話」を他人に説明しようとする人は必ず情理を尽くして語るようになる。

 ですから、まことに逆説的なことですけれど、「誰もしないような変な話」をする人の方が「誰でも言いそうなこと」を言う人よりも、ずっと説明がうまくなるのです。

 あまり言う人がいませんけれど、これは僕が長くさまざまの人の書いたものを読んできて得たひとつの経験知です。「変な話」をする人は説明がうまい。

 そして、その人が説明のときに動員する大胆なロジックや、思いがけない典拠や、カラフルな比喩や、聞き届けられやすい言葉の響きによって、その集団の言語は豊かなものになります。その人の知見が集団的に合意され、共有されるところまではなかなか行きませんが、その人のおかげで「言葉が富裕化する」ということだけは確実に達成されます。そして、言葉が豊かになればなるほど、その集団では「誰も思いつかなかったこと」が口にされるチャンスが増大する。論理が複雑になり、語彙が豊かになり、説得力のある話し方に人々が習熟するようになる。

 僕はそういう豊かなアイディアと複雑な言葉を持っている集団の方が、みんなが同型的なアイディアを似たような口調で繰り返す同質性の高い集団よりも、生き延びる力が強いだろうと思っています。

 「大いなる市民」とは、僕の個人的な定義によるならば、その「変な話をする、説明のうまい人」のことです。固有名を挙げた方がわかりやすければ、例えば、養老孟司、橋本治、高橋源一郎、鷲田清一、村上春樹、福岡伸一、池田清彦・・・とこのリストはいくらでも長いものにすることができます。僕もできることならこのリストの末尾に加わりたいという願いをこめてこのタイトルを撰しました(今挙げた名前の方々の本でまだ韓国語訳がないものがあれば、ぜひ訳して頂きたいと思います)。

 なんだかずいぶん長くなりました。すみません。この本は「十五人に一人くらいはまっとうな市民がいてくれれば市民社会はなんとか持つ」という僕の経験知を踏まえて、その「十五人に一人」に向けた書かれたものです(ほんとうは五人に一人くらいにまで歩留まりを上げたいんですけれど、そこまでは欲張りません)。

 ここまで「まえがき」を読んで下さったみなさんに感謝します。これもご縁ですから、できたらこのままカウンターまで本を持って行って、帰り道の地下鉄の中ででも、本文を読んで下さい。

 では。

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