国会の訴追委員会では、岡口基一判事への調査が動き出しています。
大きくは、性犯罪被害に遭った被害者に対する中傷があったのかという問題です。少々、遅くなりましたが、私なりの見解を述べておきます。
さて、訴追委員会は、遺族から聴取するということです。
「「岡口裁判官の訴追を」 事件ツイート、遺族らが意見」(毎日新聞2019年3月19日)
犬の飼い主事件では、当事者の代理人が何か言っているようですが、はっきり言ってどうでもいいレベルです。この元の飼い主の行動はそもそも身勝手レベルでその言動が批判されることは当然の結末であり、岡口判事の問題ではありません。それこそ、岡口判事に何をどう苦しめられているのか具体的に言ってみたらどうだということです。この程度なら新聞報道されたことでも「苦しめられている」ということになりますが、岡口さんへの言い掛かりにもほどがあります。
「犬の所有権を巡る民事裁判に関する投稿で傷付けられたと主張する原告女性の代理人、渡辺正昭弁護士も18日に会見し「女性は岡口氏のネットでの言動で今も苦しめられている」と述べた。」(前掲毎日新聞)
「ツイッター投稿の裁判官、「犬の裁判」当事者も訴追請求」(朝日新聞2019年3月18日)
さて、性犯罪遺族との関係では、やまもといちろうさんがまとめています。
「岡口基一・東京高裁判事のツイート「言論の自由」と「被害者の感情」とを巡る、国会訴追委の攻防(追記あり」
2019年3月23日撮影 札幌はまた雪景色

こうした経緯からみても、問われているのは、今、岡口判事が訴追されなければならないようなことなのか、要は罷免に相当するようなことなのかということです。
先般、最高裁は、岡口判事に対し、戒告の処分を下しました。最高裁としては訴追委員会に対し罷免を求めることはしていませんし、何よりも科料よりも軽い戒告に止まっています。
(一般的には、経済的制裁である過料の方が重く、戒告の方が軽いとされています。戒告は、将来への戒めであり期待でもあるとされます。但し、事案によって決まる性質もあり、例えば過料でも10円とした場合と戒告とはどちらが重いかは、それぞれの事案の性質によって異なるということです。)
この戒告の前は、問題とされた事案で厳重注意処分がありましたが、この戒告処分でも補足意見ですが、「the last straw」(最後のわら)まで展開されていましたから、実質的には最高裁は、この問題では訴追は求めない、という判断です。
「岡口裁判官処分「the last straw」理論の危うさ 過去の行いの積み重ねでアウトに」(弁護士ドットコム)
こうした最高裁としての判断があるにも関わらず、これを飛び越える形で訴追するという事態になれば、司法権の独立を脅かすもので、裁判官の独立を脅かすことになります。
参考
「国会訴追委の「岡口裁判官」呼び出し、憲法学者が指摘する弾劾・懲戒制度の関係や課題」(弁護士ドットコム)
最高裁が罷免に相当するとまで考えていないことは明らかで、職務に関連性のないところでの行為が問題とされていることから、最高裁が訴追委員会に対してもの申すということは全く期待できませんが、本来であれば最高裁としての見解も述べて然るべき事態です。
これで本当に罷免なのか、問われているのはその点です。他の先例となっている罷免事由(破廉恥事件で有罪など)と比べても異質です。最高裁よる戒告処分はともかく、これで罷免なのかということです。裁判官全体に与える萎縮効果は重大です。
「岡口氏の出頭要請「裁判官の表現の自由に重大な脅威」 弁護士有志が賛同者募る」(弁護士ドットコム)
「「つぶやく自由」すらない裁判官に,市民の自由は守れない。○裁判官の表現の自由の尊重を求める弁護士共同アピール○」
訴追委員会までもが大衆迎合的になり、裁判官の身分を危うくすることに政治的意図はないのか、ということでもあります。遺族感情の強調は危うさがあります。
昨今、反天皇制の集会に判事が出席したなどというキャンペーンが産経新聞によって行われています。
「裁判官の攻撃は司法権の独立を脅かす 産経・維新による異様なキャンペーン」
裁判官の独立を守ること、表現の自由を守るということからも、岡口基一判事への訴追に正当性はありません。