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イチローこそ「侍ジャパン」監督が相応しい

ついにイチローが引退した。いつか「この日が来ること」は、誰にもわかっていた。しかし、いざ「その日」を迎えると、日本人それぞれにさまざまな思いがこみ上げたに違いない。私も、その一人だった。

試合が終わった後、東京ドームから去ろうとしない大観衆に、イチローは応えた。拍手と絶叫、そして涙の中をイチローは、ゆっくりグラウンドを1周した。試合後の記者会見で、「今日の球場での出来事……あんなものを見せられたら、(野球選手として)後悔などあろうはずがありません」と、それが、これまでの日米29年間にわたる現役生活の中で最高のシーンであることをイチローは吐露した。

夜中の会見だったが、テレビ中継が終わっても、インターネットに切り替えて、日本中のファンがイチローの言葉に聞き入ったに違いない。スポーツノンフィクションを数多く手がけてきた私も、ひと言も聞き逃すまいと会見に見入った。

「日本の方って、表現の仕方が苦手じゃないですか。でも、(今日のあのシーンは)それを覆してくれました。内面にあるものを表現した時の迫力、僕にはとても想像できなかった……。(自分にとって)特別なものでした」

メジャーでも伝説の選手となったイチローに、これほどの「引退の花道」を用意したマリナーズと、その場所を「感謝」と「労い」の気持ちで埋め尽くしたファン。このこと自体が、日本の「野球史に残る」ものだろう。

そして、その後の深夜に及ぶ記者会見でも、数々の“イチロー語録”が生み出された。私が最も心に残ったのは、これまで自分が打ち立てた数々の記録よりも「今日のあの舞台に立てたのが大きい」と、彼独特の言いまわしで説明したことだ。

昨年5月、マリナーズの会長付特別補佐に就任し、現役でプレーすることができなくなったイチローは苦悩した。私自身も、イチローの苦しみの深さを人づてに聞いていた。それでも昨年のシーズンの「最後の日」まで、いつでも現役に復帰できるよう精進を欠かさず、イチローはグラウンドで選手たちと汗を流し続けた。

誰に言われたわけでもないのに、腐ることもなく、黙々とイチローは身体をいじめ抜いた。「記録などよりも、あの日々ですね。それをやり通せたことが、ささやかな誇りを生みました。どの記録よりも、自分の中では、ほんの少しだけでも誇りを持てたことだと思う」。イチローは、苦悩の日々をそう表現した。

そして、「ゲーム後にあんなことが起こるなんて……」と、立ち去らない日本のファンとの間で共有できた、奇跡のような「グランド一周」の時間を、また挙げたのである。「死んでもいい、という表現は、こういう時のためにあるのかなあ、と思いました」。イチローはそこまで語ったのである。

野球ファンなら、誰もがイチローの凄まじいまでのストイックな鍛錬を知っている。しかし、その「生きざま」について質問が出た時、イチローはこう答えた。

「僕は人よりがんばることなんて、とてもできないんですよね。あくまでも“秤(はかり)”は自分の中にあるんです。自分なりにその“秤”を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくということをくり返す。そうすると、いつの間にか、違う自分になっている。少しずつの積み重ねでしか、自分を超えていけないと思うんですよね。

一気に高みにいこうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないんです。地道に進むしかない。いや、進むだけじゃない、ある時は、後退しかない時期もある。でも、自分がやると決めたことを信じて、やっていく。しかし、それが正解とも限らないんです。ひょっとしたら、間違ったことを続けてしまっているかもしれない。

でも、そうやって遠まわりすることでしか、本当の自分には出会えないかもしれません。そうやって積み重ねてきたことを、ゲーム後のあのファンの方々、ひょっとしたら、そこを見てくれていたのだとしたら、本当に嬉しいです」

含蓄のある言葉だった。「“秤”は自分の中にある」「それを少しずつ超えていく」「その積み重ねでしか、“本当の自分”には出会えない」――まさに、イチローの過酷な現役生活を表わす言葉の数々である。また、子供たちへのメッセージとしてこんなことを語ったのも印象深かった。

「自分が夢中になれるものを見つけられれば、そういうものを早く見つけて欲しい。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁、それに向かっていけます。でも、それが見つからないと、壁が出てくるとあきらめてしまう。自分に向いているか向いていないか、ではなく、好きなものを見つけて欲しい」

近代野球ではもう破ることは不可能とまで言われたジョージ・シスラーのシーズン257安打の記録を塗りかえ(262本)、空前絶後の「10年連続200安打」、ギネスブックにも記録される日米通算4367安打……等々、史上「最強」バッターがベーブ・ルース、ハンク・アーロン、王貞治らの中から選ばれるとするなら、間違いなく史上「最高」のバッターはイチローだろう。彼の言葉は、駆けつけた300人以上の記者たちを魅了した。

私には、どうしても忘れられないシーンがある。アメリカでも野球の神様のように言われている王貞治監督のもと、リーダーとしてWBC第1回大会を優勝に導いたイチローは、第2回大会で厳しいマークに遭い、大スランプに陥った。

WBCで勝つことの意味を誰よりも知っているイチローは、チームを鼓舞しつづけた。絶不調にもかかわらず、原辰徳監督はそのイチローを1番から外さなかった。決勝リーグまでに韓国に連敗するなど、あまりの苦戦に「イチローの胃に穴があいた」という情報がスポーツ記者の間で流れたことを思い出す。

それでもイチローの勝利への執念は、いささかも衰えなかった。決勝の韓国戦は、同点で延長戦へ。10回表に2死2、3塁でイチローが打席に入った時、あまりの緊迫感に「祈るだけ」の状態になってしまい、テレビ中継をそれ以上観ることができなくなったファンが続出する。

ファウル、ファウルで7球も粘ったイチローが、日本中の絶叫のなか、痛烈なセンター前ヒットで決勝点をもぎとり、侍ジャパンは見事、WBCを連覇したのである。

日本を離れて大リーグ入りした中には、「日の丸」を背負うことを拒否し、侍ジャパンに入ることを回避する選手もいる。しかし、イチローは日の丸に熱い思いを抱き、常に侍ジャパンの一員であることの誇りを語った。

腕を折れよとばかりに投げ抜き、WBCで2大会連続MVP(最優秀選手賞)に輝いた松坂大輔投手と共に、イチローの戦いぶりと執念は、観る者の心を震わせた。

そのことを日本人は忘れてはいない。あの最後のグラウンド1周でイチローを包んだ絶叫と涙には、イチローの現役生活そのものへの感謝が込められている。私は、稲葉篤紀監督の「次」には、なにをおいても侍ジャパンの監督にイチローになっていただきたい。

引退会見で「監督? 絶対むりですよ。人望がない。人望がないですよ、僕」と報道陣を笑わせたイチロー。いやいや、あなたの秘めた闘志と、野球の本場・アメリカで日の丸をセンターポールに上げる意味を知り、熱い思いを持つあなた以上に侍ジャパンの監督が相応しい人はいない。

昨夜、東京ドームであなたに涙と共に熱い拍手を送ったファンは、そのことを心から望んでいる。頼みますよ、イチローさん。長い間、本当にお疲れさまでした。

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