- 2019年03月21日 17:45
NZテロをなぜ犠牲者遺族は許したか―トルコ大統領が煽る報復感情との比較から(六辻彰二)
2/2許すということ
それだけでなく、エルドアン大統領の言動は、白人キリスト教徒への反感を煽るものではあっても、クライストチャーチでの犠牲者や遺族のことを思ったものであるかは疑わしい。
クライストチャーチの事件で妻を亡くしたバングラデシュ出身の男性は海外メディアのインタビューに対して、「自分は妻を亡くした。しかし殺人者を憎まない…自分は彼(タラント容疑者)を許したので、彼のために祈っている」と述べた。
英語で言うforgive(許す)とは、害を与えた者を道徳的に非難しないという意味だ。だから、「法的に罪を問わない」「刑罰を免除してやってほしい」と言っているわけではなく(その場合は「赦す(pardon)」)、「罪は罪として償うべきだが、人間として憎まない」という趣旨で理解すべきだろうが、それにしても「仇を許す」のはなぜか。それは「優しさ」や「弱さ」の表れなのだろうか。恐らく、そうではない。
社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、精神分析の観点から「復讐」について述べている。それによると、「復讐の動機は、集団あるいは個人の強さと生産性に反比例する」。つまり、精神的、物質的に自立していて、成熟した人ほど、復讐に突き動かされることが少なく、そうでない人ほど辛い経験をした際に報復感情に駆られやすいというのだ。
だとすれば、「仇を許せる人」は人間として強い者といえる。
1980年代に人気を博した時代劇「必殺仕事人」では、「晴らせぬ恨みを晴らす」仕事人に仕事(つまり暗殺)を頼む依頼人のほとんどが、理不尽な権力や暴力によって全てを失い、再起すら困難で、復讐がなければ自尊心すら保てない人々として描かれていた。これは、フロムの考察に照らせば、ドラマの演出以上の意味があるとみてよい。
強いのは誰か
「復讐の非生産性」を指摘したフロムは、そのうえで辛い経験を克服するために「前を向く」ことの重要性を指摘している。
出典:エーリッヒ・フロム『悪について』p25.「…もし傷つけられ、侮辱され、害を与えられても、生産的に生きるというまさにそのことが、過去の傷を忘れさせてくれる」。
つまり、「復讐の願望より生産的に生きることの方が強い」ということだが、これは言い方を変えれば、仇を憎み続けることより、それを許す方が、健全な精神を保つうえではるかに重要だということだ。フロムがナチスの迫害を逃れ、ドイツからアメリカに亡命したユダヤ人だったことは、特筆すべきだろう。
許しが辛い経験を克服する効果をもつことは、現代の心理学でも指摘されており、メンタルケアでも採用されている。
これに従えば、相互不信が渦巻く世界で政治が行うべきは、テロリスト(あるいは闇の仕事を請け負う人々)が生まれずに済む社会を目指すことや、遺族が「許し、前を向ける」ように手助けすることであり、報復感情を鼓舞することではない。
筆者は亡命した経験も、身近な人をテロで失った経験もない。そのうえであえて言うなら、遺族がタラント容疑者を「許す」ことは、フロムの考察に適うだけでなく、憎悪と報復の連鎖を断ち切ろうとする勇気ある決断ともいえるだろう。だとすれば、それとは逆に、憎悪をただ煽るエルドアン大統領と、それに歓声をあげる支持者たちは、この「強さ」と全く無縁といえるのである。
※Yahoo!ニュースからの転載
- 六辻彰二/MUTSUJI Shoji
- 国際政治学者



