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- 2012年04月11日 13:57
てんかん報道(特に、報道関係者のかたへ)
【追記あり 2012.4.12 19:10 祇園事故について】
【本文中に追加した文章があります 2012.4.13 8:27】
鹿沼市で発生したクレーン車暴走事件から一年が経過し、この事件を取り上げる番組が各局で放送され、新聞にもご遺族のかたが交通事故厳罰化と免許制度見直しの陳情を行った件が報道されました。しかしこれらの多くは、視聴者や読者の心の中で「てんかん患者によって引き起こされた事件」と「遺族の悲しみ」に焦点が結ばれ、この二つの要素から、報道の意図とは異なるかもしれませんが、(すべての)てんかん患者の運転は危険である、さらに「てんかん患者は危険である」といった印象をすくなからぬ人々に与えたように感じます。
そして、てんかん患者への憎悪の念が再生産されることが懸念されます。
この感想は、私がてんかん患者であることから被害妄想的に思い込んだものではなく、一年前の当ブログへの過激なものを含む反応を見る限り、てんかんとは何かを知らぬ人々にとっては当然のものだと言えます。
てんかんという病名を知っていても、てんかんとは何かという基本的な情報を持たないほとんどの人々は、「とつぜん泡を吹いて倒れる、稀なる脳の病気」という印象しかありません。
「とつぜん泡を吹いて倒れる、稀なる脳の病気」の患者が、自動車を運転するのはもってのほかと考えるでしょうし、このような患者がいつ自分の生活を脅かすとも限らないと感じるのが普通でしょう。
このことに多くのてんかん患者やてんかん患者の親族が、つらい思いをしています。
そもそも事件について報道されるかたがたは、てんかんについてどのような知識をお持ちなのでしょうか。まさか「とつぜん泡を吹いて倒れる、稀なる脳の病気」というレベルに留まっているとは思いたくありません。
一年前、事件を起こした運転手について各種報道では「発作を起こす病気」という表現を用いました。私が某報道機関のかたから受けた説明よると、世間一般がてんかんへの理解が乏しいため、病名を敢えて自主的にふせたということでした。あれから報道機関のみなさんの、てんかんへの知識は情報としてどれくらい増えたのでしょうか。
てんかん患者は人口比100人に1人の割合で存在し、一生のうち一度でもてんかん発作を起こす人は100人に10人の割合で存在します。まったく「稀なる病気」ではなく「ありふれた病気」なのです。
そうは言っても身近にてんかん患者などいない、というのであれば、なぜてんかん患者が見当たらないのか考えてみてください。
理由のひとつは、てんかん患者であることを告白・告知することで受けるであろう偏見や差別を恐れ、これを口にしない患者がほとんどであることが挙げられます。いまだにてんかんであることが知られたことで、就職ができなかったり、解雇されるのは珍しくないのです。仮に職業上の不利益を被らなかったとしても、あざ笑われたり、特殊な目で見られることを患者は恐れています。
ふたつめに、抗てんかん薬の服用によって多くのてんかん患者は発作を抑えることができるためです。もし100人に1人も存在するてんかん患者が発作を抑えることができなかったら、一日のうちに何度も、あちこちで、発作を起こしている人を目撃することになるでしょう。
みっつめに、てんかんとは「泡を吹いて倒れる」のではなく、このような大発作を起こす者もあれば、他の様々な発作を起こす者もいる病気だからです。現に私は情動発作という症状を持つ患者で、これは鬱などと外見的に似ています(より複雑な説明を要しますが、ここでは省略します)。みなさんは、「ちょっと意識が飛んでいた(ぼんやりしていた)」と言う健康な人を見かけたことがあると思いますが、実はこれもてんかん発作なのかもしれないのです。
しかし、このようなてんかんに関する情報は報道から伝わってきません。
結果的に、てんかん=意識を突然失う病気=危険、一辺倒になります。
次に、クレーン車暴走事件は「てんかんを告知しては職を失うため、嘘をついたことで引き起こされた事故」と認識され、当人はそのような供述をしているかもしれませんが、これは事件の本質ではないと私は考えます。
たしかに前述したように、てんかん患者であるだけで就職の門戸が閉ざされ、就職できても解雇される事例はすくなくありません。高所作業、機械操作など、患者本人のみならず他者にも危険が及ぶ可能性がある職種では、区別されて当然なのですが、その他の職種においても抗てんかん薬によって発作が抑えられている者が差別を受けることについては、早急に改善されなければならない問題ではあります。
しかしクレーン車暴走事件の本質は、区別されて当然の職種の「運転」にことさら固執し続けた点、医師による治療と処方された薬の服用をあまりに軽視した点にあり、これはてんかんに限らず発作を起こす可能性がある「低血糖」などの患者にも該当する、当人の意識や態度の問題です。
低血糖症状のかたがたを苦しめるつもりはありませんが、糖尿病患者の0.5%が低血糖が原因の自動車事故を起こしているという報告があります(【第49回糖尿病学会年次学術集会速報】http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/hotnews/int/200606/500577.html)。低血糖による事故の報道は、ひき逃げ事故の裁判について先日触れられた程度です。それともこの事件も、「事故から一年が経ち」のごとく報道するのでしょうか。あるいは、一回の事故で亡くなったかたの人数の多寡が、報道する、しないの基準なのでしょうか。または、てんかんという病気に起因する事件であるから報道するのでしょうか。てんかんという病気が関わっているから報道するのなら、それはなぜですか。(警察庁統計では、総交通事故数に占める「てんかん発作が原因と疑われる」事故の割合は0.01%とされています。患者は100人に1人、一生のうちてんかん発作を一度でも起こすとされる者は100人に10人程度とされていることをあわせて、てんかん発作を事故原因とする0.01%が多いか少ないかは読む者によって判断が分かれるところでしょうけれど、てんかんという病気を知る上で参考にはなるでしょう)
被告人が「てんかん患者」であるという属性だけが世間に知れ渡っていたことで、結果として事件の本質より、誤解が放置されたままの一般の意識に訴える報道になったことについて考えていただきたいと思います。
別のエントリーで挙げた例を、再度ここに書き記します。
職業上の不利益を被るのを恐れ「てんかん患者は嘘をついている」という批判や批難が多数存在し、私のもとにも抗議のメールが届きます。「もし、社員がてんかんだとわかったら解雇する」と断言した経営者もいます。これはクレーン車暴走事件以来、特に顕著になったもので、事件の本質が「てんかん患者特有の嘘」にあると認識されているためであり、報道される際に「てんかんなのに、騙して就職」の部分に(意図せずとも)焦点が当たりがちであるための現象だと感じます。
前述のように、てんかん患者とはいつも大発作を起こしている存在ではありません。てんかんと一度診断された後は発作がなくても完治したとされにくく、また発作は抗てんかん薬によって抑えられます。それなのに、(法を遵守したうえで)病名を告知・告白しない生きかたを選択せざるを得ない患者にまで告知・告白をするよう強要する風潮が強まる傾向と、社会を欺いて生きているという負い目が、てんかん患者を圧迫しています。
「てんかん」という病名を言うな、書くな、と言いたいわけではありません。
むしろ「てんかん」という病名と、この病気の正しい情報を伝えていただきたいのです。
病気の正しい情報を伝えるには、番組(紙面・誌面)の特性がそぐわず、時間(文字数)が必要で、スキャンダラスに興味を喚起できず、視聴者(読者)の感情に訴えるものがない、と反論されそうな気がします。
しかし、ご遺族のかたがたが大いなる悲しみを抱いているのと同時に、てんかん患者と親族はこの報道のありかたにつらい思いをし続けているのです。
てんかんという病気にまつわる交通行政、裁判の行方の報道こそ、公益性があると言うのであれば、おそらく有史以前から恐れの対象とされ続け、当人も親族も悩みと不利益を被っている「てんかん患者問題」と「てんかんについての正しい情報」にも公益性があるのではないでしょうか。
そして、クレーン車暴走事件にまつわる報道は、「てんかんについての正しい情報」の提供と一体になってこそ問題の本質があきらかになり正確性が増すはずです。
報道機関がクレーン車暴走事件について伝えるたび、当ブログのアクセス数は格段に伸びます。そして潮が引くように、翌々日あたりから通常数に戻ります。アクセス数だけでなく、てんかん患者全体を批難するメールも堰を切ったように届き、これも数日でいつも通りの数になります。Twitter を飛び交う発言にも、ヘイトスピーチがあふれました。
これらは事件が思い出されれば当たり前の反応かもしれませんが、私には「てんかん患者が何人も殺した事件」という情報(スキャンダル)がいたずら消費されている様に感じられてなりません。報道が「怒り」や「不満」のはけ口の引き金を引いている可能性をまったく否定できないのです。
これら「怒り」や「不満」をぶつける対象を見つけ出したい人たちは、一時的にてんかん患者を標的にするだけでなく、中には憎悪とも言える意識を末永く持ち続ける者もいて、これではてんかん患者は救われません。
短くはないエントリーを読んでくださったことを感謝します。ここまで読んでくださったかたには、お手数ですが「クレーン車暴走事件の背景は職ではない」を一読していただきたいと切に望みます。
※当エントリーは私の考えであると同時に、当方へ寄せられた意見に基づき作成しました。
【追記】
4月12日、京都祇園にて死者、重軽傷者を多数出す痛ましい自動車暴走事故が発生しました。
報道では容疑者(死亡)は「持病を持っていた」と言い、「てんかん患者だった」と伝えられています。
これがてんかん発作が原因の事故だったと断定される前に、容疑者の個人情報であり、このエントリーでも語った通り影響が大きい病名の特定を報道機関がしてよいものなのでしょうか。
容疑者が死亡したことで発作との因果関係ははっきりしないまま終わる可能性があります。このとき、てんかん患者への憎悪だけが残ることになります。
事実、いまこのとき Net にはてんかん患者への憎悪の言葉、合法的に免許を取得している者へも批難の言葉が渦巻いています。
もちろん、てんかん患者は法に従い、治療と服薬、体調管理を厳格に行わなければなりません。
このようにして生きているてんかん患者が、さらに生きにくくなったことを痛切に感じます。
【本文中に追加した文章があります 2012.4.13 8:27】
鹿沼市で発生したクレーン車暴走事件から一年が経過し、この事件を取り上げる番組が各局で放送され、新聞にもご遺族のかたが交通事故厳罰化と免許制度見直しの陳情を行った件が報道されました。しかしこれらの多くは、視聴者や読者の心の中で「てんかん患者によって引き起こされた事件」と「遺族の悲しみ」に焦点が結ばれ、この二つの要素から、報道の意図とは異なるかもしれませんが、(すべての)てんかん患者の運転は危険である、さらに「てんかん患者は危険である」といった印象をすくなからぬ人々に与えたように感じます。
そして、てんかん患者への憎悪の念が再生産されることが懸念されます。
この感想は、私がてんかん患者であることから被害妄想的に思い込んだものではなく、一年前の当ブログへの過激なものを含む反応を見る限り、てんかんとは何かを知らぬ人々にとっては当然のものだと言えます。
てんかんという病名を知っていても、てんかんとは何かという基本的な情報を持たないほとんどの人々は、「とつぜん泡を吹いて倒れる、稀なる脳の病気」という印象しかありません。
「とつぜん泡を吹いて倒れる、稀なる脳の病気」の患者が、自動車を運転するのはもってのほかと考えるでしょうし、このような患者がいつ自分の生活を脅かすとも限らないと感じるのが普通でしょう。
このことに多くのてんかん患者やてんかん患者の親族が、つらい思いをしています。
そもそも事件について報道されるかたがたは、てんかんについてどのような知識をお持ちなのでしょうか。まさか「とつぜん泡を吹いて倒れる、稀なる脳の病気」というレベルに留まっているとは思いたくありません。
一年前、事件を起こした運転手について各種報道では「発作を起こす病気」という表現を用いました。私が某報道機関のかたから受けた説明よると、世間一般がてんかんへの理解が乏しいため、病名を敢えて自主的にふせたということでした。あれから報道機関のみなさんの、てんかんへの知識は情報としてどれくらい増えたのでしょうか。
てんかん患者は人口比100人に1人の割合で存在し、一生のうち一度でもてんかん発作を起こす人は100人に10人の割合で存在します。まったく「稀なる病気」ではなく「ありふれた病気」なのです。
そうは言っても身近にてんかん患者などいない、というのであれば、なぜてんかん患者が見当たらないのか考えてみてください。
理由のひとつは、てんかん患者であることを告白・告知することで受けるであろう偏見や差別を恐れ、これを口にしない患者がほとんどであることが挙げられます。いまだにてんかんであることが知られたことで、就職ができなかったり、解雇されるのは珍しくないのです。仮に職業上の不利益を被らなかったとしても、あざ笑われたり、特殊な目で見られることを患者は恐れています。
ふたつめに、抗てんかん薬の服用によって多くのてんかん患者は発作を抑えることができるためです。もし100人に1人も存在するてんかん患者が発作を抑えることができなかったら、一日のうちに何度も、あちこちで、発作を起こしている人を目撃することになるでしょう。
みっつめに、てんかんとは「泡を吹いて倒れる」のではなく、このような大発作を起こす者もあれば、他の様々な発作を起こす者もいる病気だからです。現に私は情動発作という症状を持つ患者で、これは鬱などと外見的に似ています(より複雑な説明を要しますが、ここでは省略します)。みなさんは、「ちょっと意識が飛んでいた(ぼんやりしていた)」と言う健康な人を見かけたことがあると思いますが、実はこれもてんかん発作なのかもしれないのです。
しかし、このようなてんかんに関する情報は報道から伝わってきません。
結果的に、てんかん=意識を突然失う病気=危険、一辺倒になります。
次に、クレーン車暴走事件は「てんかんを告知しては職を失うため、嘘をついたことで引き起こされた事故」と認識され、当人はそのような供述をしているかもしれませんが、これは事件の本質ではないと私は考えます。
たしかに前述したように、てんかん患者であるだけで就職の門戸が閉ざされ、就職できても解雇される事例はすくなくありません。高所作業、機械操作など、患者本人のみならず他者にも危険が及ぶ可能性がある職種では、区別されて当然なのですが、その他の職種においても抗てんかん薬によって発作が抑えられている者が差別を受けることについては、早急に改善されなければならない問題ではあります。
しかしクレーン車暴走事件の本質は、区別されて当然の職種の「運転」にことさら固執し続けた点、医師による治療と処方された薬の服用をあまりに軽視した点にあり、これはてんかんに限らず発作を起こす可能性がある「低血糖」などの患者にも該当する、当人の意識や態度の問題です。
低血糖症状のかたがたを苦しめるつもりはありませんが、糖尿病患者の0.5%が低血糖が原因の自動車事故を起こしているという報告があります(【第49回糖尿病学会年次学術集会速報】http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/hotnews/int/200606/500577.html)。低血糖による事故の報道は、ひき逃げ事故の裁判について先日触れられた程度です。それともこの事件も、「事故から一年が経ち」のごとく報道するのでしょうか。あるいは、一回の事故で亡くなったかたの人数の多寡が、報道する、しないの基準なのでしょうか。または、てんかんという病気に起因する事件であるから報道するのでしょうか。てんかんという病気が関わっているから報道するのなら、それはなぜですか。(警察庁統計では、総交通事故数に占める「てんかん発作が原因と疑われる」事故の割合は0.01%とされています。患者は100人に1人、一生のうちてんかん発作を一度でも起こすとされる者は100人に10人程度とされていることをあわせて、てんかん発作を事故原因とする0.01%が多いか少ないかは読む者によって判断が分かれるところでしょうけれど、てんかんという病気を知る上で参考にはなるでしょう)
被告人が「てんかん患者」であるという属性だけが世間に知れ渡っていたことで、結果として事件の本質より、誤解が放置されたままの一般の意識に訴える報道になったことについて考えていただきたいと思います。
別のエントリーで挙げた例を、再度ここに書き記します。
私が暮らす街で以前、信号待ちをしていた看護師三人が暴走車に轢かれ死亡する事件が起きました。大学生だったこの若葉マークの運転者は、恋人を駅まで送った帰り道、かなりの速度超過と信号無視をした上で交差点に侵入し、(矢印信号青の)右折車に接触したうえ歩道に突っ込みました。運転していた大学生は右足を骨折しており、そのうえ履物はサンダルでした。右足を骨折していたので、すべてのペダルを慣れない左足で操作していたこともわかりました。若年層の無謀運転はすくなからずありますが、このときの報道で「大学生だから」という言説は皆無でした。
この事件の本質は、大学生、若葉マーク、といった彼の属性にあるわけではありません。運転に支障が出る右足の骨折を軽視し、しかも無謀な運転をしていたことが事件の本質です。
事件後、大学生の運転は危険だから大学生には免許を交付するなと言う者はいませんでした。誰しもが、怪我の影響を軽視し、無謀運転をする、これら行為そのものを批判したのです。健常者と異なる体づかいをして運転せざるを得ない身体障碍の人に免許を与えるなという論議もとうぜんありません。ここが、発作を起こしていないてんかん患者、抗てんかん薬で発作を抑えられるてんかん患者への風当たりと違う点です。
職業上の不利益を被るのを恐れ「てんかん患者は嘘をついている」という批判や批難が多数存在し、私のもとにも抗議のメールが届きます。「もし、社員がてんかんだとわかったら解雇する」と断言した経営者もいます。これはクレーン車暴走事件以来、特に顕著になったもので、事件の本質が「てんかん患者特有の嘘」にあると認識されているためであり、報道される際に「てんかんなのに、騙して就職」の部分に(意図せずとも)焦点が当たりがちであるための現象だと感じます。
前述のように、てんかん患者とはいつも大発作を起こしている存在ではありません。てんかんと一度診断された後は発作がなくても完治したとされにくく、また発作は抗てんかん薬によって抑えられます。それなのに、(法を遵守したうえで)病名を告知・告白しない生きかたを選択せざるを得ない患者にまで告知・告白をするよう強要する風潮が強まる傾向と、社会を欺いて生きているという負い目が、てんかん患者を圧迫しています。
「てんかん」という病名を言うな、書くな、と言いたいわけではありません。
むしろ「てんかん」という病名と、この病気の正しい情報を伝えていただきたいのです。
病気の正しい情報を伝えるには、番組(紙面・誌面)の特性がそぐわず、時間(文字数)が必要で、スキャンダラスに興味を喚起できず、視聴者(読者)の感情に訴えるものがない、と反論されそうな気がします。
しかし、ご遺族のかたがたが大いなる悲しみを抱いているのと同時に、てんかん患者と親族はこの報道のありかたにつらい思いをし続けているのです。
てんかんという病気にまつわる交通行政、裁判の行方の報道こそ、公益性があると言うのであれば、おそらく有史以前から恐れの対象とされ続け、当人も親族も悩みと不利益を被っている「てんかん患者問題」と「てんかんについての正しい情報」にも公益性があるのではないでしょうか。
そして、クレーン車暴走事件にまつわる報道は、「てんかんについての正しい情報」の提供と一体になってこそ問題の本質があきらかになり正確性が増すはずです。
報道機関がクレーン車暴走事件について伝えるたび、当ブログのアクセス数は格段に伸びます。そして潮が引くように、翌々日あたりから通常数に戻ります。アクセス数だけでなく、てんかん患者全体を批難するメールも堰を切ったように届き、これも数日でいつも通りの数になります。Twitter を飛び交う発言にも、ヘイトスピーチがあふれました。
これらは事件が思い出されれば当たり前の反応かもしれませんが、私には「てんかん患者が何人も殺した事件」という情報(スキャンダル)がいたずら消費されている様に感じられてなりません。報道が「怒り」や「不満」のはけ口の引き金を引いている可能性をまったく否定できないのです。
これら「怒り」や「不満」をぶつける対象を見つけ出したい人たちは、一時的にてんかん患者を標的にするだけでなく、中には憎悪とも言える意識を末永く持ち続ける者もいて、これではてんかん患者は救われません。
短くはないエントリーを読んでくださったことを感謝します。ここまで読んでくださったかたには、お手数ですが「クレーン車暴走事件の背景は職ではない」を一読していただきたいと切に望みます。
※当エントリーは私の考えであると同時に、当方へ寄せられた意見に基づき作成しました。
【追記】
4月12日、京都祇園にて死者、重軽傷者を多数出す痛ましい自動車暴走事故が発生しました。
報道では容疑者(死亡)は「持病を持っていた」と言い、「てんかん患者だった」と伝えられています。
これがてんかん発作が原因の事故だったと断定される前に、容疑者の個人情報であり、このエントリーでも語った通り影響が大きい病名の特定を報道機関がしてよいものなのでしょうか。
容疑者が死亡したことで発作との因果関係ははっきりしないまま終わる可能性があります。このとき、てんかん患者への憎悪だけが残ることになります。
事実、いまこのとき Net にはてんかん患者への憎悪の言葉、合法的に免許を取得している者へも批難の言葉が渦巻いています。
もちろん、てんかん患者は法に従い、治療と服薬、体調管理を厳格に行わなければなりません。
このようにして生きているてんかん患者が、さらに生きにくくなったことを痛切に感じます。



