
「歩くロッケンロール」「ロックンロール界の首領」
内田裕也さんが肺炎のため3月17日、亡くなった。79歳。誰もマネ出来ない破天荒な人生だった。
1991年。私は仲の良かった大手芸能プロダクション「F」のO社長のお手伝いのため当時、51歳のエネルギーに満ち溢れた内田さんが出馬した選挙を手伝った。これが今でも語り草になっている、ハチャメチャな"伝説の"東京都知事選である。
この時の都知事選は、自民党東京都連が推し、4選を目指す現職の鈴木俊一氏に対して、自民党本部が担ぎ出した元NHKの人気キャスター磯村尚徳氏の一騎打ちといった様相だった。
そこに割って入ろうとしたのが、アントニオ猪木(スポーツ平和党)参議院議員だった。ところが、公示直前に周囲から大説得にあって出馬を断念。これを受けて突然、立候補を表明したのが内田さんだった。
ロックンロール魂に火が点き、「猪木が立たないのなら、俺が立つしかない」と立候補した。
何の準備もない。ただ、「内田さんのためなら」とボランティアがたくさん集まり、行く先々で黒山の人だかりとなった…。しかも、その公約は――。
1.羽田沖に大埋立地を作り、インターナショナルエアポートにする
2.役所的文化人をニューパワーを持ったアーティストに移行させていくetc.
という、ユニークなモノだった。
しかし一番、型破りだったのが当時、「これが放送事故か?」と言われた「政見放送」だっただろう。
いきなり、ジョン・レノンの「Power to the People」のサビをアカペラで披露。続けて、エルビス・プレスリーのカバーで有名な「Are You Lonesome Tonight?」を歌い、英語での自己紹介が始まる…。
放送は5分30秒の尺だったが、ほとんど歌と英語で公約はなかった。
たいていの人は何が何だかわからなかったと思うが、その熱量・情熱は十分、茶の間に伝わったと思う。
それやこれやで、アッという間に都知事選は終わり、結果は立候補者16人中の5位。有効投票総数の1割を下回ったため供託金300万円は没収となったが、5万4,654票を集め、ロックンロール魂を全国に広めただけに費用対効果は抜群だったと言えるかもしれない。
政治の流れは続き、「ロックミュージシャンが政治に関心を持たないと、次の世代に伝えられない」と旧民主党政権時には政府の事業仕分けを熱心に見学。阪神大震災や東日本大震災では、被災地支援活動に携わった。
離婚届を提出し、訴訟を起こされた過去

プライベートでは女優・樹木希林さんとの"独特な"夫婦関係が有名だ。
1973年に結婚したものの、1年半で別居。しかしその後も婚姻関係を続け、1981年には内田さんが一方的に離婚届を提出したことに対し、希林さんが訴訟を起こして話題となった。
晩年は体調を崩し、車いす生活に。昨年9月、希林さんが亡くなった時は「お疲れ様。安らかに眠って下さい。見事な女性でした」とコメントを発表し、葬儀の喪主を務めた。
それから半年。内田さんは希林さんの後を追うように、波乱万丈に満ちた人生の幕を閉じた。
『ミスター・ロッケンロール』内田裕也さん、安らかに!!
山根弘行(やまね・ひろゆき)
芸能ジャーナリスト。鳥取県三朝温泉出身。
元日刊スポーツ新聞社編集局文化社会部記者。在職中に「日本レコード大賞」の審査員を長期にわたってつとめる。「宮沢りえ&貴乃花の破局」のスクープで社長賞。その後、テレビ朝日のワイドショー芸能デスク兼レポーター。イベントのキャスティングやPR等を行うかたわら、フジテレビ「バイキング」にも出演。