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3月13日(水)ムネオ日記

 3月10日、エチオピアで旅客機が墜落し、乗員乗客157人全員が死亡した事故があったが、空港で搭乗口が直前に閉められ乗り遅れて助かったギリシャ人男性がいたことが報道されている。

 空港でナイロビ行きの便に乗り継ごうと搭乗口に駆けこんだ。ゲートは閉まっていたが乗客が機内に乗り込んでおり、空港職員に抗議したが、乗れなかった。

 ところが、その便が後で墜落したと知らされ、びっくりしたという。

 一秒でも早く空港についていたら予定通り飛行機に乗っていたかもしれない。
 ちょっとした、なんとも言いようのない巡り合わせに、手を合わせた事だろう。人生とは何があるかわからないものである。

 毎日新聞1面に、「石原元知事『理念、俺じゃない』」という見出し記事がある。記事の一部を紹介したい。

 東京五輪は「復興五輪」を看板に掲げている。この理念はいつ、どこで生まれたのか。
 元をたどると、東日本大震災から3カ月後の2011年6月17日、東京都の石原慎太郎知事が招致への意欲を示した都議会での所信表明演説に行き着く。だが、東京・田園調布の自宅で取材に応じた86歳の石原氏は「俺が言い出したんじゃない」と否定した。
(中略)
 都議会初日。壇上に立った石原知事は、64年五輪を「戦後の焼け野原から立ち上がり、国際社会に復興した姿を示した」と振り返り、「大震災から立ち直った9年後の日本の姿を披歴すれば、世界中から寄せられた友情や励ましへの何よりの返礼となるに違いない」と強調した。招致成功には日本の総力結集が不可欠だ、と注文もした。

 東京五輪決定を待たず翌年10月に辞職した石原氏は、8年前のこの演説を巡る経緯をはっきり覚えていない。都知事の演説は事務方が練り上げた文案に本人がお墨付きを与え、トップの意思として世に出るのが通例だ。「俺は五輪を復興に結びつけたいとは思わなかった。役人のレトリック(巧みな言い回し)だろ」
 来年のオリンピック・パラリンピックを復興オリンピック・パラリンピックにしたいという思いは多くの人の心にあるのではないか。

 1964年の東京オリンピックが、戦後廃墟から立ち上がった日本の姿を世界にアピールした。そして、世界の中の日本から世界に責任をもつ日本になった。

 あの未曾有の大震災から9年で立ち上がった日本の2度目の奇跡を世界に訴える絶好の機会である。その為には、国民等しく自分に出来る協力を498日間していこうではないか。
 2020年を日本人の底力を示す年にしたいものだ。

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