記事

飯舘村「オオカミ信仰」の里で始まった「人と人の交流」の地域再生(下)- 寺島英弥

2/2

世代を超えた農民の思い

 宗夫さんは2018年春に佐須の行政区長に選ばれた。古い自宅を改築し、妻千恵子さん(67)と念願の帰還をかなえ、地域づくりの活動を再開した。だが、それに先立つ昨年9月29日、父の次男さんを95歳で亡くした。「あれほど帰りたがった家に住まわせたかった」と無念がった。

 次男さんが若かった当時の東北は貧しく、尋常小学校のころ、生家を出て山津見神社の宮司家で1年を過ごし、佐須の篤農家の養子になった。戦争で朝鮮・羅南に出征し、フィリピンに転戦する途中に輸送船団を攻撃され、九死に一生を得て台湾で終戦を迎えた。戦後は佐須で払い下げの林野を開拓、「農地を増やし、耕す半生だった」と宗夫さん。

「村の原発事故被害を深く憂えていた。新聞を必ず読み、『戦争よりひどいな、先が見えず、終わりがない』と言っていた。しかし、宗夫さん・千恵子さん・お子さん・お孫さんたちを激励して、前向きに生きようとしていた」

「毎年の田植えと稲刈りは、放射能に汚れた田んぼの除染と土壌や稲の放射能測定という私たちの試みを持続させる厳しい目的とともに、稲作の伝統を体験する楽しいものでもあった。その主役はいつも次男おじいちゃんであった」(『ふくしま再生の会』のフェイスブックに田尾さんが寄せた次男さんの追悼文より)

 宗夫さんは経営を次男さんから継いで、新しい農業を志して1972年、山津見神社総代の菅野永徳さん(『飯舘村「オオカミ信仰」の里で始まった「人と人の交流」の地域再生』(上)2019年3月4日参照)、現村長の菅野典雄さんらと「飯舘酪農青年研究同志会」を結成した。

「高冷地の飯舘村は昔から冷害常襲地で農耕馬の産地。中でも佐須は土地が細長くて傾斜地が多く、農地が少なかった。もともと牛も身近な家畜。食生活の洋風化で乳製品の需要が増え、牛のたい肥を循環させて農地も肥やせる。経営安定への希望があった」。最盛期に乳牛30頭を飼った会長の宗夫さんら、佐須では8戸の農家が仲間になって共同防除にも取り組み、「若い農業者グループ活動コンクール」の内閣総理大臣賞に選ばれた。次男さんの代の開拓者農業協同組合から受け継ぐ「結(ゆい)の精神の助け合いで地域づくりをしてきた」

 原発事故が起きる前は水田約3ヘクタールとハウスの野菜栽培、和牛11頭を飼っての繁殖を営み、集落営農のまとめ役だった。

 田の縁の木々の葉に、モリアオガエルの泡のような卵が揺れる、豊かな環境でコメを育て、天日干しで自然乾燥させた。しかし全村避難を境に、地元の農家は離散した。宗夫さんは当時、村農業委員会の会長でもあり、生業を続けたい農家の避難先の役所を訪ねては「農地をあっせんしてほしい」と頼んで歩いた。

 自らも避難生活1年目から宮城県丸森町で、一緒に避難した近所の農家、阿部勝男さん(70)と水田50アールを借りた。水も環境も佐須に似た山里で、天日干しの手間暇掛けたコメ作りを今も続ける。「1人の農家として、田んぼと切り離された生活は考えられない。辛抱も苦労も仲間と一緒なら半分になる」と、丸森町での取材で語った。

 次男さんも避難先で毎日5000歩の運動を欠かさず、毎年春の稲作試験の田植えでは伝統の蓑も着て、見事な手植えの手本を見せた。原発事故で汚染され、被災地となった村の農地は先人たちの血と汗によって生まれた。再生への思いは世代を超えたものだった。

「不死鳥の如く」

宗夫さんの水田のコメで造った酒「不死鳥の如く」

 昨年暮れ、佐須の宗夫さんの家で取材を終えた時、「これ、持っていってよ」と渡されたものがある。720ミリリットル瓶に墨文字で『純米 不死鳥の如く』とかかれた日本酒だ。

 ラベルの写真には見慣れた景色があった。いつも相馬市方面から国道115号を折れて峠を越え、飯舘村で最初に出合う佐須の里の雪景色だ。山津見神社のご本殿が鎮座する虎捕山も見える。

 この酒が初めてお目に掛かる銘柄なのは当然のことだった。「ここの田んぼで獲れたコメを原料にして、世に出たばかり」と言う。原発事故から再起しようとする村の人々の願いを込め、売り出そうとしている。

「ふくしま再生の会」との協働で、宗夫さんが水田除染や稲作試験に挑んだことを紹介した。その効果を示したのが2014年秋だった。収穫した玄米を地元の「JAそうま」(福島県指定検査機関)に持ち込み、放射性物質の有無の検査を受けた結果、「不検出」(測定限界値25ベクレル/キロ)となった。村では農地除染完了まで農業を再開できないため、あくまで試験サンプルだが、「科学的な知恵を集め、継続的にチャレンジして得られた成果だ。村の農業再生は可能であると証明できた」と喜んだ。試験栽培のコメは以後も毎年秋、「不検出」の結果を重ねた。

「最初の稲作試験の分析結果から、除染後の水田から玄米に放射性物質はほとんど移行しないという事実が分かった。糠(ぬか)を削った白米から、酒造りもいけるのではないか、という発想だった」。こう語るのは溝口勝さん。同僚の研究者たちと「東京大学福島復興農業工学会議」を立ち上げ、専門の知見を生かした農業再生の実験や実用機材の開発を担ってきた。

 佐須発の酒造り計画は2017年に始まった。福島県が奨励する酒米品種「夢の香」を試験栽培に加え、秋の収穫後、喜多方市の老舗「大和川酒造」に醸造を委託した。500本の酒が生まれ、村内の道の駅や再開した商店で販売された。「舌の奥までぴりっと染みる、今までにない辛口の自信作」と溝口さん。『不死鳥の如く』の命名者でもある。もともと母校東大の野球部の試合で攻撃のチャンスが巡ると、応援席で演奏される曲の名だ。「その年の夏、応援部の主将らを佐須の公民館に招き、住民激励の演武を披露してもらった縁もあった」

 宗夫さんらは、避難指示解除を経て稲の本格栽培を始めた昨年、「夢の香」の栽培面積を前年の3倍の40アールに拡大した。タブレットを使って遠隔地からも水管理の操作ができる、溝口さん考案の装置を活用して育てた。「天候にも恵まれて豊作だった。品質がいい」と言う。この4月には新酒2000本を見込む。「不死鳥の如く。われわれの気持ちだよ」

「交流の里」に託す未来

 田尾さんは今、新居のすぐ近くでログハウス風の新しい施設が日々、姿を現していくのを眺めている。自宅を建築した福島県南会津町の「芳賀沼製作」(芳賀沼伸社長)が、飯舘特有の凍りつくような風が吹く1月に着工した。

畑の端で語り合う菅野永徳さん(左)と田尾さん。右奥が建築中の「交流の家」=2019年3月3日

 現場に運ばれた部材は厚さ10.5センチ、幅18センチ、長さ4メートルほどの均一な角材。彫られた溝を組み合わせる独特の工法で、宿泊棟を備えた交流の家が3月下旬には完成する予定だ。建築材料はすべて、二本松市にあった避難者の仮設住宅を分解した部材。木の優れた断熱性、耐久性に加え建築が容易な利点を生かし、各地で再利用されている。佐須では、地域の未来が託された施設になる。

「避難中に自宅を解体し、佐須を離れて暮らす住民が一時帰郷の折に泊まれる、古里の家だ。帰還した仲間とのお茶飲み、おしゃべりの井戸端空間にもなる。隣には、木造の大きな共同浴場も建てるんだ」。にぎわいを想像するように田尾さんは語る。計画、運営するのは、行政区長の宗夫さんが会長、永徳さんが顧問、田尾さんが事務局長を務める「佐須行政区活性化協議会」。いまだ住民の帰還が少なく(村民の帰還率は2月現在で17.6%)、農業の回復も進まぬ地域を「交流の里」づくりで再興しようと、国の事業を活用してプランを立てた。宗夫さんは「佐須に戻った人、戻らない人を孤立させず、結の作業も維持し、高齢者にも生きがいをつくる。古里を思う気持ちを1つにまとめ、誰もが幸せになれる地域づくりだ。難題だが、取り組まなくては」と決意する。

「ふくしま再生の会」は会員約300人の認定NPO法人に成長し、田尾さんは理事長としての活動も忙しい。その間、支援者として宗夫さんらと重ねた協働は信頼の絆になり、ついには家を建てて住民の1人となった。「無論、自分は当事者でなかったが、同志になった人々が奮闘する現場で共に生きたい、と思うのは自然なことではないか」と言う。

 横浜で生まれ、戦争中、祖父母がいる広島県安芸郡坂町に疎開。4歳だった1945年8月6日に、隣の広島市を焼いた原子爆弾のキノコ雲を目撃し、ひどい火傷を負った被爆者たちが運ばれてくるのをまぶたに焼き付けた。

 原発事故が起きた時、「記憶がフラッシュバックした」と語り、高エネルギー加速器物理学の研究に携わった東大時代を挟んで、放射線や原子力との人生の因縁を重ねた。「原爆の惨禍、“原子力ムラ”の人材養成をした大学、福島の生活と生業を壊した原発事故も、いまだ責任者が責任を取っていない。それらを支えてきた社会と意識を変えなくては解決にならない」と考えてきた。

 象徴的な出来事が、原発事故後の2011年4月にあった。米国の大学にいた先輩の要請で久々に訪ねた東大工学部。未曽有の大事故を扱う原子力関係の集会や討論会があるわけでもなく静まり返り、学生に理由を問うても「いえ、自分は関係ありません」「知りません」の言葉が返る、当事者なき世界だった。その現実に衝撃を受けたという。

「多くの無理解、無関心が飯舘の村民を傷つけているのだ。だからここでは、どんな来訪者も取材者も拒まず、忙しくても時間を割いて村を案内し、現場の事実を説明する。それが、ふくしま再生の会にとっても大事な活動になった」

「交流の里」づくりでも、村外の客を呼ぶ農家民宿と農業体験、四季折々の村内ツアーを構想する。山津見神社の氏子総代である永徳さんが願う、伝統の例大祭の復活(『飯舘村「オオカミ信仰」の里で始まった「人と人の交流」の地域再生』(上)2019年3月4日参照)も目指す。屋台が並び、氏子たちが泊まり込んで遠来の参拝者をもてなしたという名物の「茶屋」のにぎわいを、「新しい交流の目玉として復活させたい」と田尾さんは語る。全国のどこにもない地元の宝、天井絵のオオカミたちも出番を待っている。

山津見神社の例大祭で、住民と参拝客が交流した「茶屋」(写真・菅野永徳さん提供)

あわせて読みたい

「東日本大震災」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    毎日が40億円超減資で中小企業に

    岸慶太

  2. 2

    森氏発言に見えた「五輪難しい」

    文春オンライン

  3. 3

    感染拡大するスウェーデンの日常

    田近昌也

  4. 4

    鼻マスク失格 秩序守った監督官

    木走正水(きばしりまさみず)

  5. 5

    プペルも? 泣くための映画に疑問

    かさこ

  6. 6

    菅首相 イエスマンだらけの失策

    毒蝮三太夫

  7. 7

    嬢告白 おっぱいクラスターの今

    文春オンライン

  8. 8

    中国で停電続く 対豪報復がアダ

    NEWSポストセブン

  9. 9

    医療整備に腹くくれない首長たち

    中村ゆきつぐ

  10. 10

    テレ東が先陣 マスク着用で好評

    BLOGOS しらべる部

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。