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公立小中に4万人いる常勤講師の差別待遇

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全国の公立の小中学校には、「常勤講師」と呼ばれる非正規の教員が約4万人いる。仕事内容は正規の教員とほとんど同じ。だが正規教員の給与が年700万円程度なのに対し、非正規では最高でも年400万円未満と少ない。N県で17年間、常勤講師として勤務し、昨年4月に正規教員となった男性に、「差別待遇」の実態を聞いた――。

「常勤講師の制度は差別でしかない」


※写真はイメージです(写真=iStock.com/maroke)

「私は19年間講師として働いてきました。45歳になってようやく正式に教員に採用されましたが、いま改めて感じているのは、常勤講師の制度は差別でしかないということです」

こう話すのは、N県の公立小学校などで長年講師として働き、2018年4月に45歳でようやく教員に正式採用されたAさん。N県では教員採用試験の受験資格が40歳未満だったため、それまでに合格できなかったAさんは一度は採用の道が閉ざされた。それが16年になって、教員不足などを背景に受験資格が45歳未満に引き上げられたことから、何とかギリギリで合格を果たすことができた。

Aさんは採用の道がいったん閉ざされて以降、臨時教員の待遇改善を訴えてきた。教職員組合に「臨採部(臨時採用教職員部、の意味)」を立ち上げたほか、正式採用された現在も、研修会に招かれ、講師の勤務実態や改善策などについて講演している。

教職から離れて3年後、「離島で勤務しないか」と誘い

Aさんは大学を卒業後、他県の公立中学校で2年間講師として働いた。1年目はいきなり3年生を担任。2年目は2年生を担任したが、自分の無力さを感じて、一度は教職から離れた。地元に戻り、祖父母を頼って一緒に暮らしていた。

すると教職から離れて3年がたった頃、地元の教育事務所から「離島の小学校で勤務しませんか」と連絡があった。産休・育休で教員に空きが出たということだった。

講師の誘いを受けたことで、この機会に再度教員の道を歩んで、正採用を目指すことを決心。祖父母に伝えようと思った矢先、祖父はその日に倒れ、そのまま他界してしまった。

「心配をかけた祖父に、安定した仕事に就くことを報告して、安心してもらおうと思ったのですが、知らせることができませんでした。間に合わずに、悔いが残っています」

祖父の葬式が終わって、Aさんは離島へと出発した。しかし、そこから長く続く講師としての生活は、安定とは程遠いものだった。

仕事内容は正規の教員とほとんど同じで、担任もする

Aさんは離島で2年間勤務した後、地元で引き続き講師をすることになった。島を出てまもなく結婚し、4人の子どもを育てていく。

講師は基本的に、ほぼ1年おきに職場が変わっていく。その過程で、さまざまなデメリットがあることにAさんは気づいた。

仕事内容は正規の教員とほとんど同じで、担任もする。新採用の教員であれば研修が用意されているが、講師には何もない。県教委や現場からは即戦力を求められるが、誰のサポートもなく、いきなり授業を動かさなければならないのだ。

労働時間も正規教員と変わらない。早朝から夜7時くらいまでは学校にいることも多かった。研究校に指定されている場合は、会議などで夜8時、9時まで勤務することも当たり前だった。学期末などは仕事がさらに増えていく。

講師が荒れているクラスの担任をする、というケースもよくある。荒れているクラスを受け持つことを他の教員が拒否して、講師に任せるというのだ。「講師の仕事面での負担は、むしろ正規教員よりも大きい場合がある」というのがAさんの率直な思いだ。

3月末から4月上旬までの空白期間は無職

こうした状況にもかかわらず、待遇面では正規教員と大きな差がある。任期は3月の修了式までで、3月の給料は日割りになる。そのため、3月だけは厚生年金から国民年金に切り替えなければならない。もし3月に亡くなった場合には遺族年金にも大きな差が出てしまう。

同じように健康保険も社会保険をいったん抜けて、国民健康保険に1カ月だけ加入しなければならない。しかし、3月中は保険証が届かず、その期間に病気になった場合は、窓口で10割全額を負担しなければならなかった。

さらに、Aさんが働き始めた当時は4月2日採用で、4月も日割りだった。日割りになった3月と4月は手当もつかず、給料も少ない。日割り計算によってボーナスも満額は出ない。退職金は1年ごとに支給され、その金額は年間12万~13万円ほど。日割りになっている月の生活費に消えてしまう、といった状態だった。

3月末から4月上旬までの空白期間は、無職である。この時期の平日、子どもの行事などに参加すると、保護者から「先生は春休みがあっていいですね」と言われるのが常だという。しかし、実際は無職の状態だったAさんは「みじめな思いで、一人で落ち込んでいた」と話す。

教員を精神的に追い込む不安定な採用システム

待遇面に加えて、不安定な採用システムが、教員を精神的に追い込む。3月の修了式の時点で、次の勤務先はおろか、4月から臨時教員として引き続き働けるかどうかもわからないのだ。

各県で異なるかもしれないが、Aさんが経験した採用の流れは次のようになる。3月上旬、次の職場がある場合は1回目の通知がくる。人事異動発表後、2回目の通知で勤務予定の学校を知らされるが、自分から学校には連絡しないように、とくぎをさされる。

4月に入って学校長から連絡があり、4月2日(その後、1日付け採用となる)から働けると言われた場合は勤務が確定になる。ところが、そうはならないケースもある。

学校によっては、始業式まで人数が確定せず、予定より少なかった場合はクラスを減らす「危険学級」が設定される。勤務する可能性のある講師は始業式の日に呼ばれ、校長室で待機する。無事、人数がそろえば、その場で採用となるのだ。

何年働きつづけても給料は月額約24万円のまま

ところが、当日校長室で待機していたのに、児童数がそろわずに不採用になったという人も出てくる。Aさん自身は経験していないが、不採用になった知人は教員の道を諦め、他の仕事に就いたという。

何年か講師をやっていればそのうち正採用になるだろう、とまわりからは言われるものの、いつまでたっても身分は不安定のまま。さらに、この理不尽さは年数がたつにつれてひどくなるということが、後からわかってきた。

講師にも昇給はあったが、それが8年で止まるとAさんが知ったのは、昇給が止まる直前だった。N県の場合、講師の給料の上限は月額約24万円。扶養手当もつかない。正式に採用されなければ、この先何年働きつづけても給料はこの金額のままだ。

昇給が止まったとき、Aさんは39歳目前だった。当時のN県では前述の通り、40歳未満、つまり39歳までしか採用試験を受けられない。当時、Aさんの子どもは、上の子が中学2年生で、一番下の子はまだ4歳。これから子どもたちにお金がかかることも目に見えている。何としても正規教員になりたかった。

しかし、採用試験は常に狭き門で、Aさんは最後のチャンスをものにできなかった。結果は不合格だった。

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