- 2019年03月04日 16:53
〈多文化〉韓国を生きる 難民・イスラーム・フェミニズム - 田浪亜央江 / 中東地域研究・パレスチナ文化研究
3/43.忠州(チュンジュ)
ソウルから高速バスで100キロあまり南東に方向に向かい、着いたのは忠州という町である。夜になって、いまラムズィーが住んでいるという校峴(ギョヒョン)住宅公団アパートの前で待ち合わせた。アラブ系、または中東出身者らしく見える男が何人か通り過ぎてゆく。酷寒の夜で、みな帽子やマフラーで顔のほとんどを覆っており、話しかけられる雰囲気ではない。
工場からの帰りのバスから降りたラムズィーが向かってきた。10日前から自動車工場のラインで働き始めたという。同じ工場に勤めるイエメン人4人で暮らしているというアパートの部屋に私が入るわけにもいかないから、どこかカフェでも探して入ろうと勧めるが、なぜか乗り気でない。けっきょく背中を丸めて通りをぐるぐる回りながら話を聞くことになった。
朝7時にバスが来て工場に向かう。8時から仕事。2時間働き20分休み、1時間半働き15分の休みというのが繰り返される。お昼は正午前にランチタイムが始まり、30分。工場で夕食を済ませてから2時間働き、20時半に終わってからバスで戻る。工場は24時間稼働、2交代制だ。まだ新入りなので昼のシフトだが、慣れたら1週間ごとに昼間のシフトと夜間のシフトの交代になる。
ラムズィーは自分の働いている工場の名前さえ知らなかった。そんなことがあるだろうか? 試用期間中だからまだ契約を結んでいないのだという。忠州には現代(ヒュンダイ)の工場があるからその可能性もあるが、その名を挙げても「分からない」と答える。工場は大きく、従業員はおそらく600人とか700人といった規模だという。韓国人と中国人労働者が多く、パキスタン人やウズベキスタン人などのムスリムは、分かる範囲では10数人、うちアラブ人は、イエメン人のほかはエジプト人だけだという。
工場での夕食が18時というのが、中東出身者の一般的な生活感覚からすると衝撃的だ。韓国風の食事には慣れたが、豚肉が出ることもあり、その時は食べない。――工場から戻ったら何もできない。疲れているし、外はこの通りの寒さだし、何もない。朝は6時に起きて準備をする。服も取り替えない日が多いが、構うもんか。
月給がいくらになるか分からないが、200万ウォン(約20万円)くらいを見込んでいるという。ただ、契約を結ぶのが2か月後になると言われたのが業腹だ。友だちに聞いて、ほかにもっといい仕事が見つかったら移ってやる。そう言いながら突然スマートフォンを取り出して、話しかける。イエメンの家族ではなく、済州島で私も会っているハーメドだ。彼は今、釜山で働いているという。ラムズィーはおどけて私と肩を組み、私が画面に一緒に入るようにして「どうだ、いいだろ?」とハーメドに見せびらかす。
まったく、妻と離れて8か月だぜ、我慢できない。分かるだろ? セックスに飢えているということだろう。…お金を貯めたら韓国人と結婚するんだ。イエメンに戻る気はない。日本人でもいい。いや、お前でもいい。結婚しないか? ニヤつきながら私に聞く。「呆れるね、イエメンに奥さんと子どもがいるんでしょう?」…そんなこと構うもんか。
初めて会った時、ラムズィーは40歳だと言っていた。私はさらに歳上だが、いずれにせよ若いとは言えない。難民という困難な立場で、現在はほとんど無一文でもあるというのに、結婚という願望を口にする貪欲な生命力に半ば感心し、半ばあきれる。だが、そんな一方的な願望に付き合ってくれる相手と出会うことはできるのだろうか。韓国人でも日本人でも、結婚は難しいと思うよ、と言うと真顔で理由を聞いてくる。知っている韓国語の単語やフレーズを次々と口に出し、急速に韓国語を身に着けていることをアピールする。日本に行けば、日本語だってすぐに覚えられるさ。
この辺りがホテルに戻る潮時かなと考える。予想はしていたことだが、これ以上関わるのは難しい。働いている工場の名前が分かれば、契約の件を難民人権センターに相談することもできると伝えてみるが、そんなことはいい、ダメなら他の仕事を見つけるまでだと言う。地元のNGOよりもイエメン出身者同士のネットワークに頼る方が手っ取り早いということだろう。彼にまた会うことがあるのか、確信を持てないまま別れを告げてタクシーに乗り込む。



