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自分のお気持ちに、芸術を巻き込むな

京都造形芸術大学が行っている公開講座で、セクハラ行為があり精神的苦痛を受けたとして、39歳の女性が運営の学校法人に対して、約333万円の慰謝料を求めているという。

第3回の会田誠氏の講座で、女性がレイプされている絵や、講師自身が全裸でオナニーをしている写真、AV女優がゴキブリとセックスをしている写真などがスクリーンに映し出されたという。

女性は大学側に抗議したということだが、学校側は示談の上で今後の校舎の出入りや関係者との接触を禁じるなどと伝えたため、こじれたということである。(*1)

報じられている時期と東京での開催、第3回目が会田氏ということで、該当の講座は「芸術の永遠のテーマ『ヌード』を通して美術史を知る 人はなぜヌードを描くのか、見たいのか。」と題された講座であろう。(*2)

書かれた内容を見るに、会田氏の回は「ポルノの話、第二次性徴の話、フェミニズムの話なども避けては通れない」とされている。

今回、精神的苦痛を訴えた女性は知らなかったのかも知れないが、これらの言葉で思い当たる事件がある。

それは、六本木の森美術館で開催された会田誠展に対し、一部フェミニスト団体が会田氏の作品の一部を「児童ポルノ、児童虐待である」として、撤去を求める抗議文を送りつけた事件である。(*3)

結果としては、美術館側が指摘の絵などを「18禁エリア」としてゾーニングして周りから隠し、来場者はそうした内容であることを了承した上で閲覧するという形で展示することとなった。

講座ではそうした話を含めて、18禁エリアに展示された「犬」シリーズなどが講座のスクリーンに映されたのだろうと推測できる。

そうしたことを前提にした上で思うに、該当の女性は果たして「美術におけるヌード」をどのように考えていたのだろうか?

美術史におけるヌードと言えば、ミロのビーナスやダビデ像、または歴代の画家の裸婦像などがまっさきに思い浮かぶのだろう。

しかし、講師のラインナップを見るに、この講座はそうした理想的な美しいヌードだけではなく、現代的な性をも扱っていたようだ。それは奔放であったり抑圧的であったり醜かったりする「生々しいヌード」をも含めて、全体的にヌードを扱う企画であったことは予測がつく。

該当の女性にはその予測がつかなかったようだが、ハッキリ言ってしまえば、講師のレベルに、今回、精神的苦痛を訴えている女性がついていけなかっただけのことだ。

であれば、学校法人側が彼女にできる保証は、せいぜい「受講料の返金」程度のことだ。

返金の上で、学校側が女性に対して講義内容を十分告知できなかったことを詫びる程度でちょうどいいはずである。

だが一方で、自分で下調べをしない人が、会田氏の作風を正しく理解するほどに詳細な「告知」は必要であろうか?

事前に下調べをすればいい程度のことに対して、大学はそこまで丁寧に告知をする必要があるだろうか?

告知と言えば1つ思い出す事件がある。それは女性の太ももの写真展の開催に対して、一部フェミニストたちが抗議をした事件である。

僕もBLOGOSでこの件に触れた(*4)が、この事件はいわば「事前に内容がハッキリ告知されたからこそ、排除の論理が働いた事件」なのである。

太もも展を排除しようとしたフェミニストは「いろいろな人が出入りするデパートで開催される内容ではない」として批判していた。つまり、子供を含む人たちに内容が伝わることそのものを問題視したのである。

もし、会田氏の作風を明確にサイトで説明したとして、そのときは太もも展のように「そのような講座は行われるべきではない」という批判が起きる可能性がある。また、告知自体が誰かの精神的苦痛を産む可能性すらある。

では、精神的苦痛を産む可能性がある作品は、大学の公開講座から排除されるべきだろうか?

いや、決して排除されるべきではない。

そもそも、そのような汚らしい表現をも含めて論じるのが学問としての芸術であり、それを論じられないなら大学で芸術を論じる意味などないからだ。彼女以外の大半の受講者は、そうしたことを勉強したいからこそ、受講を決めてお金を払っているのだ。

キレイな芸術だけを見たければ、公民館で行われるような市民芸術講座にでも行けばいい。さすがにそこで会田氏の性的な作品が扱われる可能性は低いだろう。

また、精神的苦痛は、決して汚らわしい表現を見たときだけに受けるものではない。どのような作品であっても精神的苦痛を受ける人は受けるのだ。

例えば独身である僕だったり、親に暴力を受けて命からがら生き延びたサバイバーが「親二人と子供が仲良く、陽の当たる公園をあるく微笑ましい絵」を見て、精神的苦痛を受けたとしても決しておかしくない。逆に言えば、そこまで精神を揺るがす可能性があるからこそ、芸術は面白いのである。

そのように、すべての作品が他者に精神的苦痛を与える可能性がある一方で、精神的苦痛を理由に「排除される絵」は、会田氏の性的な作品のような絵であり、親子の微笑ましい絵では決してない。

精神的苦痛を産むから排除という、排除の論理に従えば、メジャーだったり微笑ましかったり美しい絵は残り、マイナーだったり残酷だったり汚らしい絵だけが排除されるのである。

そうして好ましい作品を残し、汚らわしい作品を排除する「文化統制」は肯定されていくのである。

文化が統制されれば、もはや大学の語るべき「芸術」は存在しないであろう。

そして、その文化統制の頂点に、精神的苦痛を理由に一部の芸術を排除する権限を持つ彼女が座ることになる。

彼女は彼女にしか理解できない「苦痛なもの、苦痛でないもの」という基準を理由に、芸術を「許可」する絶対的な権力を持つのである。

そして芸術は、彼女への忖度を踏まえたものに成り果てるのである。

今回精神的苦痛を訴えた女性が行っていることは「あおり運転」に近いと、僕は思っている。

自分が苦痛を受けたことを理由に、他者、この他者は苦痛を与えられたとする当人だけではなく、周囲を含む全体であるのだが、その他者を危険に巻き込んでも「自分の気持ちを傷つけたのだから、相手が事故るくらいは当然だ」とみなす考え方が、傲慢なあおり運転を産むのである。

今回の訴えは、決して該当の学校法人がいくら払うかというだけの問題ではない。

今回の判決の行方によっては、好ましくないとみなされる表現が、大学という研究の場からも排除されるという危険性すら孕むのである。そんな巻きこみ事故が起きたら、これは悲劇というほかない。

その重大性に、彼女や訴訟の賛同者・支援者たちは気づいているのだろうか?

*1:会田誠さんらにゲスト講義で自慰写真など見せられ「セクハラ受けた」 美術モデルの女性が学校法人を提訴(ハフポスト)https://www.huffingtonpost.jp/entry/harassment-at-school_jp_5c761c9ee4b0031d95634396
*2:人はなぜヌードを描くのか、見たいのか。(藝術学舎 京都造形芸術大学)https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/coursedtls/courseDetail/G1811318;jsessionid=0B6C7D3F29E9B65EBAE265CC712B0AD2
*3:会田誠展「犬」シリーズへの、「児童ポルノ・障害者差別として抗議」をめぐる作者ツイートまとめ(NAVER まとめ)https://matome.naver.jp/odai/2135948672533154301
*4:フェミニズムの目的は女性の人権抑圧か?(赤木智弘 BLOGOS)https://blogos.com/article/283234/

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