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- 2011年04月30日 00:35
3.11後の現実と歌の力
1/2先週、木曜日の夜、赤坂のB♭(ビーフラット)で素晴らしいライブがあった。「健全な法治国家のために声を上げる市民の会」で一緒に活動している音楽家・作家の八木啓代さん(vocal)を中心に、なんと元特捜検事の郷原信郎さんがサックス奏者として登場し、それに阿部篤志さん(piano)大熊ワタルさん(clarinet)河村博司さん(guiteer)、福田大治さん(charango)といった、そうそうたるミュージシャンが共演した。
こんなありえないライブが、何故成立したのかというと、ジャーナリストの岩上安身さんのパーティーで郷原さんがサックスを吹くことが判明、一緒にライブをやるという話が盛り上がり、「気がついてみたら本当にやることになってしまった」(八木さん)。
2月頃から八木さんから、「いよいよ4月に本当に赤坂ビーフラットでやることになった」という話を聞き、郷原さんがサックス奏者としてプロのミュージシャンと共演したら一体どんな事態になるのだろうと、ほとんど怖いもの見たさ(失礼!)から期待していたのだが、そこに思わぬ事態が発生した。3.11東日本大震災である。
得体の知れない喪失感に苛まれる人々
3.11は、好むと好まざるとに関わらす、この国の全てを変えようとしている。誰もが変わらなければならないと思いながらも、今、直面している現実とは一体何なのかをつかみあぐね呻吟している。いや、「変わらねばならない」などと考えているのは、ごく一握りの人間たちだけで、大半の人々は、「自分の身にはとりあえず何事も起きていないのだから大津波もレベル7に至ったフクシマの問題も全てテレビの向こう側の現実」と思い込みたいだけなのかも知れない。しかし、自分が立っている安全・安心なはずのこちら側の現実も、気がつくと大津波の引き潮が足下の砂を猛烈な勢いで奪い去っていくように崩れ去っていく・・・そうした得体の知れない喪失感にこの国の全ての人々が苛まれている。
東京電力のような巨大企業が、一瞬の震災により、巨大な賠償責任を抱え、事業継続そのものが危ぶまれる事態に陥ることなど誰も予想できなかった。しかし、想定外の出来事を想定することが、リスク管理の根本であり、特に東京電力のような社会インフラを担う大企業の場合は、最低限の社会的責務といっても過言ではない。それを「想定外の災害に見舞われた」と言い切ってしまった所に、東京電力のみならず、この国の企業や組織体がダメになっている底知れない病理がある。
「想定外」という言葉で防波線を張った東電
実は東京電力が、震災直後に記者会見で「想定外の災害」と言ったことには明確な根拠がある。原子力損害賠償法により、原子力発電所を運営する電力会社は、事故が発生した場合でも賠償義務は1200億円が上限、それ以上は国が対応するものと法律上は定められており、なおかつ、その事故が「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱」などによる場合は一切を免責されるという規定がある。東京電力の経営幹部は、この規定に基づき、わざわざ「想定外」という表現を使っていたのである。
つまり、原発周辺の福島県民に苛酷な避難生活を強い、世界中を震撼させている原発事故の真っ直中において、東電経営層の頭の中を占めていたのは実はこの「法律」のことであり、それに基づいて防波線を張っていたのである。
ライブのトークの中で、郷原信郎氏は、東京電力の危機管理の姿勢に言及し、「この会社のコンプライアンス啓発に多少とも関わった人間として責任を感じている」と述べた。郷原氏が言いたかったことを解説すれば、この国の企業、官僚組織にとって、コンプライアンスといえば「法令遵守」のことしか意味していない。つまり、法律に書かれていることを神学的に解釈し、それを企業行動と紐づけることが「コンプライアンス」と勝手に翻訳されている。法律を守るのは当然のことだが、実は法律に規定されていない事柄や事態に直面した場合に、企業や組織が、社会的存在としてどのように行動するのか、その無形の行動規範となるのが本来のコンプライアンスであるべきだった。
コンプライアンスの本来の意味を理解しない企業組織
東京電力には、この本来の意味での「コンプライアンス」が皆無であったことが露呈してしまった。「想定外の災害」と記者会見で責任逃れの防波線を張る前に、避難地域に社員を送り込み、住民退避の手助けをする。経営トップが現地に先ず入り陣頭指揮する。対策本部を福島原発の近隣に設置し、住民が置かれているリスクを共有するといった行動を起こすべきであったであろう。こんなことは、法律のどこにも書かれていないが、企業市民、人間としてとるべき当然の行動である。



