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- 2012年04月05日 22:23
秘密裁判?
本日のTelegraph紙でイギリス政府がインテリジェンスを対象とした秘密裁判所の設置を検討しているということについて報道されていました。既にアメリカの情報機関は1年以上も前からMI6に提供する情報に制限をかけており、先月の米英首脳会談ではこの件についても話し合われたとも報道されています。このような機微なインテリジェンスの話が首脳間の議題になるとは「流石は特別な米英関係!」、、、ではなくて、両国にとって切迫した問題になっているのだと思います。
この問題の発端はビンヤミン・モハメド事件に端を発しています。エチオピア国籍を有するモハメド氏は、「たまたま」立ち寄った(この辺がよくわからないのですが)アフガニスタンでテロ容疑者として拘束され、アメリカの囚人特例引渡しによって2004年に悪名高いグアンタナモ収容所に送られます。氏はそこで5年間かけてみっちりと拷問・尋問され、カブールで「汚い爆弾」の製造について訓練を受け、アメリカでのテロを計画していたという供述を無理矢理させられたのですが、過去この手のことは何度も繰り返されてきたように、5年後に「実は人違いでした」ということで2009年に釈放されます。ただモハメド事件が過去の幾つかの事例と異なっていたのは、イギリスのMI5がこの尋問に関わっていた疑いが出てきたということと(イギリスは欧州人権条約を批准しているのでMI5の関与は文字通り非合法活動となる。CIAはその限りではない)、氏は米英の裁判所に人権侵害で訴えたということです。ただしアメリカ政府は裁判が国家の機密事項を危険に晒すということで訴えそのものを却下しています。
報道によりますとイギリスでは控訴院がこの件に関して調査を始め、情報機関に対して機密情報の提供を要求したとも報じられていますが、イギリス政府は情報の提供を拒否したようです。もちろんイギリス政府は証拠となるインテリジェンス資料、特にアメリカから提供されたものを提供することはできませんが、事件が大々的に報じられることで、アメリカ側はイギリスで機密事項が暴露される可能性を嫌い、イギリス情報機関への情報提供を最小限のものに留めるようになりました。見方を変えればこれはアメリカのイギリスに対する外交的圧力、すなわち「これからも情報共有したかったら余計なことはするな!」ということでしょう。その後色々と大人の話し合いが交わされ、昨年10月、モハメド氏とイギリス政府の間で100万ポンド(1億3000万円)もの補償金による和解が成立しました。
以上のような事件を受けて、キャメロン政権は特別な秘密裁判所を設置して、そこでインテリジェンス上の問題解決を図ろうとしているのですが、連立を組む自由民主党のグレッグ副首相はすべての裁判は公開されるべきであると異論を唱えています。また野党労働党の方は秘密裁判に前向きのようです。これまでイギリスでは政府がインテリジェンス組織について監視、指導してきたため、基本的には問題が公になるということはあまりありませんでした。しかし1994年に議会に情報調査委員会が設置され、インテリジェンス活動についても国民の監視対象となり、その後、イラクの大量破壊兵器をめぐる問題では議会の調査委員会だけでは世論を満足させることができず、政府、司法が何度も調査委員会を開催して事実の究明にあたっています。今回の秘密裁判設置の案もこの流れに乗っているものと思われます。
ただ現場、特にMI6内では様々な意見が噴出しているのだろうと思います。先日紹介した元副長官のインクスター氏の論調に代表されるように、イギリスはもはやアメリカの無茶なやり方にはついていけない、と突き放すような意見もあれば、MI6はCIAを始めとするアメリカとの協力が不可欠である、とする意見もあり、なかなか部内の意見調整も難しいのではないかと察します。一方、アメリカの方では、現在、CIAはDIAやNSAといった軍事系インテリジェンスとの鍔迫り合いが激しくなっているようですので、是非ともMI6との情報共有を続け、CIAは情報収集では軍事系インテリジェンスには劣らない、ということをアピールしなければなりません。
このように秘密裁判の話は、司法もインテリジェンスの制度的な監視に加わるべきなのか、また国家機密と国民の権利をどうバランスさせるのか、といった難しい問題を孕んでおり、これに上記のようなインテリジェンス内部や組織間の政治力学も加わり、複雑な様相を呈しています。この問題に関して今後イギリス政府がどのような判断を下すのか注視していきたいと思います。
蛇足ですが、最近メディアではMI5を「SyS(Security Service)」と略しているのが目に付くようになりました。「SS」だとナチスを連想させるので良くないのでしょうか。MI6は「SIS」で一貫していますが、古くは「Circus」、ホワイトホール界隈では6のことを「Vauxhall Cross(本部の場所)」とか、洒落たのでは「Friends across the river(テムズ河を隔てた友人)」など色々呼び方があって、部内では隠語集も出回っているようです。ですから今月公開予定のジョン・ル・カレ原作の映画『裏切りのサーカス』という邦題(原題はTinker Tailor Soldier Spy)はなかなか捻ったものだと思いますが、このトリビアを知らないと「なぜ『サーカス』?」と突っ込まずにはおれなくなるでしょう。
画像を見る
「河向こう」の本部です。
この問題の発端はビンヤミン・モハメド事件に端を発しています。エチオピア国籍を有するモハメド氏は、「たまたま」立ち寄った(この辺がよくわからないのですが)アフガニスタンでテロ容疑者として拘束され、アメリカの囚人特例引渡しによって2004年に悪名高いグアンタナモ収容所に送られます。氏はそこで5年間かけてみっちりと拷問・尋問され、カブールで「汚い爆弾」の製造について訓練を受け、アメリカでのテロを計画していたという供述を無理矢理させられたのですが、過去この手のことは何度も繰り返されてきたように、5年後に「実は人違いでした」ということで2009年に釈放されます。ただモハメド事件が過去の幾つかの事例と異なっていたのは、イギリスのMI5がこの尋問に関わっていた疑いが出てきたということと(イギリスは欧州人権条約を批准しているのでMI5の関与は文字通り非合法活動となる。CIAはその限りではない)、氏は米英の裁判所に人権侵害で訴えたということです。ただしアメリカ政府は裁判が国家の機密事項を危険に晒すということで訴えそのものを却下しています。
報道によりますとイギリスでは控訴院がこの件に関して調査を始め、情報機関に対して機密情報の提供を要求したとも報じられていますが、イギリス政府は情報の提供を拒否したようです。もちろんイギリス政府は証拠となるインテリジェンス資料、特にアメリカから提供されたものを提供することはできませんが、事件が大々的に報じられることで、アメリカ側はイギリスで機密事項が暴露される可能性を嫌い、イギリス情報機関への情報提供を最小限のものに留めるようになりました。見方を変えればこれはアメリカのイギリスに対する外交的圧力、すなわち「これからも情報共有したかったら余計なことはするな!」ということでしょう。その後色々と大人の話し合いが交わされ、昨年10月、モハメド氏とイギリス政府の間で100万ポンド(1億3000万円)もの補償金による和解が成立しました。
以上のような事件を受けて、キャメロン政権は特別な秘密裁判所を設置して、そこでインテリジェンス上の問題解決を図ろうとしているのですが、連立を組む自由民主党のグレッグ副首相はすべての裁判は公開されるべきであると異論を唱えています。また野党労働党の方は秘密裁判に前向きのようです。これまでイギリスでは政府がインテリジェンス組織について監視、指導してきたため、基本的には問題が公になるということはあまりありませんでした。しかし1994年に議会に情報調査委員会が設置され、インテリジェンス活動についても国民の監視対象となり、その後、イラクの大量破壊兵器をめぐる問題では議会の調査委員会だけでは世論を満足させることができず、政府、司法が何度も調査委員会を開催して事実の究明にあたっています。今回の秘密裁判設置の案もこの流れに乗っているものと思われます。
ただ現場、特にMI6内では様々な意見が噴出しているのだろうと思います。先日紹介した元副長官のインクスター氏の論調に代表されるように、イギリスはもはやアメリカの無茶なやり方にはついていけない、と突き放すような意見もあれば、MI6はCIAを始めとするアメリカとの協力が不可欠である、とする意見もあり、なかなか部内の意見調整も難しいのではないかと察します。一方、アメリカの方では、現在、CIAはDIAやNSAといった軍事系インテリジェンスとの鍔迫り合いが激しくなっているようですので、是非ともMI6との情報共有を続け、CIAは情報収集では軍事系インテリジェンスには劣らない、ということをアピールしなければなりません。
このように秘密裁判の話は、司法もインテリジェンスの制度的な監視に加わるべきなのか、また国家機密と国民の権利をどうバランスさせるのか、といった難しい問題を孕んでおり、これに上記のようなインテリジェンス内部や組織間の政治力学も加わり、複雑な様相を呈しています。この問題に関して今後イギリス政府がどのような判断を下すのか注視していきたいと思います。
蛇足ですが、最近メディアではMI5を「SyS(Security Service)」と略しているのが目に付くようになりました。「SS」だとナチスを連想させるので良くないのでしょうか。MI6は「SIS」で一貫していますが、古くは「Circus」、ホワイトホール界隈では6のことを「Vauxhall Cross(本部の場所)」とか、洒落たのでは「Friends across the river(テムズ河を隔てた友人)」など色々呼び方があって、部内では隠語集も出回っているようです。ですから今月公開予定のジョン・ル・カレ原作の映画『裏切りのサーカス』という邦題(原題はTinker Tailor Soldier Spy)はなかなか捻ったものだと思いますが、このトリビアを知らないと「なぜ『サーカス』?」と突っ込まずにはおれなくなるでしょう。
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「河向こう」の本部です。



