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「孤独」とは、生きる上での覚悟です。覚悟の上の孤独死ならば、「大往生」ではないでしょうか - 「賢人論。」第82回下重暁子氏(後編)

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『家族という病』『家族という病2』に続いて刊行された下重暁子氏の『極上の孤独』(幻冬舎新書)は、2018年の年間ベストセラー第1位(新書ノンフィクション部門)に輝いた。日本の家族について論評した下重氏が、今度はなぜ「孤独」に焦点をあてたのか。これまで、どちらかといえばマイナスのイメージで語られてきた「孤独」という一語への、下重氏の愛着とこだわりの理由を探ってみた。

取材・文/盛田栄一 撮影/公家勇人

孤独に自由に生きていくには、経済的自立と精神的自由が必要

みんなの介護 2018年には、下重さんの『極上の孤独』がまたもベストセラーになりましたね。ヒットの理由をご自身ではどう分析なさっていますか?

下重 それだけ多くの人が孤独に直面しているということではないでしょうか。

とはいえ、声を大にして言いたいのは、「孤独=さみしい」という意味ではないということ。孤独とは、単にさみしいとか、心細いとか、そういう一時の安っぽい感情のことではありません。

「孤高」とか「自由」という概念に連なる、生きていくうえでの、ある種の覚悟のようなものです。

みんなの介護 確かに「孤高」というと、かっこいいイメージがありますね。「孤立」というと、ややマイナスなイメージがありますが。

下重 孤立も悪くないと思いますよ。今思えば、私は人と群れることなく、ずっと孤立していましたから。

孤独とは、自分で自分にしっかりと向き合い、自分を知るということ。すると、自分には何が楽しくて、何が嫌いなのか、明確にわかってきます。今、私は孤独であり、最高に自由だと実感できていますね。

みんなの介護 どうすれば、自由に生きられるのですか?

下重 条件は2つあります。まず、ひとつめの条件は、経済的に自立していること。

他人を養うのは大変だけど、自分一人を食べさせることができれば、他人を気にせず、自由でいられます。

ふたつめの条件は、精神的に自由であること。

何事も自分の頭で考え、自分の頭で決断を下し、自分で責任を取って行動する。その際、自分は何が好きで、何が嫌いかが自分でもわかっているので、素早く正確な意思決定が可能になります。他人がどう思うかなんて、まったく気にしません。

実は、『家族という病』を刊行した後、賛否両論が巻き起こりました。インターネットなどでは、ずいぶん批判もされたようです。

みんなの介護 批判も、ですか。

下重 はい。しかし考えてみれば、そんなことは当たり前ですね。それぞれ違う人間なんだから、違う意見や考え方を持っていても、全然不思議ではありません。

細かくチェックしたわけではありませんが、いくつか目にした批判については、なるほど、そういう考え方もあるのだと、勉強させてもらいました。

孤独死は決して不幸ではないし、本人にとっては大往生かもしれません

みんなの介護 一人暮らしをしている高齢者、いわゆる独居老人の孤独死がときどき問題になりますが、下重さんは孤独死についても肯定的に考えていらっしゃいますね。

下重 独居老人の孤独死は、確かに周りの人たちに迷惑をかけます。後始末も大変でしょう。しかし、孤独死する本人にとっては、別に不幸なことではないと思います。

なぜなら、人間は所詮一人で生まれてきて、最期は一人で死んでいくものだから。

本人は亡くなるまで一人暮らしを存分に楽しみ、自由を満喫していたかもしれません。そして、誰にも気づかれずにひっそりとこの世を去るのが望みだったかもしれない。

家族に看取られながら死ぬことが、それほど幸福なことでしょうか。本人が孤独を覚悟し、覚悟のうえで死んでいくなら、それもまた大往生だと思うのです。

みんなの介護 下重さんは日々孤独を満喫していらっしゃると思いますが、そんな下重さんでも、さみしさを感じることはあるのでしょうか。

下重 それはありますよ。私だって人間ですから。でも私は、さみしさを紛らわせる方法をいくつも知っています。ふっとさみしさを感じたとき、すぐに気持ちを切り替えることもできます。

少女時代、私はずっとひとりぼっちでした。小学2年生で肺結核を患い、感染のおそれがあるため、その後2年間も隔離されていたのです。

当時はまだ抗生物質が開発されていなかったので、治療法といえば、栄養補給しながら安静にしているだけ。同じ年頃の友だちとどんなに遊びたかったか。もちろん、感染をおそれて、誰も会いに来てはくれなかったし、話し相手も一人もいませんでした。

みんなの介護 小学2年生の子どもにとっては、とてもさみしかったでしょうね。

下重 さみしくなかった、と言えば嘘になります。しかし私は、子どもなりに覚悟しました。この先、ひとりぼっちを自分の楽しみに変えなければ、このさみしさにはきっと耐えられないだろう、と。

それからは少しずつ、一人きりの時間を楽しみに変えていきました。

例えば、天井板の節目を眺めながら、「怪物の目みたい」などと想像を膨らませたり。雨の日には木目が濃くなって、さまざまな模様に変化して見えました。母の部屋から、芥川龍之介や太宰治の本をこっそり持ち出したこともあります。

蜘蛛の巣もよく見ましたね。どこからか現れた蜘蛛が、おしりから白い糸を出して巣を編んでいく様子を。その技は、見事というほかありません。そして、巣に獲物がかかったときの俊敏で残忍な動き。軒先の蜘蛛の巣に雨滴が光る美しさは、ほかにたとえようがありません。

みんなの介護 自分なりに、楽しみを見つけていったのですね。

下重 今思えば、あんなに贅沢な時間が持てたのは、後にも先にもあの2年間だけ。私はひたすら本を読み、蜘蛛や天井板を眺め、想像力をたくましくしていました。ちっともさみしくなかったし、退屈もしなかった。

私の心性はきっとあの頃に形づくられたものだし、物書きという現在の仕事にもつながっているのだと思います。

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