- 2019年02月12日 13:55
被災地のコミュニケーターを目指す / AFW代表理事・吉川彰浩さんインタビュー / 福島レポート編集部
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現場に支援物資を送る
――東京電力を辞職された後は、どのような活動を始められたのでしょうか。
まず、ブログやFacebookなど、インターネットを使った活動を始めました。目的は、ずっとバッシングされ続けていた現場の人たちに「社会が応援しているよ」という声を伝えることでした。そして、現場に支援物資を送ろうと思いました。募金を呼びかけるために銀行口座が必要だったので、任意団体「Appreciate Fukushima Workers(現在のAFW)」を立ち上げました。新聞でも取り上げてくれて、募金は最終的に1000万円くらい集まりました。それを全部使って、ヒートテックみたいな温かい下着を7000着と携帯カイロ30万個を送りました。
当時の現場は、当たり前に働けるような環境ではありませんでした。社会にも彼らを支えようという考え方はありませんでしたし、働いている人たちにも、社会に応援されて、それをエネルギーにがんばろうという感覚はなかったと思います。ちゃんと見てくれる人はいるんだ、応援してくれる人はいるんだということを、現場の仲間に伝えたかったんです。
――現在(2018年)は、どのような活動をされていますか。
現場の働く環境はだんだん改善されました。次第に、支援物資を外から送る必要もなくなりました。そのとき、改めて「自分はなぜこの活動をするのだろうか」と考えました。
「自分が一番幸せだったのはいつだっただろう」と思い返すと、震災前の、何でもない普通のサラリーマン時代だったのです。なんでもない日々がとても幸せだった。言い換えれば、「暮らし」です。この地域で、持続的に住民の暮らしが営めるために、活動していこうと思いました。
今は、福島第一原発の構内視察を3か月に1度くらいのペースで行なっています。以前は毎月だったのですが、「AFWだけ特別に構内視察しやすい」という状況ではなく、ほかのグループと同じ頻度で続けられるようにしています。
構内視察に加えて、被災した地域の現状を案内する活動も行なっています。この地域の日常の暮らしを伝えたいという思いが今は強いですね。地域のことなら、いくらでも話すことがあります。たとえば、除染で出た廃棄物や除染土を置いている仮置き場は、負の象徴のように語られます。でも、除染でゴミや土が出るということは、作業員が毎日頑張ってくれたということでもあります。その結果、私たちもここで安心して暮らすことができるのです。
福島第一原発の廃炉を伝えること
――福島第一原発の廃炉の現状については、どのように伝えておられますか?
ここで暮らすということは、「福島第一原発とともに暮らす」ということだ、という現実があります。現場で日々汗を流す人たちのことも伝えますし、福島第一原発の廃炉そのものにどんなリスクがあるのか、あるいはどこまで作業環境の改善ができたかということなど、包括的に伝えていかなければなりません。「全部東電に任せておけばいいや」ではなくて、「みんなで考えようよ」と思っています。
活動当初は、まるで「エンジニア」同士が話しているように、専門的なことばかり語っていました。でも、それでは東電が住民に向けて一方的に説明会を開くのと変わりがありません。それでは住民の心には届かないな、と気づきました。ここで田んぼを再開したい、子どもを産んで育てたい、など、この地域で暮らすために、福島第一原発のことを知りたいと思うようになった方がいます。
そこで、2016年頃からは、積極的に自分から原子力や廃炉のことを話す頻度を、意識的に減らしました。「福島第一原発や廃炉のことなら、気軽に聞ける吉川くんが身近にいるな」と、地域の人たちに思ってもらえるようでありたいです。サイエンスやアカデミックな世界と、暮らしという日常の世界があります。その間の溝や壁を越えるためのつなぎ手になれればと思っています。
数年前の自分は、たんに科学的なデータを示して一方的に説明するだけでした。相手の思いや信じているものを頭から否定して、「おれの話を聞け」みたいな。今は、福島第一原発や放射線が「怖い」と感じる相手の思いや、信じているものをまず聞いて、いったん相手を受け入れることを大切にしています。
福島県沖で魚を釣って、人にあげようと持っていくことがあります。ときどき「いや、いらない」と言われることもあって、もちろん、多少はショックを受けますが、むしろ「押しつけようとしてごめん」と言えるようになりました。
福島にまた遊びにきてください
――活動を続けてこられて、ご自身の変化はありましたか?
活動当初は「社会を変えたい」なんて言っていました。でも、本当はそういうことではなかったのです。「自分自身にとっての大切な場所を取り戻したかっただけだ」と気づきました。この地域で、私は成長しました。私にとっても、もうここは大切な故郷なのです。「故郷の日常が、当たり前にここにある」ということが、どれだけたくさんの人たちの努力や苦労の上に成り立っているのかを、たくさんの人に知ってほしいなと思っています。
活動を続けていく中で、「私は福島のために何ができますか?」と聞かれることがよくあります。私は、「まずは、あなた自身の人生と、あなたの家族の人生を大切にしてください」と答えています。福島に来てくれた一人ひとりの故郷を、大切にしてほしい。その上で、もし余力があって、そして福島を好きになってくれた人が、また訪れてくれたら嬉しいです。
別れ際に「また遊びにきてくださいね」と言っていたら、本当にまた福島に来てくれる人がずいぶん増えました。同じように、福島の米がおいしかったらまた買ってくれたらいい。そうやって、無理のないかたちでいろんなことが進んでいったらいいな、と思います。
原発事故前、私は双葉町に住んでいました。今の双葉町には自慢できるようなことは決して多くないのかもしれない。それでも、住民の方の誇りを取り戻せるようなことが、ひとつずつ増えていくといい。AFWが、そういう「暮らし」や住民の方の誇りを伝えられる存在になっていきたいと思います。



