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いま明かされる田原総一朗の高校時代・絵に野球に小説に、ジャーナリストを志した青春 滋賀県立彦根東高校 - 鈴木隆祐 (ジャーナリスト)

日本を代表する名門高校はイノベーションの最高のサンプルだ。伝統をバネにして絶えず再生を繰り返している。1世紀にも及ぶ蓄積された教えと学びのスキル、課外活動から生ずるエンパワーメント、校外にも構築される文化資本、なにより輩出する人材の豊富さ……。本物の名門はステータスに奢らず、それらすべてを肥やしに邁進を続ける。

学校とは単に生徒の学力を担保する場ではない。どうして名門と称される学校は逸材を輩出し続けるのか? Wedge本誌では、連載「名門校、未来への学び」において、名門高校の現在の姿に密着し、その魅力・実力を立体的に伝えている。だから、ここでは登場校のOB・OGに登場願い、当時の思い出や今に繋がるエッセンスを語ってもらおう。

今回取り上げた彦根東高校(以下、東高)は元藩校で、彦根城の中にある。校訓は「赤鬼魂」と勇ましい。これは井伊家の武具甲冑、「赤備え」に由来する。第15代藩主・井伊直弼は幕府の大老として開国を果敢に主張。桜田門外の変で水戸浪士らに謀殺された。それも真っすぐに当時の国難にぶつかった結果だ。

田原総一朗氏(撮影・松沢雅彦)

東高は一昨年夏、昨年春と2季連続で野球部が甲子園に出場し、全国的にも知られるようになった。しかし、全国高校新聞コンクールで常勝する新聞部も負けてはいない。両者に共通するのは、直弼譲りの愚直なまでの果敢さだろうか。そんな東高の魅力を解明するために「Wedge」2月号では新聞部の活動に密着している。

彼らの大先輩ジャーナリストには田原総一朗さんがいる。かつて東京12チャンネル(現テレビ東京)のディレクターとして『ドキュメンタリー青春』や『ドキュメンタリーナウ!』などの斬新な番組を手がけ、果敢な姿勢で当時の日本社会が抱える、欺瞞や矛盾に切り込んでいった。

彦根東高校

田原さんは1934年、代々近江商人だった家に生まれ、時節柄、「海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り、敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のが夢という軍国少年として育った。しかし、敗戦を迎え、すべての価値観がひっくり返り、「大人たちは信用できない」と思ったという。

戦後すぐは地域一番の東高もまだ旧制彦根中。田原さんも受験準備に勤しんでいたが、それも学制改革で入試体制が変わり、50年に新制高校3期生として東高に進んだ。入学当初、同校も彦根西・彦根南と3校で統合制の「県立彦根高校」を名乗っていたが、卒業する52年には現校名となっている。

「小学校5年の半ばに急にそんなことになった。受験勉強を(小学校の)先生に見てもらってたのに、中学入試がなしになったんだ。青年学校(註)でまだ授業をやっていてね。3年の2学期になってやっと校舎で授業ができた。

(5年制の)旧制中学で教えていた先生たちも、新制高校で教えることにまだ迷いがあったな。言ってみれば、地域唯一の進学校。だから中学から受験して入ろうと思ってたわけだけど、それでも当時、大学に行ったのが半分もいなかった。小学校から数えると、10分の1もいないでしょう。

中学では野球部でよくできた。レギュラーでサードだった。高校に入っても続けたんだけど、ずっと補欠で正選手になれずじまいだったから、2年の1学期で辞めた。今は甲子園でも活躍しているけど、その頃は京都と(地区が)一緒で、『滋賀・京都大会』なわけ。京都は強かった。一度も甲子園に行けてない。でも、野球部で大学に行ったヤツもいないね」

今はそうでもないが、戦後から平成まではずっと、京都の高校野球といえば、あの鉄人・衣笠祥雄を輩出した平安の天下。田原さんが高校時代にも、天秤打法の元大洋監督、近藤和彦らが活躍していた。

「高校では野球部の他、美術部と生徒会にも所属していた。絵は中学では展覧会にも入選したけど、高校で周りの作品を見て、自分のは「絵もどき」だなって挫折した。作家になろうと思っていて、だったら早稲田の文学部だと。家も貧乏だし、昼は働いて夜学に通おうと、高校入学時から決めていた。だから、数学や化学にはあまり力を入れなかったね(笑)。

田原氏が高校時代に書いた野球小説。絵も自筆


当時から小説は書いていて、学校新聞に載ったこともあったよ(写真)。よくは覚えてないけど、高校野球がテーマで、甲子園に行くっていう話。小説で夢を叶えた? ま、そんなところ(笑)」

新聞部の活動こそしていなかったが、その頃から逆に寄稿を求められる立場だったとは、まったく「栴檀は双葉より芳し」である。

「小学5年の夏休みで敗戦。それまでは軍事教練をさせられ、『世界の侵略国を打ち破り、アジアを解放させる正義の戦争をし、名誉の戦死をしろ』と教えられてきた。従弟が兵学校に行き、カッコいいとも思ってたしね。ところが戦後、教師の言うことが180度変わった。『やってはいけない悪い戦争だった』と言う。戦争を誉め称えていた人が2学期を迎えると、次々と逮捕されるんだ。その最大は東條英機。エラい大人たちの言うことはまったく信用できない、とその時思ったね。

一方で、掌を返したように中学では、『君らは平和のために戦え』と教師は言う。そのうち朝鮮戦争が勃発し、それが高校の時だ。アメリカ軍を解放軍と呼んだ共産党員が、今度はレッドパージで追放される。なんでこんなことが起こるのか。作家やジャーナリストは自分で確かめなくちゃならない。だから、なりたいと思ったんだ。

商売に関する仕事にも就きたくなかったんだけど、近江商人だった祖母には『政治家やお役人だけにはなるな』と言われた。まだ薩長の時代が続いてたんだ。彦根はご存知のように井伊家の城下町だからね。なったところで、出世できないと。

でも、近江商人は『三方よし』というでしょう。三方とは客、世間、自分。みんなにとってよかれと。30歳過ぎた頃から、それがとても大事だと思えるようになったね」

郷土のヒーローと商法と。高校時代を顧みてもらっても、やはりその話が出てくる。赤鬼魂の矜持と、伊藤忠商事の創業者・初代伊藤忠兵衛もそのうちに数えられる、近江商人のバランス感覚。彦根人の強かな血が確かに田原さんにも流れているのだ。

「報道はNHKかTBSと言われていた時代、岩波映画から12チャンネルに移った。貧乏局だし、向こうの方が偏差値も高い。だから、無制限一本勝負みたいなヤバい、向こうが作れないような刺激的な番組を作った。

全共闘の頃、(ジャズピアニストの)山下洋輔が『大乱闘の中、ピアノを弾きながら死ねたらいい』って言うから、バリケード封鎖中の早稲田に連れてったんだ。大隈講堂からピアノを盗み出してね、山下に弾かせて、いつ内ゲバが始まるか、機動隊が突入してくるかわからない。そしたら、どのセクトもみんな入り交じり、黙って山下の演奏を聴いてた。ま、アナーキーだね。

みんなに自力で学んでほしい

田原総一朗氏(撮影・松沢雅彦)

今、学校で明治以降の歴史をなにも教えないというが、自分が中学高校の頃もそうだった。どこでどう間違えたのか……。みんなに自力で学んでほしいね」

田原さんはやはり『文藝春秋』で田中角栄のインタビューなどをし、政界に切り込んでから先、成長を遂げたジャーナリストだ。自身政治家にこそならなかったが、彼らと対等に会話ができる。いや、むしろ発破をかけられる稀有な存在だ。

取材の最後、高校時代の学友と、政治談義をしたりもするのですか?—と問うと、「みんなおっかながって、そんな話は一切しないよ」と少し憮然とする田原さん。ふと世間のオヤジたちに、田原さんのようにもっと怒っていいんだよと、声をかけたくなった。

註・戦前までの義務教育期間である尋常小学校(のち国民学校初等科)6年を卒業した後、中等教育学校(中学校・高等女学校・実業学校)に進学せず、勤労に従事する青少年に対し社会教育を行っていた機関。

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