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日本企業が革新されない理由

数日前、日本の超の付く名門企業が、自分たちの経営について語っているのを読んだ。改革への要請に対する企業側の見解である。その時に思ったのは、「さすが東大卒が固める企業や」と。要請や批判に対して、自分たちの対応とその正当性をそつなく述べる。秀才である。

日本企業が1990年頃を境に、世界的な地位を低下させているのは、この東大卒の秀才のせいではないのだろうか。もちろん、東大卒を責めるつもりはなく、秀才の代表として東大を引き合いに出しただけにすぎない。

要するに秀才は要領がいい。弁が立つ。過去にあった事例を頭に詰め込み、それを上手に引き合いに出す。日本の高度成長期を支えたのも、この秀才である。日本の官僚組織が東大卒で固められていたのは周知の事実であり、その官僚が欧米の事例、つまり過去の経験を手本に、日本経済の羅針盤の役を果たした。

その秀才だが、残念ながら過去に事例のない未来を語れない。育ってきた環境とはまったく違う場所において、拠り所を失うのである。

日本の超の付く名門企業も同じだろう。その企業では東大卒が羽振りを利かせている。彼らが拠り所にするのは、やはり過去である。つまり、既得権益であり、規制である。これらを要領良く守り、時代の要請に応じて少しずつ改変しながら生きている。官僚組織もまた東大卒中心であるので、そことの連絡網も名門企業にとって有利に働いている。

言い換えれば、秀才がやれることは過去の事例の踏襲であり、既得権益や規制を長生きさせ、そこからできるだけ多くの利益を長く獲得することである。

たとえば、何故、日本企業がiPhoneに行き着かなかったのか。ペン先に時計まで組み込んだ日本企業が、計算機に電話を組み込もうと考えるのは当然の流れだったはずなのに。

多分、電話回線が独占されていた社会環境のせいだろう。通信機器を作っていた企業の主要取引先がNTTだったため、それに遠慮したのだろうか。試作しようとしてNTTに持ち込んだが、やんわりと断られたのだろうか。考えてみればNTTも東大卒の組織である。

秀才は無から有を生み出さない。無から有を生み出すのは、天才か異常者かどちらかである。天才も異常者も同根なのだが。そこまで極端でないとしても、既存のものからの延長線上に革新はない。

日本の企業を観察し、どこが伸びるのかを推察する上で、マイナスのスクリーニング方法として、東大卒が役員の何割を占めているのかを数えるのがいいかもしれない。それが多ければ、革新度が小さい。その代わりに安定度が高いかもしれないが。学生が就職先を選ぶ場合も、この視点が参考になりえる。

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