- 2019年02月08日 21:36
「東日本衰退」に楔を打ち込む新潟「長岡技術科学大学」の挑戦 - 上昌広
2/2米百俵で国漢学校を
まずは教育熱心だったことが挙げられる。長岡藩は戊辰戦争で財政が窮乏したものの、支藩の三根山藩から届いた米百俵を売却し、国漢学校を建てた。この話は小泉純一郎氏が総理大臣時代に紹介したため、ご存じの方も多いだろう。
実は、この学校は士族だけでなく、農民や町民にも門戸を開いた。洋語、医学、兵などの5つの学校群に分かれ、洋語の流れを汲む長岡洋学校は、現在の新潟県立長岡高校である。国漢学校自体は廃藩置県のときに柏崎学校の分校とされ、廃止されている。
国漢学校、およびその流れを汲む学校からは、多くの有為な人材が産み出された。連合艦隊司令長官を務めた山本五十六は、その代表だ。ジャーナリストの櫻井よしこ氏、作家の半藤一利氏も、現・県立長岡高校の同窓である。みな、気骨がある。
当日、三上教授との打ち合わせに、長岡赤十字病院救命救急センターの副部長を務める小林和紀医師が同席した。小林医師は県立長岡高校から東京大学医学部に進み、卒業後は故郷の長岡で救急医療に従事している。
小林医師は、学生時代には運動会剣道部(体育会のこと)の主将を務めた。私自身、指導したこともある。三上教授との共同研究において重要な外傷は彼の専門だ。助太刀を頼んだ。
城下町は伝統的に武道が強く、文武両道を誇る進学校が多い。そのうえ国漢学校の伝統が根付く教育の街、長岡。ここで三上教授と小林医師が出会ったのも、縁というものだろう。
余談だが、東京の新宿駅や立川駅構内の「エキナカ」で「ナビタスクリニック」という診療所を展開する久住英二医師も、長岡出身だ。彼は新潟明訓高校から国立新潟大学に進んだ。野球漫画『ドカベン』の舞台・明訓高校は、新潟市出身の作者・水島新司が、新潟明訓高校から名前をとった。
同校は、もとは勉学に励みたいと考えた労働者が公立学校の教師に依頼して、夜間学校として立ち上げたものだ。全国で例をみない学校である。かくの如く、この地は教育熱心で、このような伝統は一朝一夕では築けない。
「石油成金」が愛した「電話」
戊辰戦争で辛酸を舐めた長岡だったが、幸運なこともあった。それは、この地で東山油田が発見されたことだ。1888~1997年まで採掘され、ピークの1900年代初頭には年間5万キロリットルを産出した。
長岡には、1893年(明治26年)に前出の宝田石油株式会社が設立され、長岡だけでなく、秋田や台湾にも製油所を有した。1921(大正10)年には、当時の日本の2大石油会社であった「日本石油」と合併し、それが現在の「JXTGエネルギー」へと連なっている。
当時、「長岡には石油成金が大勢生まれ、相場も盛んだった」(三上教授)という。彼らが「愛用」したのが電話だ。
1899(明治32)年に東京・大阪間に電話が開通したが、それから遅れること7年、1906(明治39)年には長岡に電話交換局が設置される。
長岡は通常の城下町と異なり、武士文化以外に、北前船と東山石油の伝統も引き継いだ。これが、この地に情報と人材をもたらしつづけている。
前出の宝田石油と日本石油の合併を仕掛けたのは、橋本圭三郎(1865~1959)だ。長岡学校から大学予備門、東京帝国大学へと進み、法制局から大蔵省に入り、1911年には事務次官に就任。貴族院議員や農商務次官を歴任後、1916年に故郷の宝田石油の社長に就任し、大鉈を振るった。1926~1944年まで新会社である日本石油の社長を務め、戦後は公職追放にあうものの、社団法人「燃料協会」(現日本エネルギー学会)の会長を務めた。戦前の日本の石油産業を仕切った大物で、長岡を象徴する人物だ。
かつて、ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官は、「人間はワインと一緒だ。誰もが生まれ育った環境を愛している。そして、誰もが同じように、自分の先祖が立派な人であって欲しいと願っている」と言った。私たちは、自らが意識しないうちに、故郷の影響を受けている。
北前船の交流地域と重なる
それは組織にも言えるのではないか。長岡技術科学大の入学者の出身地の分布は、興味深い。人口当たりの入学者が多い県は新潟、富山、群馬、秋田、山形、香川、栃木、石川と続く。少ないのは滋賀、埼玉、神奈川、佐賀、福岡だ。首都圏より日本海側、さらに香川から学生が集まっている。これは北前船が交流した地域と重なる。私には、歴史の流れが感じられる。
1月28日、新潟大は5年間で法学部と法科大学院を修了できる「法曹コース」を神戸大と連携して設置するための協定を結んだことを発表した。文科省が2020年度の創設を目指している法曹コースは、学部3年までに必要単位を取得した生徒が、早期卒業して法科大学院(2年)に進める制度だ。
今回の協定の背景には、法科大学院を廃止した新潟大が学生の受け皿として神戸大に協力を求めたという事情もある。新潟大としては、自校の学生募集で神戸大法科大学院への進学をアピールできるメリットもあるだろう。神戸大はすでに鹿児島大とも協定を結び、廃止予定の熊本大とも協議している。
しかし、一見縁のなさそうな新潟と神戸が繋がることに、かつて北前船を介して、人が交流し、移住した名残を、やはり私は感じるのである。
中国が大国化し、日本は変わらざるをえない。西日本は中国からのインバウンドの恩恵を蒙る。問題は東日本だ。歴史的に中国との交流は少ない。地方都市に魅力がなければ、若者は東京に吸い寄せられる。東京一極集中が加速する。
この点で長岡の存在は興味深い。高度技術人材育成を売りに、国内外から優秀な人材を集めている。この地の歴史的な「資産」が、それを可能にしている。人口減少が続くわが国で、東京の強力な「磁力」に抗い、東日本の地方都市が生き残るには、都市の魅力を高めるしかない。そのためには人材育成と交流が重要だ。



