記事

伝説のロックバンド頭脳警察50周年 ~パンタ「氷川丸は俺にとって命の船」 - 田中秋夫

足成

「生ける伝説」と呼ばれたロックバンド・頭脳警察が今年で結成50周年を迎える。それを記念して昨年9月19日のことになるが2枚組のライブアルバム「BRAIN POLICE RELAY POINT 2018」を発売した。

メンバーの2人は今年69歳になるが、ニューアルバムのタイトルにあるようにこの年齢になっても「終着点」ではなく「リレーポイント(中継地点)」であり、今後もいろいろな活動を続けると宣言している。

頭脳警察はロックの黎明期にあたる1969年の12月に当時19歳だったパンタ氏(本名・中村治雄=ギター・ボーカル担当)とトシ氏(本名・石塚俊明=パーカッション担当)によって「下手でもいいから日本語でオリジナルのロックをやろう」と結成されたロックバンドで、バンド名の「頭脳警察」はアメリカの前衛ロックアーチスト・フランクザッパの曲「フー・アー・ザ・ブレインポリス(頭脳警察って誰だ?)」から命名したという。

「70年安保」や「学園闘争」が激しく燃え上がっていた時代で、頭脳警察は結成1年半後の1971年8月14日に成田闘争支援の為に行われた「三里塚幻野祭」に出演する。彼らがこのステージで歌った曲は「世界革命戦争宣言」「赤軍兵士の詩」「銃をとれ」といった過激なタイトルの曲で、歌詞にも体制に対する強い怒りのメッセージが込められていた。「銃をとれ」には「銃をとって叫べ誰がこの大地を汚したのかと 無知な奴らの無知な笑いが 嘘でかためられたこの国に響き続ける」の1節がある。

「権力濫用」「忖度と委縮」が蔓延する現在の日本社会に投げかけても通用しそうな歌詞だが、当時の全共闘世代の若者に圧倒的に支持された。

翌1972年3月にビクターの洋楽レーベルだったMCAから発売予定だった彼等のファーストアルバム「頭脳警察1」はレコード倫理委員会によって「発売禁止」処分になる。さらに収録曲「銃をとれ」は民間放送連盟の「要注意歌謡曲」に指定され、ラジオ・テレビから放送されることは無かった。

このアルバムには「戦争しか知らない子供たち」というタイトルの曲が収録されているが、これは明らかに北山修作詞、杉田二郎作曲でジローズが歌った「戦争を知らない子供たち」を皮肉った替え唄で、「平和にあこがれ 僕らは育った ゲバ棒竹やりヘルメット 今日も明日も 闘い続ける~僕らの名前を覚えてほしい 戦争しか知らない子供達さ」とベトナム反戦闘争や三里塚闘争に明け暮れる若者たちを唄っている。

パンタ氏は「反戦フォークは軟弱な連中が歌っていて気に入らなかった。口先で平和平和と言ってれば平和になるのかよ、俺たちの世代はベトナム戦争や中東戦争等、戦争の時代を生きているんだというメッセージを伝えたかった」と語っている。

頭脳警察にとってさらに不幸なことにセカンドアルバム「頭脳警察2」も「銃をとれ」が入っていることで発売禁止となる。その後バンドは何回かの解散と再結成を繰り返し50年後の現在に至っている。

奇跡の生還を果たした病院船「氷川丸」

私がその伝説のアーチストパンタ氏に出会ったのは1991年だった。

私はFM NACK5の編成責任者として新たに番組審議会委員を選定することになったのだが、候補として名前があがったのが埼玉県在住のパンタ氏だった。ロック系音楽番組の比率が高いNACK5の番組審議委員には適任だと思い、私は二つ返事で彼にお願いすることにした。

その後、毎月開催する番組審議会で彼に会っていろいろ話を聞いていた中に、大変興味深い話しがあった。

「1982年に氷川丸で大晦日のコンサートをやったことがある。母親の胎内で演奏しているような、なんだか不思議な気持ちだった」
「もしあの氷川丸が無かったら俺はこの世に生れてないんだ。本当感謝だよね」

との発言があった。詳しく聞いてみると彼の母親は戦時中に海軍の軍医学校の看護学生だったが、志願してシンガポール近くのペナン島の病院で働いていた。

しかし、1945年2月に戦況悪化により帰国命令が出て氷川丸で日本に向かったのだが米軍の攻撃にあって何度も沈没の危機にさらされたが、九死に一生を得て横須賀に帰国。幼馴染だった父親と結婚してパンタ氏を産んだのだという。彼は子供のころ今は亡き母親から氷川丸やペナンの話を何回も聞かされて育ったという。

私はこの話を聞いてパンタ氏が氷川丸の歴史をたどる物語を録音構成番組として制作したいと思い、構成作家で音楽評論家の田家秀樹氏をはじめとするスタッフを集め当時の氷川丸関係者への取材を開始することにした。

氷川丸は日本郵船が昭和5年に竣工させた12000トン級の「海の貴婦人」と呼ばれた豪華貨客船でアメリカのシアトルと横浜を結ぶ北太平洋航路に就航していたが、1941年の日米開戦で海軍によって病院船として徴用される。徴用されたほとんどの船舶が戦況の悪化で撃沈されたのだが、氷川丸だけが奇跡的に生還し、戦後に再び世界の海で活躍したという歴史を持ち、現在は国の重要文化財に指定され博物館船として横浜港で停泊している。

いろいろ取材を進めていく中で制作陣にとって絶対欠かせないと思われたのはパンタ氏の母親が帰国する時に氷川丸に乗船していた人物の証言だった。しかし、戦後60年以上を経ていた為に生存者も少なく手掛かりはなかなか見つからなかった。

諦めかけた時に偶然、当時氷川丸の航海士だった高齢の人物に会うことが出来た。

その人物は38日間に及ぶ氷川丸の航海の間に収容された傷痍兵が次々に死んでゆく悲惨な様子や米軍の攻撃にさらされた危機的な様子を生々しく証言してくれた。

番組のラストはパンタ氏のオリジナル曲「氷川丸」を紹介し「俺にとって命の船氷川丸よ永遠にと願うばかりです」の台詞で終わることにした。

その番組は2007年5月に「命の船・病院船氷川丸」というタイトルとして放送した。さらに「日本民間放送連盟賞」と「放送文化大賞」に出品して「優秀賞」を受賞した。

パンタ氏は昨年12月にネット上のサイト「ROOF TOP」に於いて俳優の高嶋政宏氏と対談をしているが、その中で「頭脳警察50周年の一連の活動が終わったら、今度は俺の氷川丸プロジェクトに真剣に取り組むつもりなんだ。本にして、それを映画化したい。氷川丸という唄はその映画のサントラ盤に収録したいと思っている」と語っている。

太平洋戦争を実体験した証言者たちが少なくなってきている現在、再びきな臭い時代になってきた今こそ、ぜひ実現してもらいたいプロジェクトである。

田中秋夫
一般社団法人放送人の会・理事。元FM NACK5常務取締役。
1940年生まれ。1964年に文化放送にアナウンサーとして入局、その後、制作部に配属。「セイ!ヤング」や「ミスDJリクエストパレード」など深夜番組の開発に尽力し、ラジオ界では「名物ディレクター」として知られてきた。1990年に埼玉県を中心に首都圏をエリアとするFM NACK5に制作責任者として転籍。ラジオ番組のコンクールでは「浦和ロック伝説」「イムジン河2001」「中津川フォークジャンボリー」等で日本民間放送連盟賞受賞。

あわせて読みたい

「芸能界」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    小池知事の詐称疑惑 失職判例も

    郷原信郎

  2. 2

    倉持由香 給付金100万円受け取り

    BLOGOS しらべる部

  3. 3

    AppleMusic停止 異例の抗議行動

    跡部 徹

  4. 4

    都の方針に歌舞伎町経営者が怒り

    BLOGOS編集部

  5. 5

    きゃりー父「投稿に責任を持て」

    文春オンライン

  6. 6

    神の業? コロナ直面のイスラム教

    BLOGOS編集部

  7. 7

    コロナで着目すべき「血液凝固」

    大隅典子

  8. 8

    ユニクロ参入でマスクバブル終焉

    NEWSポストセブン

  9. 9

    アパレル倒産 コロナ前から兆候

    南充浩

  10. 10

    暗号資産に麻生節「名称が悪い」

    音喜多 駿(参議院議員 / 東京都選挙区)

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。