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死刑判決の全員一致制 日弁連意見書の問題点

死刑の量刑判断における評決要件に関する意見書(PDF)」(2012年3月15日)
 日弁連意見書では、死刑判決を下す場合には、「全員一致制」を導入すべきとします。
 死刑判決が慎重になるということにその趣旨があるようです。
 そして、そのことによって、裁判官、裁判員の心理的な負担が軽減されるとしています。

 しかし、この「全員一致制」は導入すべき制度なのでしょうか。
 以前のブログでも意見を述べました。
 「死刑判決は全員一致であればよいか

 裁判官は、実際には意見が割れるということはなく、裁判官が死刑で臨むということになれば、後は裁判員の問題となります。
 全員一致制により、裁判員一人一人に死刑適用への拒否権が与えられるということになります

 しかし、この拒否権を行使することは、それほど容易なことではありません。
 まず裁判長から、問い詰められます。死刑に賛成する他の裁判員からも同様の目で見られます。
 そのような中で、死刑適用に対して、頑として拒否することができるのかどうか。
 もの凄い重圧となるでしょう。
 次に被害者遺族の意見陳述があります。
 被害感情剥き出しで、死刑を求めてくることが少なくありません。
 さらには、マスコミです。マスコミに死刑を当然視するような論調がある中で、それをはねのけることができるでしょうか。
 石巻で起きた少年に対する死刑判決が出たとき、マスコミはこぞって、死刑判断を支持しました。
 これが逆に無期懲役の判決だったらどうでしょうか。
 特に産経新聞に至っては、幼児2人(1名は実子)を殺害した事件について、社説で、死刑の回避は疑問とまで述べているのです。要は死刑にしなかったことを非難しているのです。
 このような状況の中で、個々の裁判員に死刑拒否を貫けというのは極めて大きな精神的な負担を強いることになるでしょう。
 この問題は、本来的に死刑制度の是非の問題であり、死刑判決にあたってはより慎重にすべきだという問題ですから、その点において論陣を張り、運動すべきものであって、個々の裁判員の負担において実現すべきものではありません。

 ところで、死刑拒否が死刑制度に反対であるという信念に基づく場合であれば、どうでしょうか。このような信念に基づくものであれば、当人はまさに拒否権行使によって自己実現ができることになります。
 この場合は、拒否権の発動により、死刑判決は阻止できることになりますが、果たして、そううまく行くでしょうか。
 裁判員裁判では、裁判所は、裁判員を解任することができます。
 死刑制度に反対ということが判明したときは、
 「裁判員又は補充裁判員が、不公平な裁判をするおそれがあるとき」(裁判員法43条2項、41条1項7号)にあたりますから、その所属する地裁に通知し、通知を受けた裁判所は理由を相当と認めるときは解任できます(同法43条3項)。
 要は、最後までがんばることはできないのです。
 もともと、この問題は選任の段階でも問題になっていました。
 最高裁が候補者に対して想定した質問の中には、この不公平な裁判をするおそれ」について死刑制度に対する態度も想定されていました。
 現実に、死刑求刑が予想される事件において、そのような質問がなされたという報道はありませんが、実際問題として、信念で死刑制度に反対の場合には、選任段階で選任を拒否されるようなことを言うはずもなく、あまり意味のある想定質問ではなかったということなのでしょう。
 しかし、その想定質問からは、裁判所が死刑制度に反対すること=「不公平な裁判をするおそれ」と考えていることが示されているのですから、評議の場において、同様の事態が生じれば(評議の段階で、その「信念」が現れる。)、それこそ当初、想定していたように不選任(解任)するということです。

 次の問題は、全員一致制にすると、すべての裁判員が死刑に賛成したということを表明するに等しいということです
 これまでは、評決内容は、ブラックボックスでしたから、誰が賛成し、反対し、あるいは全員が賛成しということもわかりませんでした。
 しかし、全員一致制を採る限り、死刑判決が下された場合には、すべての裁判員が死刑を支持したという評決結果を公開するのと同じになります。
 果たして、消極賛成の裁判員が、この精神的負担に耐えられるでしょうか。

 以上の議論は、基本的には、死刑か無期懲役かという議論の場合には、全員一致制の議論はなじみます。
 しかし、死刑(従来の基準でいえば死刑相当)か無罪かのときは、非常な違和感があります。
 日弁連意見書で出された例は、
 「袴田事件の第一審判決を左陪席裁判官として担当した熊本典道氏は,無罪意見であったにもかかわらず評議において2対1で敗れ,死刑判決を書かざるを得なくなったこと,そのことで苦悩し,裁判官を退職して弁護士となり,その後も悩みが消えずに,ついに法曹界から離れざるを得なかった」
というものです。
 そして、1984年5月25日の国連経済社会理事会の決議
 「死刑は,被告人の有罪が,事実について他に代わるべき説明の余地を残さないほど明白かつ説得力のある証拠に基づいている場合にのみ,科すことができる」
を引用しています。

 これは、死刑を科すか、無期懲役を科すかという有罪立証におけるダブルスタンダードとなります。
 袴田事件の例では、全員一致制を導入した場合でも、熊本典道氏は、無罪判決は書けません。
 2対1で事実認定において破れているからです。しかし、死刑は適用できません。無罪と信じるものが死刑に賛成するはずもないからです。
 しかし、そうなると無期懲役は可能ということになります。
 この場合、熊本典道氏は、無期懲役の判決を起案することになります。

 死刑でなければ、確かに精神的負担は違うでしょう。死刑となり、それが執行されてしまえば、もはや絶対に取り返しのつかない事態になるからです。死んだ人を蘇らせることはできません。無期懲役との決定的な違いです。

 しかし、有罪か無罪を多数決で決める。
 有罪が決まった。
 その後、量刑の判断を行うことになりますが、この場合の評議は、あくまで有罪を前提にします。
 有罪を前提にしておきながら、無罪論者が死刑に反対する場合、また事実認定に戻り、死刑か無期懲役かの有罪立証のダブルスタンダードの議論に戻るのでしょうか。
 死刑を科してよいほどの立証がなされたか否かという議論です。これは事実認定の問題です。
 ということを考えると、結局、一人でも無罪を主張する裁判員がいれば、死刑判決は不可ということになります(結論として無期懲役となります。)。
 もちろん、その裁判員が解任されないことが前提ですが(この場合は、有罪を前提にしなければならないのに、無罪に固執するという意味で、「不公正な裁判をするおそれ」に該当することになります。)。
 これもある意味、死刑制度のもつ特殊性ということでもあります。
 死刑制度を前提とする限り、国連経済社会理事会決議にも合理性があるということでしょうか。
 とはいえ、その責任を裁判員に負わせることは、過度な要求であり、妥当とはいえません。

 次に全員一致制を要求することは、現実の問題として死刑執行を促進することになります
 日弁連意見書の発想からいえば、死刑についてより慎重に決せられ、しかも、それは尊重すべき「市民感覚」だということになります。

 先般、小川法務大臣は、3人の死刑執行について執行命令を出しましたが、その根拠の1つに裁判員裁判が上げられています。
 これが全員一致制に基づく死刑判決ということになれば、執行を促進することになりますが、日弁連が死刑執行の停止を求めていることと矛盾する結果を招くことでしょう。

 なお、日弁連意見書では、
 「死刑の適用基準が恣意的なものであってはならないことは当然であり,死刑の適用基準をより公平かつ客観的なものとするため,死刑判決について全員一致制が導入されるべきである。」
と述べていますが、公平かつ客観的ということと全員一致制は必ずしも結びつくものではありません。

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