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- 2011年02月10日 00:00
日本人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では?
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Togetter - 「「最近日本から寛容さが失われている」のは何故か」
新幹線の車内ではしゃいでいる子どもや、夜遅くまで騒いでいる大学生に対し、私達はどれだけ寛容な気持ちを保っていられるだろうか?次世代を担う子ども達の、年齢相応の振る舞いに対してさえも、寛容よりも非難が勝る人が増えているのではないだろうか。
寛容さとは正反対の、きわめて自己中心的な人達もよく見かけるようになった。自分の意に沿わない相手に攻撃的な人間や、他人に際限なく要求する人間が、モンスター○○などと呼ばれて問題視される時代でもある。*1
これらを踏まえて「昔の日本人が寛容」で「現代の日本人は寛容じゃなくなった」と結論づける人は多そうだ。少なくとも、見かけ上、日本から寛容さが失われたように見えるのはその通りかもしれない。
では昔の日本人は、本当に寛容だったのか?
ここで、「昔の日本人は、誰に対して寛容だったのか?」を思い出してみると、そうでもなかったような気がしてくる。
昔、地域社会で暮らす人達がコミュニケートしていたのは、他人であっても他人とは言いきれない、運命共同体的な、顔見知りの存在だった。こうした顔見知りは、現代の基準からすれば「他人」というよりむしろ「身内」に近い。農業にせよ漁撈にせよ村祭りにせよ、生活空間や作業を共有しなければならないなかで、顔見知りへの寛容さは必要な処世術だったのだろう。
しかしそんな日本人が、余所者に対しては警戒的だったこと・コミュニティのウチ(内)とソト(外)を区別していたことも忘れてはならない。例えば「他人に迷惑をかけてはならない」「世間様に申し訳が立たない」といった言葉も、「コミュニティの人間に迷惑をかけるな」「コミュニティに申し訳ないことをするな」というニュアンスが強いのであって、コミュニティのソトの人間までが想定されていたわけではない。そして、ソトに対しては「旅の恥はかき捨て」のような言葉も流通していたわけだ。
なので、「昔の日本人は寛容だった」と回想する際には、「あくまで身内意識の及ぶ範囲に対する寛容さ」だったことを留意する必要がある。身内贔屓、と言ってしまっても良いかもしれない*2。その身内贔屓が、家族、町内、地域、出身学校、都道府県といった具合に同心円状に意識され、それぞれの水準にみあった寛容さを発揮していたものが、「日本人の寛容」として観測されていたように見える。
この、身内意識・身内贔屓のメンタリティは今でも日本人に残っているらしく、企業、角界、専門家集団など、身内を意識できるフィールドではそれらしい身振りを数多く観測できる。そして身内贔屓な人達のなかには、意志決定に際して、合理性や事実性よりも身内意識を重視する人が少なからず混じっているらしく、“「ウチ」か「ソト」か”がコンフリクトの源となることも珍しくない。
身内意識をもてる情況下でなら、寛容に(そして甘く)振る舞おうとする人はまだ多いようだ。
ところが、街から身内がいなくなってしまった。
都道府県や市町村レベルはもちろん、町内や地区という意識も希薄になって久しい。生活も文化も風習も共有しないオートロックマンションの住民やニュータウンの住民には、身内意識を持てるようなコミュニティは存在しない。駅の構内やショッピングモールで遭遇する他人も、イベントも生活空間を共有しない、ほとんど全き他人ばかりである。そんな、一期一会で、顔も覚えられない他人に対して、身内意識を抱くのは不可能に近い。
そうした状況下で、若い世代だけでなく老年世代さえもが、不寛容で自己中心的な態度を選ぶのも、自然といえば自然かもしれない。そういう人達は、ショッピングモールを「他所」「ソト」とアイデンティファイし、「他人身内に迷惑をかけるな」よりは「旅の恥はかき捨て」に近いモードで振舞っているのだろうし、その認識自体は間違っていない。
新幹線の車内ではしゃいでいる子どもや、夜遅くまで騒いでいる大学生に対し、私達はどれだけ寛容な気持ちを保っていられるだろうか?次世代を担う子ども達の、年齢相応の振る舞いに対してさえも、寛容よりも非難が勝る人が増えているのではないだろうか。
寛容さとは正反対の、きわめて自己中心的な人達もよく見かけるようになった。自分の意に沿わない相手に攻撃的な人間や、他人に際限なく要求する人間が、モンスター○○などと呼ばれて問題視される時代でもある。*1
これらを踏まえて「昔の日本人が寛容」で「現代の日本人は寛容じゃなくなった」と結論づける人は多そうだ。少なくとも、見かけ上、日本から寛容さが失われたように見えるのはその通りかもしれない。
「身内」には寛容でも「他所者」にはそうでもなかった日本人
では昔の日本人は、本当に寛容だったのか?
ここで、「昔の日本人は、誰に対して寛容だったのか?」を思い出してみると、そうでもなかったような気がしてくる。
昔、地域社会で暮らす人達がコミュニケートしていたのは、他人であっても他人とは言いきれない、運命共同体的な、顔見知りの存在だった。こうした顔見知りは、現代の基準からすれば「他人」というよりむしろ「身内」に近い。農業にせよ漁撈にせよ村祭りにせよ、生活空間や作業を共有しなければならないなかで、顔見知りへの寛容さは必要な処世術だったのだろう。
しかしそんな日本人が、余所者に対しては警戒的だったこと・コミュニティのウチ(内)とソト(外)を区別していたことも忘れてはならない。例えば「他人に迷惑をかけてはならない」「世間様に申し訳が立たない」といった言葉も、「コミュニティの人間に迷惑をかけるな」「コミュニティに申し訳ないことをするな」というニュアンスが強いのであって、コミュニティのソトの人間までが想定されていたわけではない。そして、ソトに対しては「旅の恥はかき捨て」のような言葉も流通していたわけだ。
なので、「昔の日本人は寛容だった」と回想する際には、「あくまで身内意識の及ぶ範囲に対する寛容さ」だったことを留意する必要がある。身内贔屓、と言ってしまっても良いかもしれない*2。その身内贔屓が、家族、町内、地域、出身学校、都道府県といった具合に同心円状に意識され、それぞれの水準にみあった寛容さを発揮していたものが、「日本人の寛容」として観測されていたように見える。
この、身内意識・身内贔屓のメンタリティは今でも日本人に残っているらしく、企業、角界、専門家集団など、身内を意識できるフィールドではそれらしい身振りを数多く観測できる。そして身内贔屓な人達のなかには、意志決定に際して、合理性や事実性よりも身内意識を重視する人が少なからず混じっているらしく、“「ウチ」か「ソト」か”がコンフリクトの源となることも珍しくない。
身内意識をもてる情況下でなら、寛容に(そして甘く)振る舞おうとする人はまだ多いようだ。
「身内がいなくなった」→「寛容さの対象もいなくなった」
ところが、街から身内がいなくなってしまった。
都道府県や市町村レベルはもちろん、町内や地区という意識も希薄になって久しい。生活も文化も風習も共有しないオートロックマンションの住民やニュータウンの住民には、身内意識を持てるようなコミュニティは存在しない。駅の構内やショッピングモールで遭遇する他人も、イベントも生活空間を共有しない、ほとんど全き他人ばかりである。そんな、一期一会で、顔も覚えられない他人に対して、身内意識を抱くのは不可能に近い。
そうした状況下で、若い世代だけでなく老年世代さえもが、不寛容で自己中心的な態度を選ぶのも、自然といえば自然かもしれない。そういう人達は、ショッピングモールを「他所」「ソト」とアイデンティファイし、「
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