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コミュニケーション不要のデータベース政治の可能性

選挙によらずして「民意」を汲みとる、かつてルソーが夢見た政治の可能性がこのネットの時代になってほのかに見えてきた。

予測市場が切り開く政治

 民主主義には議論が必要だ。議論もせずに決めるのは独裁的だと思われている。
 しかし、いまの日本の政治は、議論ばかりでなかなか決まらない。たとえ決まったとしても、妥協に妥協を重ね、成果があがらない。あげく「いまの政治に必要なのは独裁だ」などと過激なことを言い出す人まで現れる。極論ではあるが、政治の現状を見ると共感する人もいるだろう。

 東浩紀氏の『一般意志2・0』は、議論を経ない統治の可能性を検討している。
 フランスの思想家ルソーは、著書『社会契約論』で、「一般意志」によって社会が統治されるべきことを説いた。
 この「一般意志」というのはきわめてわかりにくい概念で、個人の意志の総和つまり世論ではない。複数の個人の意志から「相殺しあうプラスとマイナスを取り除くと差異の和が残るが、それが一般意志」とのことで、ルソーの時代にはまだ生まれていなかったベクトルを先取りした考えなのではないかと東氏は言う。
 この「一般意志」を、超人間的な才能を持つ「立法者」が制度化していくというのがルソーの考えだ。世論を超えた存在を容認しており、独裁者を生む危険思想とも見なされた。

 ところが、ネットで多様な意見が飛び交う現在、特殊な才能がなくても「一般意志」を見てとることはできる。ルソーの言葉にならえば、ネットで飛び交う相反する個人の意志を互いに相殺させて残る差異の和を見ればいい。何のことやらわからないかもしれないが、本欄で何度か取り上げてきた予測市場のことを考えればわかりやすい。

 予測市場は、特定のテーマについて人工的に投資市場を作って株の売買をする。たとえば総選挙の結果を占う予測市場では、各党がどれぐらい票を取るかを予想して株の売買をする。その時点のある党の予想獲得議席が多すぎると思えばその党の株を売り、少なすぎると思えば買う。このように株の売買をして各党の獲得議席予測値を上下させ、参加者が頭をひねって予想すれば「みんなの意見」は案外正しく、意外に正しい予測になっているというものだった。

 複雑系の研究者スコット・ペイジの『「多様な意見」はなぜ正しいのか』は、みんなの意見がなぜ正しくなるのかを数学的に証明してみせている。この本については次回とりあげるが、その証明プロセスはまさに、相反する多様な個人の意志を互いに相殺させて正解を導き出すもので、ルソーの主張が現実性を持ち始めたことを示している。

コミュニケーションは害悪

「みんなの意見」が正しくなるのは多様性、独立性、分散性の3つが維持されている必要があり、その場合にのみ集団は賢くなると、ジェームズ・スロウィッキーのベストセラー『「みんなの意見」は案外正しい』は書いているが、ペイジはそれについても数学的に証明している。

 この場合、議論して説得や妥協を繰り返すと意見の独立性や多様性、分散性は失われてしまう。コミュニケーションは、この3つの条件を守るためには害悪ですらある。おもしろいことにルソーもまたそう言っているとのことで、東氏はこう書く。
「だとすれば、これからの統治は、選挙を行い、議員を選出し、何週間も時間をかけて政策審議を繰り返すなどという厄介な手続きをすべて打ち棄てて、市民の行動の履歴を徹底的に集め、その分析結果にしたがって行えばよいということにならないか。実際に、筆者の読みでは、『社会契約論』を原理主義的に解釈するとおそらくそのような結論になる。ルソーは、一般意志の生成のためにはコミュニケーションは必要ない、みな自分のことだけを考えていればいいのだ、とはっきり記していた。彼はいわば、引きこもりの作る公共性に賭けた思想家だったのである」

 個人のばらばらの意志を汲みとり、それを互いに相殺させて差異の和を出せば正しい答えが導き出せる場合が多いことは、複雑系の研究も裏書きしている。それを具体的なシステムとして実現できれば、いまの愚鈍な代議制民主主義によらずに政治的決定がおこなえる。

 東氏は、もはや自分たちの意志を誰かに「代表」してもらう必要はない、「ルソーがもし生きていたならば、現在の政治哲学が取り組むべき課題は、まずはその一般意志2・0の精緻化であり、つぎにその出力と統治機構を繋ぐ制度の設計だと主張したにちがいない」と政治的常識をひっくり返す主張をする。

独裁を生む「危険物」は何か?

 しかし東氏はここまで突っ走ってきて、「ここでルソーと袂(たもと)を分かつ必要がある」と論調を変える。それはこの2世紀半、「一般意志がいかに移り気で残酷か、国家が集合的な情念(ナショナリズム)に導かれたときいかに暴力的な存在になるか、その危険を人類すべてが思い知った二世紀半でもあった」からだという。

 東氏が何を懸念しているかは明らかだ。
 たとえば世論がナショナリズムで燃え上がり戦争に突っ走るような事態を心配しているわけだ。
 たしかに間違いを犯した結果は重大で慎重な考慮が必要だが、東氏のこの「転進」は、この本の前半の主張からは論理の逸脱のように思われる。

 「市民の行動の履歴を徹底的に集めその分析結果にしたがう」データベース政治は、少なくとも先の複雑系の研究が示すところでは、情念によって導かれる政治ではない。
 東氏が懸念するような危険な事態になるのは、ナショナリズムが燃え上がるような情報が国民のあいだに共有され、つまり過剰なまでのコミュニケーションによって多様性が失われているからだ。
 このような場合にデータベース統治を中止する仕組みがインプットされていれば、懸念は雲散霧消とまではいかないにしても、減少するのではないか。
 具体的には、リンクやコメントのやりとりからコミュニケーションの度合いを計測し、多様性が失われている可能性を検知する仕組みを作るといったことはできるのではないか。

 予測市場が正しい結果にいたる可能性が高いのは、参加者の期待ではなくて、結果を客観的に予測するからだ。反対に、「あなたはどの党に勝ってほしいですか。勝ってほしい政党の株を買ってください」という主観的な意志にもとづく予測市場であったならば、予測の正確さはかなり下がるはずだ。

「勝ってほしい候補者に投票してください」というのはまさにいまの投票制度であり、この場合も正確さ、正しさは損なわれている。一見、関係のないことからその意志を汲みとる仕組みのほうが望ましい。
 たとえば、「自分のことは自分でやる」「人には頼らない」といったことを国民がどれぐらい思っているかをネットで行き交う情報から汲みとって社会福祉をどうするかを決めていくといったやり方だ。
 一般意志にもとづく政治が可能かどうかは、「情念」を排除する仕組みができるかどうかにかかっているのではないか。

afterword

上に書いた観点からすると、東氏がニコニコ動画を具体的な仕組みとしてあげているのは適当ではないように思う。東氏は、政府内のすべての議論を生中継し、視聴者のコメントを「一般意志もどき」として参照することを提案しているが、意見の代表性が疑わしく、一般意志とはいえないのではないか。一般意志のシステムとしては次回書くように予測市場の可能性を掘り下げるべきだと思う。

●社会が複雑化し分断化され、まともな議論や合意が成り立たなくなった社会における統治のありようを模索する東浩紀氏の『一般意志2.0』画像を見る
(講談社)。
リンク先を見る画像を見る

(週刊アスキー「仮想報道」Vol.720)

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