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「死と身体」韓国語版のための序文

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「死と身体」韓国語版序文

みなさん、こんにちは。内田樹です。

『死と身体』の韓国語版が出ることになりましたので、短い序文をつけることにします。

『死と身体』は2004年に医学書院という医学の専門出版社から出版されました。どうして、医学系の出版社から僕の本が出ることになったのか、その辺の事情はもう昔のことなので、記憶は定かではありません。

でも、医学書院とのご縁の始まりだけは覚えています。2001年に『ためらいの倫理学』という本を出して(この本は幸いもうすぐ韓国語版が出る予定です)、それがメディアの一部で注目されて、いくつかの媒体から寄稿依頼や取材依頼がありました。その中に医学書院の『看護学雑誌』という媒体からの取材申し込みもありました。依頼状を読むと「インフォームド・コンセント」についてインタビューしたいというものでした。

インフォームド・コンセント?

「医療に際して、患者が医療行為の内容やその効用やリスクについて十分な説明を受けて、それを理解した上で、自由意志に基づいて医療方針に合意すること」というのが辞書的な定義ですけれど、僕はもちろん医療の専門家ではありませんから、それについて特段に意見なんかないし、どうして雑誌が特集を組むほどの問題なのかもわかりませんでした。

ですから、断ろうと思って、そうお答えしたら、資料を送りますから、それを読んでから考えてくださいと言う。そして、どかんと資料を送ってきました。しかたなく、それを読んで取材を受けました。

僕の答えは次のようなものでした。

インフォ―ムド・コンセントは「自分の身体に対する支配権を占有していること」を高く評価する文化圏では有効だろう。そういう社会では、自分自身にかかわる医療行為を選択でき、決定できるという全能感そのものが患者の健康状態によい効果をもたらすからである。だから、場合によっては、自己決定した医療方針がそれほど適切ではなかった場合でも、「その方針を決めたのは私だ」という自尊感情がもたらす全能感が不適切な治療法のもたらす被害を補って余りあるということも起こり得る。そういう社会では、インフォームド・コンセントの方が患者を治療方針に関与させない療法より効果があるだろう。

インフォームド・コンセントの適否については、そういう意見をお伝えしました。

でも、問題は、「自分の身体を自分が支配しているという全能感」にそれほど高い評価を与えない文化圏も存在するということです。

例えば、日本がそうです。日本では「医療者が全能であって、病気について熟知しているので、患者は自分自身の疾病について心配する義務を免ぜられる」ということがしばしば起こります。なんだかすごい病気になったのかしらとどきどきして病院に行っても、そこで医師がつまらなそうな顔をしてよくある病名を付けて、凡庸な治療方針を告げると、それだけでもう半分くらい病気が治ったような気になる。case closed 病気について心配する主体が患者自身から、医師に引き継がれて、患者は治療について考える責任から解放される。その安堵感のプラス効果が病気治癒に資することがありうる。

医療というのは、病気と患者と医師という三者が参加するある種の「物語」だと僕は思います。そして、物語にはいろいろなパターンがある。

例えば、病気を患者の悪しき生活習慣がもたらした帰結だと考える医師がいます。そういう医師にとって患者こそが病気の原因です。だから、「病気になったのはお前のせいだ。自己責任だ」と患者を責め立てます。患者はそう言われても反論できないので、しょんぼりして、生きる意欲を失う。病院に行くとまた叱られると思うと、病院へ通うのが嫌になり、薬が切れてもそのままにして、やがて手が付けられない状態になる・・・。

一方、病気を外宇宙から到来した「エイリアン」のようなものに見立てる医師もいます。この「ワルモノ」と患者と医師がともにそれと戦うという勧善懲悪ストーリーを採用するのです。この場合は、患者は医師のチームメイトで、ともに「外部から到来した悪い病気」と戦うので、患者の自責の念や心理的負荷は大いに軽減しますし、患者は熱心に医師の医療行為に協力しようとする。

あるいは、ごくまれに、病気とはある種の心身状態の「偏り」に過ぎないのだから、それに合わせて自分の生活や体の使い方を変えればよいという考え方をする人もいます。「病と戦う」のではなく、「病と共に生きる」のだという独特の医療哲学です。これもまた一つの「物語」ですけれど、僕の知る限りでは、このような哲学的なスキームで自分の病気を記述できる人は総じてきわめて健康で、長寿です。

どの物語を選ぶかは、個人の自由だと僕は思います。どのような物語が結果的に患者の生活の質を最も高めることができるのか。それは医師が判断するしかない。

インフォームド・コンセントも「人間とはどういうものか」についての一つの物語から導き出されたものです(アメリカはすべてを自己決定し、誰にも責任を負わせないself made man を人間の理想に掲げる「特異な」社会ですから、「アメリカ向きの特異な物語」を選ぶのは医師として適切な判断だと思います)。ただ、世界中どこでもそれが適用できるわけではない。それが効く患者もいるし、あまり効かない患者もいるし、そのせいでかえって悪くなる患者もいる。だから、こういうのは、ケース・バイ・ケースで対応すればいいんじゃないですかと僕はお答えしました。

素人が付け焼刃の勉強で出した答えでしたけれど、これが『看護学雑誌』に載って、看護師たちからずいぶん好評だったということを後から聞きました(実際に、このインタビューが掲載されたあと、いくつかの看護系の学会や看護の学校から講演の依頼がありました)。

編集者の白石正明さんが僕のところにやってきたのは、その頃です。おそらくこのインタビューを読んで、「変わったことをいう男がいるな」と思ったのでしょう。彼は「ケアをひらく」という医学書院の有名なシリーズの編集者で、「べてるの家の『当事者研究』」をはじめ、話題書を次々と出していました。そのシリーズの一冊として本を書いて欲しいというのです。

もちろん、「医療関係の本なんか、無理です。書けません」とお答えしました。

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