- 2019年01月25日 21:19
現場の改革には意見ではなく”異見”。上意下達ではなく”下意”上達です -第80回童門冬二氏(前編)

ベストセラー『上杉鷹山』をはじめ、数々のヒット作を発表してきた童門冬二氏は、90歳を迎えてもなお、執筆や講演に忙しい。その童門先生にお話いただく賢人論。第80回前編、まずはご自身の”人生100年観”から始め、次いでその価値観の源となっている”恕”、思いやりの心についてお話いただいた。
取材・文/青山敬子 撮影/公家勇人
100歳を生きるには自分のなかの夾雑物を消すんです
みんなの介護 51歳で都庁を退職後に作家デビューされ、卆寿(そつじゅ)を迎えられた現在も、執筆や講演でご活躍です。
童門 年を重ねても痛感するのは、自分は未熟だということです。相撲に例えるなら十両クラスですね。「オレはまだまだ物を知らねえなあ」と、いつも思っています。
みんなの介護 「人生100歳時代」をどう捉えていらっしゃいますか?
童門 過去には、これほどの長寿社会はありませんでした。例えば『論語』(為政篇)で、孔子(紀元前552年―紀元前479年)が自身の生涯をたとえたとされる年齢は、「志学」(15歳)、「而立」(30歳)、「不惑」(40歳)、知命(50歳)、耳順(60歳)、そして従心(70歳)までです。
また、幕末の著名な儒者・漢学者である佐藤一斎(1772年―1859年)は、88歳まで生きていて、当時としては長生きでしたが、100歳には及びません。つまり今の「人生100歳時代」は、歴史には「よりどころ」がないんですね。
孔子でいえば、私の今の年齢にいちばん近いのは70歳の「従心」で、「心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」、つまり「行動が道徳の規範から外れることがなくなる」というのですが、とてもそんな境地にはなれません。
むしろ反省ばかりで、毎晩寝る前にいろいろと思い出しては七転八倒していますよ。
みんなの介護 現在もですか?
童門 はい。ただ孔子は、「心のままに」という一方で、「過(あやま)ちては改(あらた)むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」(『論語』学而)とも言っています。
つまり「過ちを犯したら、ためらわないで改めよ」という意味ですね。これは大事ですよ。間違いに気づいたら、すぐに改めれば良いのです。
みんなの介護 執筆活動などを通して他に留意されていることはありますか?
童門 留意というか、未熟だからこそ好奇心が消えないのだと思っています。まだいろいろなことを知りたいし、勉強をしたいです。
みんなの介護 好奇心は大切ですね。
童門 そうです。アメリカの詩人サミュエル・ウルマンの『青春』に“Youth is not a time of life; it is a state of mind”とありますが、私はそれを「青春とは年齢ではない。好奇心と情熱さえあればいつも青春である」と訳して、講演で紹介しています。
みんなの介護 健康などで気をつけておられることはありますか?
童門 干支では「還暦」として60歳で赤ちゃんに返りますが、100歳まで生きる人も原点に戻るのだと思います。
100歳を生きる人は、自分の原点に戻って、夾雑物(きょうざつぶつ)は消していくことが必要だと思います。義理などに振り回されていては、自分のやりたいことができなくなってしまいます。
私は80歳を迎えたときに、不義理を承知で御中元や御歳暮と年賀状を止めました。まずは自分のやりたいことを優先して、ライフスタイルの原則を作ってみてください。
みんなの介護 具体的には何を優先されているんですか?
童門 私の場合は「毎日これだけはやらねばならない」というミニマムの項目に「365日お酒を飲むこと」を入れています。
それで、酔ったら寝てしまいます。100歳を生きる人は、寝る時間もこだわる必要はありません。「一日に6時間は寝ないとダメ」というような決まりもいりません。自分なりの生活パターンを作るのです。
いったん寝て、夜中に目が覚めたら仕事をします。このときは、イヤなことや先延ばしにしたいことから始めることをおすすめします。

部下の失敗をとがめても良いことはない。血圧が上がるだけですよ
みんなの介護 ”知りたい”という心の他に、大事にされていることはなんですか?
童門 好奇心とともに私が大切にしているのは「恕(じょ)」、すなわち「思いやり」や「許す心」です。
『論語』(衛霊公)に「人間として一生行うべき道」を問われた孔子が「恕」だとし、「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」と答えています。自分がされたくないことは他人にもしてはいけないんです。
軍師として知られた福岡藩祖の黒田官兵衛(1546年―1604年)は、「異見会」というものを福岡城内で開いていました。これは藩政に関する討論会なのですが、ヒラの上層部の批判も許した。「意見」ではなく「異見」で、「上意下達」ではなく「下意上達」を目的にしていたのです。
官兵衛は幹部らに「どんなに批判されても腹を立てるな、笑顔で応ぜよ」と命じたので、“腹立てずの会”とも呼ばれていました。
みんなの介護 相当な忍耐を必要としそうですね(笑)
童門 もちろん幹部のなかには部下の言いたい放題を聞いて面白くない者もいます。
うわべは笑顔を浮かべていても、その笑いは引きつっており、腹の中は煮えくり返っていたでしょう。
「よく言うよ、このヤロー。次の人事異動期を楽しみにしていろ。必ずトバしてやる」と思っていたのです。でも、官兵衛の前では言えません。
官兵衛は、「神仏に対する過失は、祝詞やお経を上げて謝罪すれば許してもらえるだろう。しかし部下はそうはいかない。部下を傷つけたら、絶対に許しは得られない。民も同じだ」とまで言っているのです。
みんなの介護 そこまで言い切れるだけの精神はどのようにして身についたのでしょう。
童門 官兵衛という人は、若い頃は苦労を重ねてきましたから、さまざまな苦難への対応策をいろいろと考えることができたのだと思います。
倹約家として語られることも多いのですが、「倹約とケチは違う」と常々言っていて、必要なところにはお金を出したようです。
また、つまらないことで人が殺される戦国の世にあって、なるべく殺さずに人材を生かす工夫をしていたので、「人使いの名人」としても知られていました。
このように義理堅く、律義な人物でしたから、周囲から慕われたはずです。官兵衛とは酒を呑みたいですね(笑)。あとは坂本龍馬、織田信長でしょうか。上杉鷹山や伊能忠敬は真面目そうだから、吞みたくないです(笑)。優等生や模範生とはダメですね。
みんなの介護 なるほど。歴史人物もそうみると面白いですね。
童門 はい。だから、私も官兵衛を見習っています。
都の職員時代から「こんなことをしたのは誰だ?」などとキレて犯人捜しはしないようにしてきました。特に後期高齢者となった今は、血圧は上がるし、精神衛生上もよくありません。
もちろんこんな態度をとれば、健康だけではなく、官兵衛の言うように部下の信頼も失ってしまいます。そうなったら簡単には回復できません。
春の入社式などで、社長が新入社員に「失敗をおそれずに思い切って仕事をしてください」と告げることがありますが、私はウソだと思ってきました。
私にも20年の管理職の経験がありますが、部下の失敗に、いちいち責任をとっていたら、社長のクビはいくつあっても足りません。直属上司の立場もありません。
つまり、この言葉は新入社員だけでなく、先輩社員や管理職にも向けられている。新入社員が思い切って仕事ができる環境を作り、職場改革を目指せということなのです。
みんなの介護 なるほど、その通りですね。
童門 ちなみに徳川御三家の筆頭、尾張(愛知県)徳川家の始祖・義直は、家康の九男で、気鋭で短気でした。部下のミスを許さず、体罰もひどかったと言われています。
この暴君問題を平和的に解決したのは甥の光圀、のちの水戸黄門です。義直は光圀をとても可愛がっていたので、尾張家の重役から泣きつかれたのです。
光圀は義直に「私は最近、気持ちを鎮める方法として、謡曲を学び始めました。伯父上はどのようなことをなさっておいでですか」と尋ねました。
義直は「うん、まあな」とごまかしながら、その日から謡曲を始めたそう。その後、義直は名君と言われる人物となりました。



