- 2019年01月25日 15:52
【番外編】NHK『まんぷく』チキンラーメンは本当に「発明」なのか(上)- 野嶋剛
2/2ループしながら広まる安藤氏発明説
チキンラーメンが安藤氏の「発明」という説は、常に拡大再生産されている。とくに日本では昨2018年10月から始まった『まんぷく』の放送にあわせて、おそらくブームをあてこんだラーメン関連本が相次いで発売された。

例えば2018年9月に発売された徐航明著『中華料理進化論』(イースト新書Q)は、「即席めんの生みの親は、日清食品の創業者である安藤百福氏だ」と書いており、安藤氏が自伝『魔法のラーメン発明物語』で書いている内容をそのまま引用している。
安藤百福発明記念館による『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(中央公論新社)や『安藤百福とその妻仁子 インスタントラーメンを生んだ夫妻の物語』(KADOKAWA)なども刊行されたが、当然、発明説に準拠している。
少し前になるが、2011年に刊行された『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)という本も、「当時、百福自身は、まだ支那そばというものを口にした経験はなかった。しかし、その支那そばをもっと手軽に、例えば家でつくって食べられるようにすれば、必ずやそのビジネスは成功するだろう」と安藤氏の心情を描写してみせている。
だが、これは説得力がない。麺文化のある台湾で生まれ育った安藤氏が、支那そば=湯麺(スープの入った麺)を食べたことがないはずはないからだ。
安藤氏発明説がループしながら広がっていくこの事態に、私は危機感を覚える。これからチキンラーメンのくだりに差し掛かっていく『まんぷく』も「発明」説でいくのだろう。実話に基づいたとはいえ、基本はフィクションであるテレビドラマだからいいではないか、という考え方もあるだろうが、「発明」という客観的事実に対して、正しい情報が伝えられて欲しいし、後世まで読み継がれて行く印刷物ならなおさらである。
台南「意麺」の老舗へ
彰化から南へ行くと、安藤百福氏の生まれ育った土地である嘉義県朴子市に至る。その朴子から、さらにちょっと南下すると、隣の行政区域である台南市になる。その境界のあたりに、台南名物の麺「意麺」の産地、鹽水という町がある。
意麺は、ちょっときしめんに似た食感の平たい麺で、特徴はしこしこした歯ごたえだ。街中で、麺を天日で乾燥させている光景を目にすることができる。意麺の店もあちこちにある。
食べてみると、かなりチキンラーメンの食感に似て、しこしこ系の平めんである。「湯麺」形式で食べる人と、茹で上げたあとに水を切って調味料や具材を混ぜる「乾麺」形式で食べる人が、ほぼほぼ半分ぐらいだ。私は、両方頼んで食べた。台湾では麺単品は日本のラーメンの半分ぐらいのボリュームなので、ほかにオカズをいろいろ頼んでお昼や夜の食事にする。だから2種類頼んでも、まったく問題なく完食できる。ここではしこしこ感がより楽しめる乾麺の味に軍配をあげた。

さらに南下を続けた私が、麺紀行の終着点として訪れたのは、台南で最も古いマーケットと言われる「西市場」だった。台南市の中心部にあり、もともとは衣類を中心とする市場だったが、衣類が斜陽産業になると、逆に市場のなかで市場関係者向けに設置されていた飲食店の人気が高まった。築地市場の場内市場の店をイメージしてくれればいいだろう。
やや暗がりのなか、市場を歩いていくと、奥の奥のスペースに、大正4(1915)年に営業を始めたという老舗があった。「阿瑞意麺」。そんな場所なのに、お昼前から常連客らしき人々でほぼ満席だ。大正4年と言えば百年以上の歴史になる。
「大正時代から油で麺を揚げている」

この店の名物は、油で揚げた意麺だ。
3代目にあたる葉瑞栄さんは日本語教育を受けた両親に育てられ、家の中では両親のことを「とうちゃん、かあちゃん」と呼んでいたという。
「とうちゃんから直接聞いた話によれば、祖父が店を始めて4年後に意麺を揚げて出すようになったんだよ。台南は暑いから保存が少しでも長く効くようにって」
揚げた麺はいったん熱が冷めるまで待ってからビニール袋で包む。それでも5日程度しか保存できない。しかし、打ち立ての麺はそのままだと2日しか持たないので、かなりの違いがある。
「油で揚げているから、熱々のスープで戻すことが大切。そうしないと、麺の歯触りがもちもちしないんだ。お客さんに阿瑞の意麺は一味違うって言われるのが嬉しいね」
チキンラーメンにも通じる平打ち麺のつるつるの喉越しがたまらない。鶏と豚でダシをとったスープは透き通っている。1枚の小さなチャーシューに肉そぼろとネギ。ゆで卵が半分。何度でも食べたいと思わせる、100年の老舗の時間が詰まった柔らかく深みのある1杯の麺だった。
葉さんに、日本の安藤氏が1958年に油揚げの調理法を「発明した」と主張しているが、どう思うか尋ねてみた。葉さんが語った言葉は印象的だった。
「うちは大正時代から油で麺を揚げている。それは間違いない。自分はもう63歳。この仕事を50年間やってきた。それは本当のこと。あとはどうでもいいさ」
そして、こう付け加えた。
「見人見智」
これは、中国語の故事成語で「1つの物事には、その人の立場によって、異なる見方があるものだ」ということを意味している。
確かにその通りだ。そして、私は私の見方として、チキンラーメンの源流は、この台湾南部にあることを確信した。安藤氏の「発明」よりずっと前に、彼の故郷の台湾南部で、油熱で麺を揚げて調理する方法が、広く普及していた。
では、チキンラーメンは発売当時の日本で「発明」と受け止められていたのだろうか。次の目的地・大阪では、チキンラーメンを売り出したばかりの安藤氏に対して、即席麺の製造法に関する「特許」を売り渡したという、安藤氏と同じ台湾南部出身者の子孫が、私を待っていた。(つづく)



