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佐々木俊尚著「当事者の時代」

佐々木俊尚著「当事者の時代」(光文社文庫、2012年)。

佐々木さんの新著。いただきもの。多謝。472ページとかなりのボリュームだが面白い。

佐々木さんというと、私はよく「月刊佐々木俊尚」と呼んでいるがとにかく多作のイメージがあって、どんどん新著が出てくる印象なのだが、このところ新作の話をあまり聞かないように思っていた(実際どうだったか確かめてないけど)。これを書いていたのではないかと思う。分量もさることながら、それだけではない力作といえる。内容も、ふだんよく取り上げているITやメディア周りの話よりやや広い。ある意味これは佐々木流の日本人論ないし日本社会論であるともいえよう。

題名も何やら想像をかきたてるが、とりあえず、帯にも出ていた「マイノリティ憑依」ということばがツボに入った。本書のキーワードである。帯の表現を借りてひとことでいえば、「当事者性を失い、弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁する言論」ということになろうか。日本人の言論がこの「マイノリティ憑依」に陥ってしまっている、という指摘だ。

とはいえ、読み始めても、しばらくの間、そうしたことばはほとんど登場しない。最初の1/3は佐々木さんの新聞記者時代の経験談を交えた業界の裏話的なものが延々と続く。これはこれで非常に面白くて、これだけでも本になるのではないかと思うくらい(正直、この部分だけ抜き出して面白おかしく書いた方が本としては売れそうな気がする)だが、これはまだ導入部にすぎない。

この「マイノリティ憑依」(本書の趣旨からするとむしろ「弱者憑依」の方が適切ではないかとも個人的には思うが)、佐々木さんによれば、1970年代に生まれたのだそうだ。被害者としての意識しかなかった日本人が直面した加害者としての日本人という事実。あるいは実は自ら恵まれた存在であったことに気づいてしまった衝撃。これらと共存するために必要だったのがこの「マイノリティ憑依」だったという見立てだ。

専門外なのでこの見立ての学問的な当否はわからないが、素人目には説得力があるように思われる。とはいえ、この本は一貫して日本だけに焦点を当てているから出てこないが、海外にこうした考え方がまったくないかと言われればおそらくあるのではないかとも思うし(本書にも『ジャズ・シンガー』の例とか出てくるし)、日本で70年代より以前にこうした考え方がなかったかと言われればあったのではないかとも思う。そういうあたりは専門家の方にお任せする。

ともあれ、「マイノリティ憑依」ということばは、今のメディアや社会の状況をよく形容しているように思う。が、同時にこれ、かなり扱いづらいことばでもある。私たちが「よいもの」と考えている、たとえば「思いやり」だとか「共感」だとか、そういったものの多くが、「マイノリティ憑依だ」と言われたとたんにどす黒く汚れて見えてしまったりするからだ。これは、メディアの言説だけではない。私たちが皆等しくつきつけられた問いといえる。たとえば私は以前こんな文章を書いたのだが、この文章でいう「共感する力」は、「憑依させる力」とどこがどうちがうのか。街中でよく見かける、不幸な境遇の人たちのためにさまざまな支援や慈善の活動をしている人たちはどうなのか。「共感」する自分の姿に酔っているだけではないのか。

「憑依」と言われないためには、自らをその憑依させた「仮想の弱者」と同じか近いレベルにまで落とさなければならない。病の苦しみを語るにはその病を経験していなくてはならないし、貧困を語るには収入が高くてはならない。極端な話だが、マスメディアでもネットでも、誰かが何かいえば「恵まれてるお前に言う資格はない」といった批判はすぐに湧いて出てくる。「マイノリティ憑依」は、ある意味かなり強い「思考停止ワード」にもなりうるのだ。その意味で、本当の問題は、「マイノリティ」に「憑依」しなければ正論を吐けない状況や構造、言い換えれば、社会的な弱者の立場に立たなければ言論で優位を得ることができない状況にあるのではないか、と思う。

この状況に対して、佐々木さんは「当事者」として語る、ということを提唱しておられるのだが、ではそれはどういうことか、どうすればいいかについては、あまり詳しくは書かれていない。もちろん、弱者に共感しなくていいなどということではない。当事者以外は沈黙せよということでもない。ではどうするのか。答えは簡単ではない。

本書で書かれていることでいえば、ひとつは、何かを伝えようとするときに、絶対的優位に立つ仮想の弱者を「憑依」させて優位に立とうとするのではなく、自分自身の立場で(つまり「当事者」として)、「宙ぶらりん」の居心地の悪い状態を甘受し(ときには「お前に言う資格はない」などと批判されながら)、語るということだろう。これは、常に自分で自分を検証し続ける必要があるわけで、かなりめんどくさくて、けっこうつらい作業だ。

もうひとつ本書に書かれているのは、他人に「当事者」であることを求めるな、ということだ。これは発信者だけではなく、私たちすべてにいえることだろう。「マイノリティ憑依」の世界の恐ろしいところは、より弱い立場を憑依させた方が強い立場にいられる構造の中で、無限の「弱者競争」を強いられることだ。日本国内の貧困者(いわゆる相対的貧困)に「共感」しその保護を訴える人は、途上国にいる、絶対的貧困の中で苦しむ人に「共感」する人から「日本はむしろ恵まれている。わがままだ」と批判されかねないし、あるいは国内でも病に苦しむ人に「共感」する人から「健康なだけまだましだ」といわれるかもしれない。こうした言い争いがいかに不毛なものであるか、ネットのあちこちで日々繰り広げられる「激論」を見ていれば納得される方は多いのではないかと想像する(というかそうあってほしい)。

私としては、同時に、社会全体として、「弱者」の存在に頼らない言論の構築に取り組んでいかなければならないのではなかろうかとも思う。たとえば「公共」のような概念を語るとき、かつて「国家」を旗印にしていたものが戦後「国民」に代わって、それが今では「弱者」としてイメージされるものになっているような気がする。それがダメだということではないが、そこにしか正統性のよりどころがないとすれば、言論としてあまりに貧困というものであろう。

「他の誰か」ではなく、自分の立場で語ること。他人の「当事者性」にケチをつけるのではなく、自分自身を常に振り返ること。おそらく、「知的」であるということはそういうことなのではないかと思う。

「知的」でありたいと思うすべての日本人にお勧め。

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