- 2019年01月11日 21:19
過去との「呼応」で描き出す「難民の現実」 - フォーサイト編集部
2/2夢の世界で現実を描き出す
――作品のラストで、ドイツ人作家の妻マリー(パウラ・ベーア)と医師のリヒャルト(ゴーデハート・ギーズ)はアメリカ経由でメキシコに逃れようとして、船に乗り込みます。彼らは結局、マルセイユを「トランジット」してその先へ行こうとしていたのでしょうか。

1944年当時、ヨーロッパを脱出しようとする難民を乗せた船はたくさんありました。が、そのすべてがファシズムの及ばないところにたどり着いたわけではなく、どこにも入港できなくてさまよう船もたくさんありました。迫害されてマルセイユまでやって来た人たちを待ち受けていたのは、そうした「幽霊船」だったのです。マリーとリヒャルトが乗った船は、果たして幽霊船だったのかどうか。
また、船に乗ることすらできない人々は、他に行き場がなくてマルセイユから動くことができなくなっていました。ドイツからパリ、そしてマルセイユにやってきた主人公のゲオルク(フランツ・ロゴフスキ)がまさにそうで、彼は生涯トランジット状態にある定めだった、ということになります。
こうしたナチス時代の経験が、のちにドイツ連邦共和国基本法(ドイツの憲法)に影響を与えました。その16条には、「政治的に迫害された者は庇護権を享有する」とあり、その対象は性別や宗教、イデオロギーに関係ないものと定められているのです。しかし今、この16条をを変えようという動きが出てきています。その意味でも、昔と今が呼応しあっているのです。
――主人公ゲオルクですが、一方ではニヒルでクールでありながら、他方で温かい人間味も感じることもできます。この人物像のポイントはどういうところにありますか。
原作に登場するゲオルクは、犯罪に手を染めたこともあったりする、冷淡であまり共感できないような人物として登場するのですが、それが次第に変化していきます。映画ではその変化の過程をより強調しました。

パリを脱出してマルセイユにたどりついたゲオルクは、途中で亡くなった仲間ハインツの家を訪れ、息子のドリスと知り合って一緒にサッカーをし、歌を歌います。さらにマリーと出会って恋をする。ゲオルクは短いトランジット期間にそういう経験を積んで自分を見つけていき、ラストにつながるわけですね。
私は、映画はそういうものであるべきだ、と思っているんです。つまり、映画は「状態」ではなく「プロセス」を描写するものなのだ、ということ。何かが何かになっていく、ところを表現するのが映画の醍醐味であり、この作品では、ゲオルクがさまざまなことを経験して学び、人間的に成長していくわけです。それが、ラストに結実することになります。
この作品の撮影中、俳優たちは谷口ジローや辰巳ヨシヒロといった日本のコミックをよく読んでいました。なぜだろう、と思って私もコミックを読んだのですが、だいたいは、ある日常のどこかのあるドアがポンと開いて、そこから夢の中に入っていくことでストーリーが始まるんですね。
この映画も、マルセイユという現実があるのですが、1本通りを裏に入ると別の世界があり、そこにはより深い真実と情熱のある世界が広がっている。そういう意味では、日本のコミックと同じ空気感、世界観があり、俳優たちはそれをよく理解してくれていたと思います。
それで思い出したのは、スタジオジブリの『火垂るの墓』(1988年)です。この作品の主人公は幼い兄妹ですが、彼らは現実に存在しているにもかかわらず、誰にも助けてもらえない。つまりどこにも帰属できないまま消えてしまうわけですが、私の作品にもこうした世界観があります。
――意外にも、日本のコミックやアニメが影響をしているんですね。
私自身は日本に行ったことはありません。が、実は娘が何度も日本を訪れており、日本語を勉強したりもしています。そんな娘を通して、日本文化に触れています。
映画に関して言うと、日本はアメリカと同じくストーリーテリングを重要視しており、一見夢を描いているようで、それを通して現実を描いていると思っています。その現実は、学術論文よりもずっとリアルなものですね。
私はそんな日本映画が好きです。中でも小津安二郎監督の『晩春』(1949年)に、娘(原節子)と青年(宇佐美淳)が海辺を自転車で走るシーンがあるのですが、私はこれが映画の中で最も美しいシーンの1つだと思っています。



