原発事故で福島県双葉郡浪江町から避難し、二本松市内の復興公営住宅「福島県営石倉団地」に入居している人々と二本松市民とが新年を祝う「餅つき交流会」が6日、石倉団地で行われた。つきたての餅に笑顔が広がったが、一方で参加した町民からは「町は復興どころでは無い。現実も知って欲しい」との声も聞かれた。言葉ばかりの「復興五輪」への怒りも根強い。浪江町民は言う。「大手メディアの取材で散々、話して来たけど、こどごとくカットされて来た」。私たちは浪江の人々の笑顔の裏にある哀しみや怒りをどれだけ知っているだろうか。原発事故は終わっていない。
【「浪江のどこが『復興』してるんだ?」】
全町避難で中通りに避難した浪江町民。避難指示は出されず避難民を受け入れた二本松市民。運動場に設けられた仮設住宅が撤去され、復興公営住宅「福島県営石倉団地」での生活が始まっている浪江町民と二本松市民による初めての餅つき。けんちん汁やつきたての餅に笑顔が広がった。NHKや福島放送のカメラマンが和気あいあいの様子を撮影する。しかし、原発事故から間もなく8年。浪江町民の想いは複雑だった。
「今日だって『これだけ復興して皆さん元気になった』なんて報道されたんでは困っちゃうよ。みんな和気あいあいなのは事実だけどそれだけではね。それはほんの一部分だから」
浪江町の幾世橋行政区から避難し、石倉団地に入居している男性は口にした。何も皆が楽しんでいる交流イベントに水を差したいわけでは無い。復興が進んでいる、町民は笑顔で元気、原発事故は終わった、などとばかり思われては困る、という想いがあるのだ。
「もちろん我がふるさとは無くしたくない。だけど、環境がああだからさ。浪江はテレビや新聞で報じられているような状況では無いですよ。現実はもっと酷い。町民が戻っているのは役場周辺ばかり。家屋解体がどんどん進んでる。そもそも、避難指示って買い物が出来るようになって病院があって介護施設があって。そういうものが整って初めて解除されるものでしょ。車の運転が出来る人は南相馬に買い物に行ったり出来るかも知れないけど、高齢者とか身体の不自由な人は、帰ったって死ねと言わんばかりの状況だよ。一方で水素ステーションとか言ってて未来を考えれば良いかもしれないけどさ、その前にやるべき事がもっとあるんじゃないかな。そう思う。県外の人にはそういうところを見て欲しい。どこが『復興』してるんだって。現実をもっと見て欲しいよ」
別の男性の避難元は、帰還困難区域に指定されている大堀行政区。「復興してるなんて事になってるけど町は死んでる。復興って言葉は使って欲しくねえんだ。復旧なんだ。役場周りとか、テレビで写す所しか『復旧』出来ていないんだから」と怒りを込めて話した。
不満は国や行政だけでなく地元メディアにも向けられた。
「本当の街の姿を放送しようとしたって上司にカットされるんだろう。だから何を言ったって駄目。泥臭い話になると耳を傾けねえんだから。震災直後からテレビや新聞の取材には応じているけど、どこの報道機関も出してくれない。政府も復興してるって事にしたいから、泥臭い話を出されると困るんだろうな。大手メディアは良い所しか使わないんだ。でも、一時帰宅してみると、あの日、地震で揺れた日のまんまだよ。避難指示が解除されたからって、すぐに帰って生活出来るっていうレベルでは無いよ。何百年も経たないと放射線量は下がらないって専門家は言っているのに、たった7年8年で帰れって言うのもおかしな話でね。役場周りは復旧してる、災害公営住宅が出来た、常磐線を開通させる、でも町民はバラバラで町は機能していないよ」


